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向島百花園の紅葉 [植物]

 昨日(11/29)は寒かったのですが久々に青空が広がっていたので、思い切って向島百花園に行ってきました。もちろん、紅葉狙いで基本レンズはEF70-200F4Lです。もう2世代も前の手振れ補正もついていないズームレンズですが、解像度も発色もよくボケもズームにしてはいいというお気に入りのレンズです。
 ところが予想では全体が紅葉しているはずの、入園したところにあるイロハモミジはまだしっかりと緑。おいおい、どうなってるんだ・・・。仕方ないので茶屋横の木が一部紅葉してるのを何枚か。全体に紅葉は遅れているのは間違いないのですが、ハゼなどはもう落葉していて寂しい限り。まあ、せっかく来たんだからと何枚か撮りましたが、今年の紅葉はあまり期待できないようです。
↓イタドリ
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↓イチョウ
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↓イロハモミジ
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↓ハゼ
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↓ミツデカエデ
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★ちょっと気になっている映画です。東京新聞・望月衣塑子記者のドキュメント。記者会見の様子など見ましたが、所謂「ベテラン」記者たちはただ聞いているだけ。望月記者は、質問をし、何度も同じ質問をするなと言われると、きちんと答えてもらっていないと思うので質問していると食い下がる。アメリカの記者会見の様子など見るとこうした望月記者のような姿が当たり前で、ただ沈黙しているだけの記者こそ不気味でそんな役立たずの記者は即刻解雇でしょう。
https://mainichi.jp/articles/20191128/mog/00m/040/006000c
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晩秋の昆虫 SH [鳥以外も撮る SH]

 昨日は雨の中、整骨院に行ってきました。歳が歳だけに、やはり週2回は行かないとね。ウォーターベッド、電気、マッサージとやってもらい、外に出ると雨はあがっていました。そのあとタバコの吸える喫茶店でランチとコーヒー。ここまではよかったのですが、電車に乗ろうと改札口を通る直前、あっ傘が・・・[がく~(落胆した顔)]。そうです、ボケのせいでどこかに忘れたのです。あわてて整骨院と喫茶店に戻ったのですが、ありません[もうやだ~(悲しい顔)]。あーあ。[バッド(下向き矢印)]

 このところ昆虫写真家になっているSHさんからの写真。これだけの昆虫、よく探し出して撮りましたねえと毎度のことながら感心。私の場合、このところ撮影よりも整骨院に行くほうに熱が入っていて、このところ週2回のペースを維持しています。整骨院に行ったその日は比較的調子がいいので、できれば週3回にしたいところですが、さすがに無理。せめて今の週2ペースを維持したいと思っています。
 以下、SHさんからのメール。
 「寒いですねー。体のあちこちに痛みが出ています。雨ばかりなので散歩に出られず写真の整理です。11月ももう数日で終わりなので今月の虫を。チョウに比べると地味ですが、これでも見られそうなものを選びました。」
↓アカアシノミゾウムシ
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↓オオツノカメムシ
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↓キイロテントウ
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↓キマダラカメムシ
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↓コナラシギゾウムシ
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↓センチコガネ
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↓ナカボシカメムシ
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↓ヒメグンバイ
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↓ムネアカオオクロテントウ
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★75歳以上も2割負担。どうせ生産性もないもうすぐ死ぬ奴に医療費の援助などする必要はない。わははは、それが嫌なら医者になんぞかからずさっさと死ねー。なんていう安倍ちゃま以下の高笑いが聞こえてきそうですなぁ。[むかっ(怒り)][パンチ]
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191127-00000546-san-soci
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多摩の紅葉ケヤキ・サクラ・トウカエデIH [多摩・名古屋 IH]

 昨日は曇り時々雨なんて予報なので、恵比寿に行く鞄にはノートパソコン、マウス、本(電車の中で読む)、それに折りたたみ傘。ところが、雨は一滴も降らず。鞄が軽いときならまだしも、ノートパソコンですでに重いところにプラス折りたたみ傘というのは、年寄りにはほとんど致命傷。おかげで肩が痛いじゃないか。っ全く、気象予報士の役立たずどもめが。したり顔でいつも後付けの解説をしてるんじゃねえゾ。[パンチ]

 多摩のIHさんからの紅葉写真。あいかわらず見事な紅葉ですねえ。私のところではまだ紅葉は半分から七分。見ごろは来週以降ですか。天気がよくなれば私も写真撮りに行ってこようとは思っていますが・・・。
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そっくりの難病ベタ映画を作るな! [映画・文学・音楽]

 気温が寒い帯域での乱高下。まるで安倍独裁政権を見習っているような年寄りいじめの季節とでもいいましょうか、体調も気分もあまりよくありません。雨天が続いているということも関係あるのかもしれません。てなわけで、昨日(11/26)も雨が降ったり止んだりでしたが、気分転換も兼ねて整骨院に行ってきました。
 新しく撮った写真もないため昨日はブログ更新をお休みしたわけですが、さすがに2日連続でということになるとボケ対策の忘備録にもならないので、少し前に見た映画の感想でも貼っておきましょう。

「君は月夜に光り輝く」☆☆★★★

 奇妙な題名の映画がYouTubeにアップされていたので、SFかファンタジー映画だろうかと思って見てみた。大昔に「光る眼」というイギリスの佳作SF映画があったのでそれからの連想だと思う(原作は「トリフィドの日」のジョン・ウインダム。「トリフィドの日」を映画化した「人類SOS」よりはるかにおもしろかった)。ところが、これが大まちがい。またかという感じの「期間限定」難病物の映画だった。

 ヒロインの渡良瀬まみずにはNHKの朝ドラにも出た永野芽郁、相手役に北村匠海。監督・脚本は月川翔。原作はライトノベルかまんがだろう(推測です)。永野は発光病という不治の病に冒されており、余命と言われた1年をすでに過ぎてしまった女子高生。北村はその永野にクラスの寄せ書きを届けにきたのだが、ひょんなことから彼女の「代行」を行うことになる。彼女が遊園地に行きたかった(行けないので)代わりに北村が行くわけである。きらきらスマホが欲しかったが人気なので並ばないと買えない。北村が代わりに並んで買ってくる、カラオケ、メイド喫茶のメイドといった「代行」が続く。いつの間にか彼女との距離は縮まっていくのだが、月の光の中で口づけをかわした2週間後、彼女は死ぬ。彼女の葬式で北村は、彼女の最後の命令(願い)を実行する。

 ここでまず気になるのは、発光病という病気。
 甲殻類にある種の細菌がついて発光するという話は聞いたことがあるが、人間がそういった症状になるというのは聞いたことがない。架空の病気だろう。ありきたりの「がん」闘病ものにはしたくなかったのだろうが、冒頭からそう思ってしまったためヒロインの切実感、現実感があまり伝わってこない。そのため、ヒロインと北村クンの行動が単なる「代行遊び」にしか見えない。作者は、あまり生々しいものではないロマンチック・ファンタジーを書きたかったのかもしれないが、死が近づくと光が増すなんてあまりにリアリティーがなく、年寄りは馬鹿馬鹿しいと思うだけだ。まあ、ヒロインは主人公との交流の中で生の光を増していくので象徴的な意味もあることはわからないではないが、それなら別に発光病なんていう噓くさい(事実「噓」なのだが)病名にする必要などなかったのではないか。

 死を目前にしながら元気(を装う)ヒロイン。ひょんなことから彼女と知り合う主人公。いつしか2人は魅かれ合っていく・・・、どこかで見たパターンだなと思ったら、「君の膵臓を食べたい」とほとんど同じパターンではないか。おいおい、こんなにそっくりでは「膵臓」の製作者から「パクリ」と言われてしまうぞと調べてみて驚いた。ナントナント監督・脚本の月川翔は「君の膵臓を食べたい」の監督だったのだ。しかもだ、主人公の高校生まで同じ北村匠海。おいおい×2、こりゃあいったい、どういうことだ[がく~(落胆した顔)]

 もちろん、すべてが同じというわけではない。
 しかし、難病に冒されているヒロインの限られた短い人生を、彼女と寄り添うように生きる主人公とが精一杯生きるという基本パターン、枠組みは全く同じ。予定調和の如く彼女が死ぬのも同じ。しかも、そのヒロインに寄り添う男性俳優までもが2作とも同じ俳優。これではワンアイデア(それもベタベタのワンアイデア)で2本の映画を作ってボロ儲けを企んだとしたとしか思えない(「膵臓」は30億円以上も稼いだ)。しかしだ、ワンパターンの映画を2本も見たいと考える人間が何人いるのだろうか。それをわかっていて、タイトルを変え違う映画と見せかけてそっくり映画を2本も作ったとしたら、観客をバカにするにもほどがある。少し間があるからいいんじゃないかということなら、完全な悪徳商法であり、詐欺師と言っていい。凡作からさらに怒りの★1つマイナス[パンチ]

 「一粒で二度おいしい」は、グリコだけにしてもらいたい。
 映画は一粒で十分、二粒なんて全く必要ない。名作を二度、三度と見るのには意味があるのだが、そっくり映画を2本見る意味は全くない。「膵臓」の浜辺さん同様、今回のヒロイン永野さんもなかなかいい感じの自然な演技だったのに、もったいない。
↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=wEAAH77puQA
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「君の膵臓を食べたい」についての感想は、
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-10-07

☆★は、尊敬する映画評論家・双葉十三郎さんの採点方法のパクリで、☆=20点、★=5点(☆☆☆が60点で「可」。合格というか、まあ許せるラインということです)
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紅葉と黄葉 [植物]

 7時半に起きるつもりが、5時半に目が覚めてしまった。歳をとってくると、こういうことがたまたまある。何とか寝ようと努力したのだが無理そうなので、起きてきた。まだ暗い。知多のKSさんはもう起きて早朝の散歩に出かけたのかなと思いながら、ブログを更新している次第。ま、眠くなってきたらまた寝よう・・・。[眠い(睡眠)]

 赤くなるものを紅葉、黄色くなるものを黄葉なんて言うことが多いようですが、まあどっちでもいいんじゃないでしょうかねー(個人的にはすべて「紅葉」でいいと思っています)。細かいことに拘らず、紅葉を楽しめばいいと思います。
↓イチョウ黄葉
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↓ケヤキ黄葉
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↓コナラ黄葉
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↓サクラ紅葉
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↓ツタ紅葉
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↓ドウダンツツジ紅葉
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↓ニシキギ紅葉
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↓ハギ黄葉
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↓ハナノキ(ハナカエデ)紅葉
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↓ミツデカエデ黄葉
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※明日のブログ更新はお休みします。m(__)m
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紅葉といえばやはり紅葉(モミジ) [植物]

 雨も止み、先ほど公園をぶらついてきましたが、寒さは感じませんでした。まあ、こんなところが平年気温なんでしょう。落ち葉がかなりあり、昨日からの風雨のせいで歩道にべったりと貼り付いていました。

 昨日は午前と午後に出かけたんですが、いやぁどえりゃあ寒かった。ほとんど冬の嵐でした。普段は半袖のアンダーシャツをタートルネックの長袖に代え、ダウンのベスト、さらにはダウンのコートと真冬用のいでたちで出かけたんですが、それでも寒かった[がく~(落胆した顔)]。とくに傘を持つ手が冷たいこと、冷たいこと。しまった手袋をしてくるんだった[もうやだ~(悲しい顔)]と気づいたのは帰り道。いくらボケが進んでいるとはいえ、こういうことは出かける前に気がつかないとホント命取りになるぞと自戒するも、そのかんじんの自戒をちゃんと覚えていられるかどうかが問題。

 「モミジ」「カエデ」まあすべてカエデ科カエデ属なんですが、パソコンで「もみじ」と打ち込んで変換キーを押すと「紅葉」とも出ますので、カエデでは感じが出ないと言う人もいると思います。葉の切れ込みが深いのをモミジ、浅いのをカエデなんて書いているブログもあるのですが、イロハモミジのことをイロハカエデと言う人もいて、適当です。厳密?に区別しているのは花札くらいのもので、モミジの札をカエデと言う人には会ったことがありません。
(今日の写真も以前に撮ったものです。)
↓イロハモミジ
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↓イタヤカエデ
イタヤカエデ.jpg
↓オニモミジ
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↓トウカエデ
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↓ハウチワカエデ
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ハゼノキ紅葉 [植物]

 さきほど買い物にスーパーまで出かけたのですが、まあ寒さは真冬ですね。震えて帰って来ました。午後から一件出かける用事があるのですが、いやだなぁ・・・[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]

 昨日(11/22)は雨も降ってクソ寒い1日でした。おかげで?紅葉も一気に進み、ご覧のような見事な・・・ってなことはなく、仕方ないので以前に撮った写真をアップしておきます。「桜を見る会」は怪しさてんこ盛りですが、こちらの「紅葉を見る会」は公明正大すべて無料。あ、「公明正大」とは言っても平和の党かに戦争の党に変身した公明党とは全く関係ありませんから、安心して見ていってください[わーい(嬉しい顔)]
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あの時代の青春映画「止められるか俺たちを」 [映画・文学・音楽]

 朝から雨模様で寒い1日になりそうです。今日は接骨院に行こうかなと思っていたのですが、さあて、どうしましょうか。優柔不断な人間は迷っています・・・。
(雨が降る寒い中、整骨院に行ってきました。この寒さですから、さすがに患者はいなくて待ち時間ゼロ。とりあえずラッキーと言うべきでしょうかね?)

「止められるか俺たちを」☆☆☆
 先に、KAWASAKIしんゆり映画祭のアホな自己規制に関連して、「止められるか、俺たちを」の白石和彌監督が自作を取り下げると発言する「騒動」がありました。そのときブログに「この映画は見ていますのでいずれ感想をアップしましょう」と書いたので、約束を果たします。
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-10-29
(ただし、自作を取り下げるということには、あまり賛成できません。映画作家は一人でも多くの人に見てもらったほうが「勝ち」。上映はさせておいて抗議は抗議でする、というような図太さが欲しいところです。)

 2018年の若松プロダクション作品。プロダクションを立ち上げた若松孝二は2012年に交通事故で亡くなっているので、新・若松プロ作品ということか?
 監督の白石和彌はその若松プロにいた人だということだ。若松孝二の作品は「胎児が密猟する時」「処女ゲバゲバ」「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「13人連続暴行魔」「水のないプール」「われに撃つ用意あり」「キャタピラー」「実録・連合赤軍」など見ているがあまり生理的に合う映画ではなくほとんど記憶に残っていない。要するに若松孝二の映画は私にはどうもピンとこなかったが、若松孝二という人物およびそのプロダクションには興味があったということだ。「胎児が密猟する時」は当時私が在籍していた大学のN大評論という雑誌でも取り上げられていたが、どうも無理矢理理屈をつけてこね回したような論評で違和感を覚えたものだ。

 物語は1970年前後の若松プロを舞台にした広い意味での青春映画で、ヒロインの吉積めぐみを門脇麦が演じている。この人、「愛の渦」でいきなり脱いだ(なんせ、地味でネクラだが性欲が強い女子大生という役だ(^^;)かと思うと、NHKの朝ドラにも出るし、劇中「インターナショナル」が流れる本作のようなものにも出る。顔立ちがちょっとキツイのである程度役は限られるかもしれないが、若松プロに入り助監督(実際には走り使い)として頑張り悩む女性を無理なく演じていてとてもよい。「愛の渦」のオーディションでは脱ぐシーンがあるので脱いだら原作者でもある監督の三浦大輔も脱いだと語っていた。かつて仲代達矢が「世の中には男性、女性そして女優というものがいる」と語っていたが、まさにその証明のような女優だ。

 若松孝二を演じるのは井浦新といってわからなければ、朝ドラ「なつぞら」で仲さんを演じた人といえばわかるかな。もう少し灰汁が強くてもよかったかなとも思うが、悪くはない。そのほかでは高良健吾、寺島しのぶ、満島真之介、奥田瑛二なんてところも顔を出している。高岡蒼佑(宮崎あおいの元旦那)が大島渚役で出ているのだがあまりに似ていないのにテロップで「大島渚」と出るのでこればかりはちょっとなぁ。話の内容から大島渚とわかるので、せめて「大野渚」とか「大山渚」だったらそれほど違和感はないと思うのだが、登場人物は若松孝二以下本名なのでそうもいかないか。それにしても映画の中の若松は相手が下と上とで話し方までもがずいぶんちがうのだが、実際もこんな感じだったのだろうか?

 話はヒロインが自殺なのか事故なのかわからないまま亡くなるところまでだが、この結末にはちょっと不満が残る。(彼女が短い生涯を終えたのは事実としても)ドキュメンタリーではなくドキュメンタリー風ドラマなのだから、もう少し別の観点からの展開があってもよかったのではないのか。もちろん、若松孝二の作品の特徴が論理と伏線を張り巡らせたようなものではなく刹那的な展開を特徴としたものであったことは承知の上での私的感想である。

↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=y2l28BI9ZI8
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☆★は、尊敬する映画評論家・双葉十三郎さんの採点方法のパクリで、☆=20点、★=5点(☆☆☆が60点で「可」。合格というか、まあ許せるラインということです)
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ツタはまだまだ緑 [植物]

 午後にタバコの吸える喫茶店までちょいと出かけたのですが、寒かったです。もう11月も終盤ということで、きれいな紅葉を見る前にもう冬ですか。やれやれ・・・。[バッド(下向き矢印)]

 やはり今年の紅葉は遅れているようです。スマホで撮ってみたのですが、今の季節に緑では様になりません。昨日(11/20)には木枯らし1号が吹いたようですし、いくらなんでも紅葉しないということはないと思うのですが、あと1週間〜10日はかかるのでは。
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↓2014.10.24の写真
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富士山のカラマツ林紅葉 [植物]

 今日はこれからパソコン持参で恵比寿まで出かけるわけですが、締切った窓の外からピューッという風の音が聞こえてきます。もしかして、木枯らし??嫌だなぁ・・・。[バッド(下向き矢印)]

 投稿写真はともかくとして、最近ではこれといったフィールドにも出かけていない私の撮った写真は、家のベランダ、向島百花園、このところ話題(^^;の新宿御苑あたりの写真ばかりです。たまには多少はスケール感のある写真をとストックPhotoの中から探してきました。
 富士山5合目近くのカラマツ林の写真です。もう20年も前のフィルム時代の写真をライトテーブルの上に置きデジカメで適当に撮ったものなので全体に甘い写真になっていますが、いくらかスケール感を感じていただければ幸いです。
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★次から次へとボロが出てくるわけで、「桜を見る会」で馬鹿を見たかい、と言いたくもなりますなぁ。森加のときも高圧的な態度の上から目線発言で「うまく」切り抜けたと思っているので、今回も同じパターンでやって失敗したのでしょう。国会で立民の杉尾議員の発言中「共産党!」なんてやじを飛ばしたので、共産党の逆襲質問があったとも考えられます。
https://news.infoseek.co.jp/article/gendainet_588020/
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長野のナナカマド紅葉 [多摩・名古屋 IH]

 多摩のIHさんが先日仕事で長野に行ったおり撮ってきてくれた写真です。メールでは紅葉には少し早い云々と書かれていましたが、紅葉イマイチの今年ですからそんなの贅沢贅沢。こういう写真が撮れてラッキーと思わなければいけませんですな。ウン。
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★「関係していたら総理も議員も辞める」と大見得を切り、自殺者まで出しているのに、辞める気配すらない。今度はのうのうと「明細書も領収書もない」で、菅簾おじさんは「首相は丁寧に説明した」。こういうときはまず「謝る」のが常識なのに、どうだ!と言わんばかりの上から発言。本当に、そんな「些細な」こと問題にする奴が悪いと思っているのだろう。「云々」を「でんでん」としか読めない安倍ちゃまの辞書には、謝るという言葉はないんだろうなぁ。
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019111801001344.html
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「ベン・ハー」と「サウンド・オブ・ミュージック」 [映画・文学・音楽]

 先日のブログ「映画は、映画で評価しよう」で、
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-11-11
 映画の価値が映画そのものではなく主に政治的な事象で語られることの馬鹿馬鹿しさについて書いたところ、wildboarさんから、
「『ベンハー』と『サウンド・オブ・ミュージック』は間違いなく名作だと思います」
 というコメントが届きました。全く同感です。どちらも映画史に残る傑作で、私も「迷走ダイアリ」に思いつくままの感想を書いています。このページにリンクを貼ってもいいのですが、そのリンクがいつ切れるかわからないような状態なのでいくつか誤字など直した本文を再度貼っておきましょう。元々の原稿は20年も前に書いたものです。
 ちなみにこの2作を含めて「私の」ベスト10は、「西部戦線異状なし」「駅馬車」「アラビアのロレンス」「スパルタカス」「七人の侍」あたりまでは不動として、あとは「第三の男」「太陽がいっぱい」「冒険者たち」「街の灯」「2001年宇宙の旅」「ブレードランナー」「ビッグウエンズデー」「ローマの休日」「シェーン」「野いちご」「アルジェの戦い」・・・あたりからその時の気分で適当にチョイスでしょうか。最近のものが入っていませんが、「これは!」という映画に出会えないのは、映画の質が落ちているのか、歳をとって感受性が鈍くなっているかのどちらかでしょう。
 近年のものでは「ボヘミアン・ラプソディー」や「ハドソン川の奇跡」など感心しましたが、ベスト10に入れるには何かが足りないような気もします。ベスト20なら入ってくるかな?
 上記2作以外だと個人的な好みも加味して「ウエストサイド物語」「大いなる西部」「ライアンの娘」「カサブランカ」「ジュリア」「ブラックサンデー」「めまい」「エイリアン」「キングコング(1933)」「007ロシアから愛をこめて」「マーキュリー・ライジング」「ナバロンの要塞」「ライアンの娘」「ダイハード」「突然炎の如く」「華氏451」「ワイルドバンチ」、邦画で「隠し砦の三悪人」「上意討ち」「砂の器」「ゆきゆきて神軍」「ゴジラ」、アニメで「不思議の国のアリス」「太陽の王子ホルスの大冒険」「ルパン三世カリオストロの城」あたりがベスト50くらいまで広げたときの候補でしょうか。
 あ、「スターウォーズ」「ロード・オブ・ザ・リング」「タイタニック」「ハリー・ポッター」「アナ雪」などはベスト100まで広げても入って来ませんのでご安心?ください。
(映画の価値は人それぞれですので他人の評価を否定するものではありません。あくまで私の感想ですが、その時々によって作品が入れ替わるという適当なものです(^^;)
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★「ベン・ハー」(1959)について
 「ベン・ハー」は、ユダヤ人ジュダー・ベン・ハーとキリストの受難を重ね合わせたスペクタクル大作史劇で、最初見たときにはとてつもなく感動し、「世の中にこんな素晴らしい映画があったのか」とさえ思ったものだ。もちろん3時間40分の長編だが退屈するというようなことは全くない。この映画を初めて見たのは当時名古屋随一の洋画ロードショー館・テアトル名古屋の70mm大画面。二番館、三番館専門の私がこんな高級!映画館に入ったのも初めてなら、70mm映画をきちんと70mm用画面で見たのもこれが初め。階段状に並んだ椅子もすばらしく、大画面を前に上映前からわくわくしていたのを思い出す。
 どうでもいいことだが、購入したパンフレットには、撮影にはMGMカメラ65という機器が使われ映像部分の幅が65mm、6本トラックだったかの音声部分が5mmで計70mmとなるというようなことが書いてあった。その後、70mm映画追っかけ人間になったわけだが、スーパーパナビジョン70、ウルトラパナビジョン70、Todd-AO70、スーパーテクニラマ70などいろいろあってどうちがうのかは未だに不明(^^;。
 いわゆる「立体音響」というのもこれが初めてだった。すっかり感動した私は、その後「ベン・ハー」を、行きつけの洋画三番館・オーモン劇場、そして(劇場名は忘れてしまったが名宝会館内の70mm上映館のスカラ座だったのではないかと思う(^^;)再上映時と、都合3回も劇場で見た。
 後年、テレビ放映されたときには当時まだ高価だったVHSビデオデッキで前後編を録画したものの、実質3時間程度にカットされていたため、あのシーンがない、このシーンもないと不満ばかりが残った。そのためレーザーディスクが出ると2枚組10800円とこれまたいい値段だったがすぐに買い、ノートリミング盤が出るとまた買い求めた。さらにWOWOWやNHK-BS、CSのザ・シネマで放送されたものも見ているので、通しで見ただけでも10回以上見ているはずだ。WOWOWのものは画質もよかったので、DVD2枚組に録画してある。

 という前置きはともかくとして、「ベン・ハー」は実によくできている映画で、映画初心者からマニアまで満足させるという点でも代表的な歴史映画、いやそういった狭い範疇を超えた映画史上の金字塔と言える。アカデミー賞最多の11部門受賞は当然の結果で、この記録は「タイタニック」や「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」に並ばれてしまったが、1950年代末から60年代にかけての映画がまだ力をもっていた時代での大記録である。賞の数自体も今と比べると少ない。比べる方が失礼というものだろう。ちなみにこのときのアカデミー賞で唯一不満に思えるのはヒュー・グリフィス(戦車競走用のウマを所有しているアラブのおっさん)の助演男優賞で、これはどう考えても敵役を熱演したスティーブン・ボイドにあげるべきだったろう。オイルマネーの威力?まさかね。
 また話が逸れそうになったが、この映画の成功は監督ウイリアム・ワイラーの手腕に帰するところが大きいと思う。
 さすがに「ローマの休日」「必死の逃亡者」「大いなる西部」「コレクター」などの名監督である(「孔雀夫人」などそれ以前の作品にも名作が多いという話だが、私は見ていない)。
 たとえば、ベン・ハー(チャールトン・ヘストン。この映画でアカデミー主演男優賞を受賞した。納得)と許婚者エスターとのシーンには、バックに格子戸が繰り返し映し出されるが、こういう細かいところをきちんと撮れるかどうかが大画面映画にとってもやはり大切なのである。きちんと撮れているので、格子戸が傾きエスターのいないシーンが映し出されると、それだけでベン・ハーの孤独感が伝わってくるわけだ。
 ちなみに、エスターがベン・ハーと会うときは外付けの階段を降りてくるパターンになっていて、これは天使のイメージを連想させるためではないかと思う(ラストでは、これが逆になり、ベン・ハーが上階で彼の母妹とエスターが階段を上がってくるパターンになる。つまり、ベン・ハーも「復讐」という呪縛から開放されたことがわかる)。
 ベン・ハーの母親役を演じるマーサ・スコットは、「十戒」でヘストンがモーゼを演じた時も実の母親役をやっている。ワイラーは、こういう映画フアンをニヤリとさせるところまできちんと考えて作っているのだと思う。ちなみに、妹役の地味なキャシー・オドンネルは確かワイラーの兄さんのお嫁さんだったはず。

 有名な戦車競走のシーンについては何人もの人が書いているので今さら詳しくは書かないが、あれは集合合図がかかり、仇役のメッサラ(スティーブン・ボイド)の戦車が刃物をそなえたギリシャ戦車であることをきちんと観客に知らせ、ミクロス・ローザの勇壮な音楽と共に戦車が場内を一周し、というセレモニニーで盛り上げておいて、スタートとなるので効果的なのである。メッサラの馬が黒で、ベン・ハーの馬が白というのもどちらの馬がどこにいるのか子供でも一目でわかってよい。何周したかを魚のマークで知らせたり、一旦遅れたベン・ハーが追いついたりということろもきちんと描かれている(ちなみに私が読んだ原作の記憶では、ベン・ハーがメッサラの戦車の車輪に自分の戦車の車軸を突っ込んで破壊したはずである。もちろん、映画のような展開の方が遥かに自然である)。
 戦車競走のどでかい競技場にしろ、ローマへの凱旋シーンにしろ、初めの方に出てくるエルサレムの町へのローマ総督の入場シーンにしろ迫力満点なのは言うまでもない。あまりのスケールの大きさに声もないとは、こういう場面のことを言うのである。こんなに金をかけて大丈夫なんだろうか、と心配になるほどだが、こういうシーンに金をかけないと「スター・ウォーズ」(第1作、つまりエピソード4のことです)のラストのようにせっかく宇宙規模で戦われた戦争に勝利したのに記念式典がスーパー・ダイエーの入社式のようになってしまい、映画そのものをだいなしにしてしまうのである。
 ただし、一言言っておきたいのは、ただ巨大セットを作って出すだけではダメだということ。戦車競走のシーンをもう一度例にとれば、まず戦車の集合場所は背後に壁があり、前方には太い柱がある、という閉鎖された空間である。それが競技場に出て行って初めて空間が広がり、巨人像が映し出されて度胆を抜かれ、さらに競技場全体の俯瞰(後方にエルサレムの丘と空が広がる)が示されて「うわーっ、すげえ」ということになるのである。こういう見せ方に関してもワイラーは、手抜かりがない。
 海戦にしても、その前にガレー船の櫓の漕ぎ方や司令官アリアスとの関係などをきちんと描き、船の形や色、各々の服飾などもちゃんと整理されているので迷うことはない。戦闘の前に奴隷は鎖に繋がれるのだが、ベン・ハーだけは鎖をはずされる。そして櫓を漕ぐシーンに移るのだが、満身の力で漕ぐので漕ぎ終えた姿勢は自然と上を向くことになる。すると甲板から見下ろしているアリアスの姿が見える。彼が鎖をはずしてくれたんだとそれでわかるわけで、その後、ベン・ハーがアリアスを助けることにも納得がいくのである。

 もう一つ書いておくと、この映画の縦糸の一つに生命の源である「水」での癒しというものがある。癩病にかかって重病なベン・ハーの母妹が、十字架で流されたイエスの血が雨とともに大地に広がり完治するという奇跡がその典型だろう。砂漠でイエスから水をもらって生き延びたベン・ハーが、十字架に向かうイエスに水を差し出す感動的なシーンがあるが、あれも都合よく差し出すわけではない。イエスをもっと間近でと歩くベン・ハーが警備のローマ兵に、邪魔だとばかりに盾で強引に壁に押し付けられる。するとそこに水場があり、そうだ!と水を汲んで差し出すという過程がきちんと描かれている。決してご都合主義のシナリオではないのだ。
 エンド・マーク前に夕陽の十字架を背景に羊の群れが移動していく、まるで絵画のように美しいシーンが映し出されるが、これも「神は迷える子羊を導きたまう」とでも言うべきメッセージで、3時間40分という大作を締めくくるのにピッタリのシーンである。ラストはハレルヤコーラスと共に幕となるのだが、全編を彩るミクロス・ローザの音楽の素晴らしさについては、当時2000円もするMGMレコードを買って楽曲をすべて暗記したのだ、とだけここでは書いておく。

 そんなわけで「ベン・ハー」は、長い映画で登場人物も多いのだが、人物の描き分けもきちんとなされており、シナリオにも破綻するところがない。つまり、映画史上最大の作品の一つであると同時に、いい意味で非常にわかりやすい映画になっているのである。小学生は小学生なりに、マニアはマニアなりに楽しめ感動できる映画なのである。大画面で見るに越したことはないが家庭のテレビでも十分に感動でき、2度、3度と見る度に発見のある映画でもある。
 というようなことから、私は、「史劇映画を1本見たいのですが、どんな映画を見ればいいのでしょう?」という問いには、容易に答えられる。
「『ベン・ハー』を見なさい」[わーい(嬉しい顔)]

★「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)について
 「サウンド・オブ・ミュージック」は、高校時代に熱中した「ウエストサイド物語」のロバート・ワイズが監督したミュージカル映画だというので試写会の申し込みをしたら当選し、70mm上映館のテアトル名古屋に見に行き、けっこう満足して帰ってきた映画である。試写に先立って「この映画は皇太子御一家(当時)も見られた」云々という宣伝のあと映画は始まった。感動的な映画だったので、そのあと少し日にちをおいて、今度は家族(母、弟)で有料で見に行った。立て続けに2回見たわけだ。「ベン・ハー」「アラビアのロレンス」「スパルタカス」「2001年宇宙の旅」などもそうだったが、DVDもビデオなどない時代なのでこういうことが何度もあった。見られるときに見ておかないと、リバイバル上映でもない限りその映画は2度と見られないのだ。上映期間内に何度も足を運ぶことは当時としては不思議でもなんでもない。
 ロバート・ワイズはこの「サウンド・オブ・ミュージック」と「ウエストサイド物語」という映画史に残るミュージカル映画を2本も作っているのだが、ミュージカル映画監督というわけではない。「トロイのヘレン」は歴史劇、「私は死にたくない」はサスペンス、「砲艦サンパブロ」は戦争物、「アンドロメダ……」「ヒンデンブルグ」はディザスター、「スタートレック」は宇宙SF、「たたり」「オードリー・ローズ」はオカルトホラー。いったい何をしたかった人なのかさっぱりわからないが、結果として2本のミュージカル映画が残った。不思議な監督である。

 「サウンド・オブ・ミュージック」は一般にファミリー映画ということになっていて、「訳知り」顔の大人は軽んじる傾向がある。確かにファミリー映画の側面はあるが、しかし、ファミリー映画だから軽く見ていいという理由はどこにもない。音楽というものが、歌というものが人生にとってどれほど大切で、その人の生き方まで変えてしまう力があるものかをこれほどストレートに訴えている映画は他にないと言ってもいい。ということで、私はけっこうこの映画評価している。同じワイズの「ウエストサイド物語」も衝撃を受けて何度も見たが、歳をとっても感動して見られるという意味では「サウンド・オブ・ミュージック」のほうが1枚上だろう。
 この、音楽には人を社会を変える力があるということは、制作者は十二分にわかっているわけで、それは、歌う人の人数を考えればわかる。
 巻頭、マリア(ジュリー・アンドリュース)が一人で歌っていた「サウンド・オブ・ミュージック」は、後にトラップ家の子供たち全員の歌となる。トラップ大佐が子供たちと心を通じ合わせる場面で歌う「エーデルワイス」は、初め大佐一人で始まりやがて子供たちとの合唱になって親子の心が通い合う。さらにコンサート会場ではオーストリア国民全体の歌になるのである(テアトル名古屋では会場の大合唱が館内を包み込むようにステレオで流れたとき思わず震えがきた。これほど感動的な名場面は、そうはない)。修道院の院長がマリアに向かって歌う「すべての山に登れ」(マリアが大佐の家に戻る決意をする重要な場面の歌で、サウンドトラック盤LPにも収録されているこの歌が、ナント封切時カットされていたのだ。試写会のときには確かにあったという証言もあり映画誌では大問題になった)は、ラストシーンでトラップ家全員、いや映画を見ているすべての人に向かって歌われるのである。オスカー・ハマースタインの詞がまた絶品で、「・・・すべての山に登り、流れを渡り、虹を追ってあなたの夢をつかみなさい」と歌われると見ているこちらも「本当にそうだよなあ」と思ってしまう。ちなみに社会人になってから買ったレーザーディスクや現在売られているDVDには問題のカットシーンも復元されている。念のため。
 映画全体としては後半やや乱れがある(ナチスとのやりとりは合唱コンクールのシーンで実にうまく処理されているのだから、他の部分は2/3ほどでよい)のが残念だが、歌の力というか、映画の力は本当に実感させられる。

 画面構成としては、マリアが子供たちと家を出て、「ドレミの歌」を歌うシーンが何といっても圧巻である。「ウエストサイド物語」の冒頭や「クインテット」のシーンでもワイズのつなぎのうまさには感心させられるのだが、「サウンド・オブ・ミュージック」でも冒頭の空撮からマリアが歌い出すシーンへのつなぎなど見る者を思わず「ううむ」と唸らせるものがある。「ドレミの歌」は、そのワイズの編集能力が最高度に発揮されたシーンと言えよう。まるでオーストリアの観光案内のように美しい景色を背景にマリアと子供たちの歌を通して心がどんどん一つになっていく時間の経過が「ドレミの歌」という1曲の歌の初めから終わりまでの間にきちんと、それも実に魅力的に描かれているのである。映画50周年記念特番を見ると、このロケ地は今でも名所になっていてドレミの歌に登場する場所など同じ場所で同じ動作をする人が後を絶たないようである。それほど感銘を受けた人がいたということなのだろう。ついでに書いておくが、日本でも50周年記念吹替版というのが出ていて平原綾香がジュリー・アンドリュースの吹き替えをやっているのだが、せっかくのイメージが崩壊してしまうので、絶対に見ない(聞かない)ほうがいい(私はつい怖いもの見たさで見てしまった[がく~(落胆した顔)])。

 ちなみに主役のジュリー・アンドリュースは、舞台の「マイ・フェア・レディ」のイライザを演じた女優で、映画「メリー・ポピンズ」でアカデミー主演女優賞を取り、「ハワイ」「スター」「ビクター・ビクトリア」(「ティファニーので朝食を」「ピンク・パンサー」などの監督で、夫のブレーク・エドワーズ監督。ちなみにこの監督の映画がおもしろかったためしがない)等の映画に出ているが、何といっても「サウンド・オブ・ミュージック」におけるマリアが最高の当たり役だろう。封切られた年の「映画の友」「スクリ−ン」両誌のフアン投票で1位になったのも何となくわかるような気がする。ちなみに「サウンド・オブ・ミュージック」はこの年のアカデミー賞で作品賞、監督賞など5部門を受賞しているが、なぜかジュリー・アンドリュースは主演女優賞を受賞していない(受賞したのは「ダーリング」のジュリー・クリスティ。私はこの映画も見ているが、作品も演技も記憶に残るようなものではなかった)。まさか「ジュリー」間違いでもないと思うので、ジュリー・アンドリュースは前年の「メリー・ポピンズ」で主演女優賞をとっているため2年連続での受賞はどうなんだろうという気持ちが投票者にはあったのだろう。しかし現在の時点で冷静に見れば2年連続で全く問題はなかったと思う。

 実際ミュージカルスターとしてのジュリー・アンドリュースの実力は歌はもちろん踊り、演技ともに大したもので、私は彼女が舞台で主演した「マイ・フェア・レディ」もオードリー・ヘプバーンではなくジュリー・アンドリュース主演で映画化してもらいたかったのだが(舞台版のLPレコードは買った。もしかして値が出ているかも?)、それは遂に幻に終わった。
 なお、ある映画評論家が、きれいになってからはオードリーに軍配が上がり、それ以前はジュリーに軍配が上がると書いていたが、至言である。ついでにもう一つ。「王様と私」のデボラ・カー、「ウエストサイド物語」のナタリー・ウッド、「マイ・フェア・レディ」のオードリー・ヘプバーンの歌の吹き替えをやっているマーニ・ニクソンが修道女役で出ているので、興味のある人はお見逃しなく。吹き替えばかりやっている人なので、さぞかし不細工だろうと思っていたら、歳こそそれなりにとっていたものの、けっこう並以上の容姿の人でしたマル(見たけどわからなかったとい人のために書いておくと、修道院のシーン院長にマリアについての意見を求められたで3人の修道女が歌うシーンの真ん中の人です)。

 ところで、この映画、子どもが出てくるいわゆるファミリー映画というイメージがあるのか評論家の評価は意外に低いものがあった(確かキネマ旬報では9位)。なんとなくこういう映画を誉めるのは、気恥ずかしいというか抵抗があるのだろうか。しかし、観客は正直である。ラストシーンでトラップ一家がアルプスの山を越え、その姿が消えていってENDマ−クが出ると、試写会のときも二度目に見たときも、期せずして場内から割れんばかりの拍手が起こったのである。場末の映画館では東映のチャンバラ映画でもよくあることなのだが、こんなことはロードショーの劇場では、初めてにして今のところ最後の体験なので記しておきたい。もちろん、私も母も弟も拍手をした(^^)/。
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晩秋のチョウSH [鳥以外も撮る SH]

 SHさんからのチョウの写真。こんなにいろいろ見られるとはうらやましい限りです。もしかしたら見落としているだけかもと私の近くの公園に出かけたのですが、見つけたのはキチョウとヒメアカタテハくらいのものでした。探し方が下手なのか、そもそも視力が弱っているのか、疲労回復の目薬でも買って来ましょうかね。(^^;
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 今年はいつもの公園では、紅葉がだめみたいです。葉が赤くならず茶色になって落ちていきます。アジサイは葉が青々しています。植物も気候の激変についていけないようです。冬鳥はわずかしか見られませんので、少ない虫探しです。先日新聞にチョウが減っていると出ていましたので、今いつもの公園で見られるチョウです。
↓ウラギンシジミ
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↓キタキチョウ
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↓キタテハ
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↓クロアゲハ
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↓クロコノマチョウ
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↓テングチョウ
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↓ムラサキシジミ
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↓ムラサキツバメ
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★トランプ「思いやり予算」4.5倍を要求
 日米地位協定では確か、日本は土地などの提供をするが米軍の維持費に関してはアメリカが負担するということになっていたはず。にもかかわらず「思いやり予算」なんてものが毎年約2000億。庶民には思いやらぬが、アメリカには思いやるというのが日本政府のスタンスなのだろう。米軍関係の予算は少し前の記憶では確か日本の支出は8000億円くらいだったと思う。さらに、アメリカから問題となっているイージス・アショア(約2500億)、軍用機(F35Aなど約2500億)などを購入するという。さすがトランプのポチ安倍ちゃまの面目躍如といったところである。
 そもそも思いやり予算なんてもの自体がおかしいのに要求通りなら8500-9000億。このまま丸吞みしてしまったらさすがにマズイということくらいはデンデン安倍ちゃまでもわかっているはずだ。商売人トランプも4.5倍というのは「ふっかけ」でおそらく3倍くらいで考えているのだと思う。で、ポチ安倍としては泣きついて2.8倍くらいにしてもらい(できれば2倍以下にしたいところだが)、自分の力で安く抑えられかつ日米の絆はより強くなったとか威張りたいところだろう。
 しかし、極論を言ってしまえば思いやり予算など止めてしまえばいいのだ。少なくとも増額する必要はない。この予算内でやってくれと要求し、ダメだというのなら、例えば沖縄の基地をすべて廃棄し米軍に撤退してもらってかまわない。広大な基地後を整備しホテル、リゾートなど観光開発などにもより力を入れれば失業する現在の基地労働者などの仕事は簡単に吸収出来るはずだ。
 2018年における日本の防衛費は約5兆1500億円。世界第8位でイギリスに次、ドイツの上である。今の自衛隊の「戦力」だけで日本を防衛できないことはないと思うのだがどうだろう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191116-00000036-jij-n_ame

★沖縄密約問題
 非核三原則に違反して日本に密かに核が持ち込まれていたにもかかわらず、別の問題にすり替えてうやむやに。しかも、そのときの佐藤栄作がノーベル平和賞。大量虐殺のスー・チー女史とか、ノーベル賞の平和賞と文学賞はいろいろ問題が多いです。
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019111601001069.html
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南千住のモミジバフウ [植物]

 普段、あまりテレビを見ない私にとって金曜深夜は午後11:15に始まる「時効警察」「孤独のグルメ」「ひとりキャンプで食って寝る」というゴールデンタイム。まず、「時効警察」がこのシリーズ始まって以来と言っていい不出来。犯人の見当が初めっからついているというのはいつものことなのだが、その犯人が全く反省もしていないのに「誰にも言いませんよ」カードとは。このカードも変化をつけるためなのか3Dにしたり防水にしたりパラバラまんがにしたりしているがおもしろくも何ともない。「水戸黄門」の印籠ではないが、「決め」はあいかわらずのマンネリでいいのにアホか。「孤独のグルメ」はまあ並の出来だったが、「ひとりキャンプ」がこれまたひどい。三浦と夏帆が週替わりで主役を務めるドラマなのだが、もともと三浦回はイマイチなのに、家キャンプだと。しかも、うざったいだけの友人が来て「ひとり」でもないし、調理に電子レンジを使ったりして「キャンプ」でもない。スタッフはどうやら日本語がわからない人たちらしい。・・・と書くと、つまらないのならさっさと寝たら、という意見が来る。仰せの通り、途中で止めてさっさと寝ました。ハイ。

 そこそこ色づいてきたのでスマホで撮ってみました。先日のIHさんの写真、
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-11-09
 からは数日遅れているにもかかわらずイマイチ、えらいちがいですねえ。よく見るとまだ緑の葉もあり、また猛暑のせいか9月の長雨のせいか痛んでいる葉が目につきます。この様子では紅葉の盛りになっても、今年はきれいな紅葉はあまり期待できそうもありません。
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マクロレンズはやっぱりシャープだ(^-^) [カメラ・写真]

 大嘗祭なるものが行われました。作って壊して27億円ですか。日本固有の文化なんだから金のことなどごちゃごちゃ言うな、という意見もあるでしょう。しかし、納税者の1人としてやはり納得のいく説明がほしいわけで、古来、即位の礼のようなものはあったとしてもこんなに金がかかるものだったのかスッキリしません。明治以降、時の政府の方針で天皇の権威付けの側面もあったのではとも思えます。以前、秋篠宮が大嘗祭について「身の丈に合った儀式」にしたいというような発言をしましたが当事者(現天皇)の発言はなく、宗教色の強い儀式に何十億もかけることが憲法の政教分離に違反しないかどうかの議論もありませんでした。何だかはっきりしないままずるずるというのが日本固有の文化ということなんでしょうかね?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191116-00000020-jij-soci

 先日、向島百花園に年間パスポートの更新に行った話はすでに書いていますが、今の季節あまり撮りたいような花もありません。まあ、それはある程度予想できていたので交換レンズはなしでEF100mmF2.8LISmacroのみ。最近は体力のせいもあって野生動物の撮影にあまり行っていませんのでマクロレンズの出番がやたら多いです。その真価は被写体に寄っての接写にあるわけですが中望遠的に撮ったものでもよく解像してくれているので満足満足。
 写真の奇数番号のものはノートリミング画像、その下の偶数番号のものは上の部分を等倍(100%)にトリミングしたものです。
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★「桜を見る会」参加芸能人
 「桜を見る会」が話題になったら参加した芸能人たちがそれぞれのインスタなどにアップしていた写真を集めたまとめサイトが乱立。チェックしてみました。こういう信念の人たちは、まさか政治家どものように写真削除とかしていませんよね?
 ももクロ、IKKO(どんだけ〜)、トレンディエンジェル(さいとうさんだゾ〜)、千原せいじ、メイプル超合金、さかなクン、愛沢えみり(伝説のキャバ嬢)、デヴィ夫人、丸山桂里奈、のん(能年=あまちゃん)、辺見えみり、高島礼子、梅宮アンナ、鉄拳(パラパラマンガ)、松村邦洋、ピコ太郎、武井壮、桜庭ななみ、吉田羊、五木ひろし、湯原昌幸、爆笑問題(太田、田中)、神田うの、石坂浩二、加藤一二三(将棋)、林家ペー&パー子、ミッツ・マングローブ、野々村真、鈴木福、綾小路きみまろ、なべおさみ、なべやかん、由紀さおり、市川猿之助、ラモス瑠偉、美川憲一、デーブ・スペクター、月亭八方・・・。とても書ききれません。また、写真からの確認なので間違いや今年以外の参加ということもあります。
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昆虫顔面博覧会・番外篇 [昆虫など]

 安倍のやりたい放題「花見会」、逃げの一手で中止になりましたが、これでそのうちに「いつまでも花見問題をやっていないで、もっと重要な審議をしろ」なんて「声」が出てくるんでしょうね。「森友」「加計」「花見」の「安倍・三大やりたい放題」に、気のせいか今日アップした昆虫たちの顔も呆れ返っているように見えます。

 すでにトンボ、バッタ、チョウ、ガは展覧会をやっていますが、
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-10-20
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-10-21
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-10-22
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-10-23
 「ほかにないのー」
 という他人任せのノーテンキなメールが来ていますので、手持ちのものをテキトーにアップしておきます。写真を探し出してくるのが面倒なので(←整理が悪い(^^;)今後の「もっとほかにないのー」希望には添いかねます(^^;。
↓アオドウガネ
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↓アオメアブ
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↓アブラゼミ
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↓オオゾウムシ
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↓クサカゲロウ
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↓クサギカメムシ
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↓ゴマダラカミキリ
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↓ナナホシテントウ
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↓ハナアブ
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↓ミツバチ
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★「桜を見る会」中止だってさ。何だか、泥棒が「盗んだろう」と追求されて、これからやらないと決めたんだから文句あるか、と居直っているような感じですな。代わりに「安倍ちゃまと臭い飯を喰う会」でも催したらいかがでしょうか。
https://www.asahi.com/articles/ASMCF5JB9MCFUTFK00Z.html?iref=comtop_8_01

★その裏でこんなことが(▼▼メ)
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019111301001887.html
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全裸サックスおじさん [日記・雑感]

 今週は天気は悪くないはずだったのですが、どんより曇っていて雨の可能性も。今日はこれから恵比寿の事務所に行くわけですが、パソコン持参の上、折り畳み傘もという重労働。そろそろ考え時かなとも思いますが、今日のところはともかく行ってきまーす。

 日テレの「月曜から夜ふかし」という番組をボケーッと見ていたら、広島県の呉にある全裸でサックスを吹いているデブおじさんの像が紹介されていました。製作者の話では全国に10体ほどあるということで、ナント南千住にも!
 これは、何としても行かなければ。うちの奥様がネットで調べたところ(夫婦ともに暇なんです(^^;)、どうやら南千住野球場の周辺にあるらしい。バスの乗り換えがあるのですが、東京都のシルバーパスが使えるのでタダ。というわけでさっそく行ってみました。すぐに見つかったのですがせいぜい70-80cmほどのもので、呉のものとくらべるとずいぶん小さい。ちょっとがっかりしましたが、それでもしっかり撮ってきました[わーい(嬉しい顔)]
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↓以下おまけ
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「桜を見る会」なんて招待されたら芸能人などゴキブリのようにホイホイ行っちゃうんでしょうねえ。二階様の「どこが悪いんだ」「後援会招待は当たり前」というありがたい掩護射撃もあることですし。しかし、名簿は1年で破棄ということなら今年の名簿はまだあるのでは?
https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019111302000111.html
https://www.asahi.com/articles/DA3S14254159.html?iref=comtop_shasetsu_01
https://mainichi.jp/articles/20191113/ddm/005/070/029000c
↓さらにはケータリング業者のとの怪しい関係も。
https://lite-ra.com/2019/11/post-5086.html
 選挙法違反、税金の私的流用などいろいろ問題がありそうですが、じゃあ後援会を排除すればいいのかということでもありません。園遊会もあることですし、そもそもこんな会いるんですかね?

JUNKOさんの質問に対するリプライコメントがうまく表示されませんので、こちらに書いておきます。
黒川晃彦さんという彫刻家です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/黒川晃彦
 展示先を見ると北海道にもいくつかあるようですが(札幌にもある!)、残念ながら?全裸サックスおじさんはないようです。
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「映画は、映画で評価しよう」再録 [映画・文学・音楽]

※今回もこれまでなら「迷走」に載せていた一文。なぜ「アニマル」に載せるようになったのかについてはすでに何度も書いているので、改めては書かない。

 先日の「表現の不自由展」に続いて、川崎の映画祭でもスッタモンダがあった。ビビって上映不可にしたこともダメなら、抗議されて許可したという顛末もダメ。ダメダメ映画祭でいったい何をしようとしたのか?
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2019-10-29
 日本の「不自由」はオーストリアにまで飛び火して、日本の不自由さが世界的に有名にしてしまったゾ。
https://www.asahi.com/articles/ASMC7064NMC6UHBI02V.html?iref=pc_extlink
https://www.asahi.com/articles/ASMC73J05MC7UTFK008.html?iref=comtop_8_06
 県や市の主催者側の言い分は決まって「騒動が懸念される」ので。おいおい、そういう騒動が起きないようにすることが、きみらの仕事だろうが。(▼▼メ)
https://www.asahi.com/articles/ASMB05QN4MB0OIPE02F.html?iref=comtop_8_02

 このての問題は99%政治がらみのものである。
 大学時代は西洋政治思想史のゼミだったが、そのときのテキストだったプラトンの「国家」でもこの問題は大きく取り扱われていた(もちろんギリシア語など読めないのでテキストは英語)。その関連でトロツキー「文学と革命」、毛沢東「文芸講話」、吉本隆明「政治と文学」関連の著作などいろいろ読んでみたのだが、問題は文学の本質そのものではなく、表現されたものとして公開されるときに政治権力からの規制が入って来るという一点に尽きる。まさしく、日本国憲法がわざわざ第二十一条に、
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する(GHQ草案「Freedom of assembly, speech and press and all other forms of expression are guaranteed.」)。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」
 と明記している所以である。これに対する権力側からの規制はたいてい「公共の福祉に反する」というもので、教科書問題も「検閲」でなく「検定」ということになっている。もともとは誤字脱字、固有名詞や歴史の年号の間違いなどをチェックするだけということだったのだが、現実問題としてそうでなくなっているのは、ご承知の通り。

 映画の場合は公開のための「場」が必要なので、その圧力は文学の場合と比べて極めて直接的である。文学作品なら今の時代自分でパソコンをうちプリントして配布することも(効率は悪いが)可能である。しかし、映画はそうはいかない。DVDにでも焼いて配ればいいじゃないかという人もいると思うが、古い人間である私はそうは考えていない。映画というものは日常生活とは切り離された暗闇の中でスクリーンに映る映像と対峙しなければ本当のところはわからないのだ。
 たとえば「アラビアのロレンス」や「ベン・ハー」自宅のテレビで見たときと、劇場の70mm大スクリーンでみたときとでは、はっきり印象がちがう。スクリーンの大きさの問題だけではなく、ベルイマンの「野いちご」のような白黒スタンダードの傑作でも劇場で見た時と、周囲を日常が埋め尽くしている家のリビングで見たときとでは別物である。やはり、映画は別世界に入って視聴し、何かを得て再び現実の世界に帰ってくるものだと思う。

 劇場で映画を見るということは、その映画を見るという明確な目的をもち、自らの意志で限定された空間に見に行くということである。そして、劇場でスクリーンと向き合った瞬間から、その映画は監督のものでもプロデューサーのもので映画会社のものでもなく観客個々人のものとなる。結果、その映画の評価が個々人によって異なってくるのはある意味当たり前。爆笑問題の田中のように「ジュラシックパーク」がベスト1だなんて世迷い言を言う人間がいても否定はしない。しかし、是枝裕和監督の「万引き家族」がカンヌでグランプリをとると、「日本の恥だ」などと言ってこの映画を否定しようとする人間が出てくると、それはちょっとちがうだろうと思うのだ。おそらくネットなどにそう書き込んだ人間の99%は、まずこの映画を見ていないと思う。見てもいない映画について語るな。これが映画を語る上での大前提である。
 他人の評価とはちがう、自分はこう思うということなら、映画を見た人間同士が議論すればいいだけのこと。見たいものは見る、見たくないものでも気になるのなら見てみる。ともかく、見なければ議論は始まらない。見てもいないでとやかく言うのは論外のさらに外。見て初めて賛否良否の判断が下せるのだ。くどいようだが、そのためにも判断の機会を奪うなとあえて言いたい。

 以下の雑文は、もう20年も前に書いたものだが、再録しておく。
………………………………………………………………………………………………………………………………
映画は、映画で評価しよう

 唐突だが私はタバコを吸う。
 まあヘビー・スモーカーといってもいい。そんな私が最近最も頭にきたのは、1998年、つまり今年の12月からのタバコの値上げである。私の吸うマイルドセブン・ライトは230円が250円になった。値上げのの理由は旧国鉄の債務の返済のためである。馬鹿も休み休み言え、とはこういうことをいう。嫌煙権(この権利の主張には魔女狩り的な側面があって納得できない部分があるが、ここには書かない)などの広がりがあり、全日本煙草党などというものもないから、タバコを値上げしても大して文句はでないだろう、という策略が見え見えである。そして、旧国鉄の債務とタバコの間には何の関係もないのである。博打に負けて生活に困った男が、生活が苦しいからお前払っておいてくれ、と近くの銀行に文句を言いに行くようなものである。いや、それよりも旧国鉄の債務とタバコとの関連は薄いというか、全くない。要するにAの借金を全然関係ないBに押しつけているのである。どう考えてもおかしな話で、ヤクザだってこれほど理不尽なことはしないだろう。しかし、しかし、その理不尽極まりないことが、映画の世界では日常的に起こっているのである。

 映画が映画それ自体では評価されず、別の要素で評価されてしまうのである。
 たとえば、名作を当たり前に評価できない文化人のプライド(俺は「一般大衆」とは見るところがちがうんだ!)がそうさせるのだろう、その延長線上にファミリー映画、に対する不当とも言える低い評価がある。要するに、言葉は悪いが女子供が喜ぶような映画や「進歩的文化」に反するどうでもいいような映画なんぞ評価できるか、ということである。彼らにとっては、誰にでもわかる、わかりやすい映画というだけですでに減点対象なのだ。
 しかし、ちょっと待て。大人向けに作られたものを子供が理解するのは厳しいが、子供向け・フアミリー向けにきっちりと作られたものは大人が見ても十分楽しめるのではないか。漫画の「火の鳥」や「忍者武芸帖」、小説でいえば「ナルニア国物語」や「指輪物語」などを持ち出すまでもなく、この仮説は映画においても十分通用すると思われる。大人になるということは、子供物を捨てて大人物を読む(見る)ようになることではなく、子供物も大人物も理解できるようになることだと思うのだが(移行ではなく世界が広がると理解して欲しい)、どうも現実は、そうではないらしい。

 ここ何十年かのキネマ旬報をひもといてみても、宮崎アニメが時々顔を出すのと(「ルパン三世カリオストロの城」の時はほとんど評価されていない。「風の谷のナウシカ」がそれまでの「ヤマト」や「ガンダム」と違う形で評判になり「俺はアニメにも目配りしているんだぞ」と投票されて入ったのが最初)、洋画でもフアミリー向け映画でベスト10入りしたのは「メリー・ポピンズ」(5位)「サウンド・オブ・ミュージック」(9位)など数えるほどしかない。私が人生に大きな影響を受けたコメディ映画の傑作「ニッポン無責任時代」、中川信夫監督の「東海道四谷怪談」に至っては、そんな映画あったっけ、とでも言いたいのか、ベスト10にも入っていないし、話題にすらなっていない。
 今でこそ「あれはいい映画」だったと言われ後に男2人女1人という同パターンの映画がいくつも作られたロベール・アンリコの「冒険者たち」(14位)も、トリュフォーの映画史上最も美しいラストシーンに感動した「華氏451」(21位)も同年のベスト10には入っていない(この年1967年度の洋画ベスト1は「アルジェの戦い」で全く異論はないがベスト5には入る映画だろう)。キネ旬のベスト10は、「第三の男」(2位。1位「チャップリンの殺人狂時代」)や「2001年宇宙の旅」(5位。1位「俺たちに明日はない」)「ローマの休日」(6位。1位「嘆きのテレーズ」)「七人の侍」(3位。1位「二十四の瞳」はともかく2位が「女の園」たぁどういうことだ)などの名作も1位になっていないような頼りにならないベスト10なので仕方ないと言えば言えるのかもしれないが、これはちょっと異常である。要するに「映画通」を気取った文化人たちがときにB級映画を持ち上げるのと一緒で、小難しい映画が高い評価を受けるのと対照的にわかりやすい映画はあまりいい評価を受けないのである。

 これは、言ってみれば映画という総合芸術の中の一つの部分でしかないテーマ性だけでその映画の評価が決まってしまうということであり、絶対におかしい。映画制作には金がかかるのであり、商業映画は興行的に成り立たなければ意味がない。従って、中学生が見てもそれなりにおもしろく、映画のマニアが見てもおもしろい。要するによほどの変人でない限り誰が見てもおもしろい、というのが映画の王道であり高く評価されてしかるべだと思うのだが、現状はそうはなっていないのである(だからといって「ジュラシック・パ−ク」のような興行的には当たっても空虚な映画を評価しろと言っているわけではない。誤解しないでほしい。)。
 黒澤の映画で言えば「生きる」とか「赤ひげ」のような「進歩的文化人」たちの好きそうなメッセージ色のある物はいいが(いずれも1位)、「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」(ベスト10評で「私は見ていないので入れなかったが」なんて堂々と書いている映画評論家!がいた)「用心棒」「天国と地獄」のような娯楽色の強い物はダメなのである。「七人の侍」では自衛隊との関係で、「天国と地獄」では警察の扱いでイチャモンがついた。「用心棒」は残酷だということで敬遠され、「隠し砦の三悪人」は娯楽色が強すぎて評価を落とした。
 そんな評価がまかり通っっているのだから、クレージー・キャッツの出演した映画などそれだけでもう絶望的である。「ニッポン無責任時代」や「クレージー黄金作戦」などは文句なしに笑える映画というだけでも十分評価に値するもので、そのうえ時代の空気とでもいうもの的確に捕らえたすぐれた映画だと思うのだが、初めっから論外とされてしまうのである。同様な理由で007の最高傑作「007ロシアから愛をこめて」なども評価は低い。

 逆に、社会派とでもいうべきなのかもしれないが、貧しくとも頑張って生きている、あるいは貧しさでこんなになってしまった式の映画になると、ええーっというくらい評価が高い。不思議である。竹下景子が脱いだということで見に行った「祭りの準備」など、田舎でいろいろあって貧しくて八方塞がりで、主人公が東京へ出て行くところで終わってしまって、「おい、本当にこんなんでいいのかよ」と思わせる映画なのだが、評価は意外というほど高かった。「サード」など総じて低予算のATG系映画の評価が高く、同列には論じられないものの、ベルイマンやフェリーニなどの芸術志向派の映画も(「野いちご」や「道」などの傑作は別にして)、ちょっと評価が高すぎると思う。
 映画を評価するおかしな基準としては、社会派の延長線上に政治色という評価があり、「二十四の瞳」や「ひめゆりの塔」「大いなる幻影」「アルジェの戦い」(これは例外的傑作)のような反戦・反権力的な映画の評価が高い。ところが、スペクタクル的なもの、ケーム的なものは、これはこれで画本来のおもしろさだと思うのだが、見せ物的ということで落とされてしまう。だから好戦的?+スペクタクルの「七人の侍」「ナバロンの要塞」などの評価は、あまり高くはない。ワイラーの大作「ベン・ハー」や、まだ評価が高くなかった時代のキューブリックの「スパルタカス」などは、スペクタクルというだけで評価を下げられてしまったような気がしてならない。黒澤映画の評価が典型的だが、日本の映画評論・批評は、どうも似非左翼的評論家がまかり通っていて、映画の本質以外の部分で評価が決まってしまうような気がするのである。

 もちろん映画というものが、ナチスドイツの例を持ち出すまでもなく、プロパガンタの機能をもっていること否定しない。しかし、いろいろな意見はあるにせよヒットラーの権威を世界に知らしめたベルリンオリンピックの記録映画「民族の祭典」が映画としてのおもしろさを持っていたことは否定できないし、また、そういう部分のないプロパガンタ映画は所詮消えていくものと断言していい。残った映画には、プロパガンタを超えた何かがあるのである。
 くどいようだが、もちろんテーマ性での映画の評価はあっていい。しかし、それは映画の一部であることを認識する必要があると思う。映画は、映画そのもので評価したい。ファミリ−映画としては屈指の出来と思われる「サウンド・オブ・ミュージック」は、同じジュリー・アンドリュース主演の「メリー・ポピンズ」と比べても遥かに出来はいいと思う。ところが、そんないいかげんなパッピーエンドあり?と言いたくなるような「メリー・ポピンズ」の方が、アニメと実写の融合とかなどという理由もあってキネ旬での評価はずっと上だった。ナチス相手に闘うのではなく、アルプスを越えて「逃げて行く」部分が政治的評価を受けて映画そのもののマイナス材料になっていなければ幸いである。

 最後に、フランソワ・トリュフォー監督の有名なエピソードを書いておきたい。
 映画「アルジェの戦い」は、アルジェリアのフランスからの独立戦争を描いた、ジッロ・ポンテコルヴォという(私にとっては)全く無名の監督の作品である。私はこの映画をうかつにも劇場で見ておらず、大学祭で上映されたものを初めてみた。かつてのイタリア・ネオ・レアリスモを思わせるセミ・ドキュメンタリー的な手法で押しまくり民衆の独立への熱意が見事に描き出されていた。その戦い・テロの中で一般市民にも犠牲者が出ているところなど単なる正義の戦いにはしていない。独立派の問題点もきちんと描かれている。。加えてミステリ的な部分のあって飽きさせない。小泉首相ではないが、私は文句なしに「感動した」が、それは「主義主張」に感動したわけではない。この「映画」に感動したのだ。ところが、この映画がヴェネチア映画祭に出品されたところ、フランス大使館から、反フランス的な映画なのでと上映中止の圧力がかかった。
 事務局はその圧力に屈せず映画は無事上映されたのだが、フランスの映画関係者、評論家たちは上映の途中から次々と退席していった。その中で、唯1人、トリュフォーだけは最後まで残ってこの映画を見ていたというのだ。この話を私は双葉十三郎さんだったかの本で知ったのだが、映画を見たときと同じくらいに感動した。まさしくトリュフォーは、映画を映画そのもので、映画だけで評価しようとしたのだ。このトリュフォーの態度は今でも私が映画を見るときの大きな指針となっている。
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★ついでに、表現の問題に関連して「映倫」について書いた雑文も再録しておく。こちらも20年ほど前に書いたものである。
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映倫カット
 
 映倫のカットと言われている主にセックス場面に関するシーンカットおよびボカシについて書く。
 最近はビデ倫というのもあり、主としてAVビデオの表現が適切かどうか審査しているという。映倫もビデ倫も不要と考える私にとっては、いったい適切かどうかなんて何を基準にしているのだろうとついつい疑問を持ってしまうのだが、その根拠はどうやらアンダーヘアにあるらしい。ただし、ずーっとそれが基準だったわけではなくかつては乳首すらダメだった時代があり(昔の成人映画体験による(^^;)、その意味では多少の変遷はある。アンダーヘアも最近ではチラリと見えるくらいのことは大目に見るような風潮になったようだが、性器は未だにダメなようである。
 それでも、ミケランジェロ・アントニオーニの作品が映画祭に限ってOKされたことなど、かつてアントニオーニ「太陽はひとりぼっち」でモニカ・ヴィッティが絵の変わるボールペンをかちかちやると出てくる女性のヘアが見えるということでボカシを入れさせられたことを思うと、多少はマシになったようである。が、一般的にヘアが解禁されたわけではなく、ものによってはボカシを入れる必要があり、依然として絡みは不許可となっている。場面によってはスクリーンのほぼ全面にボカシが入っていらいらする、ということもあるのである。
 高校生の時に見た新藤兼人の「鬼婆」では、吉村実子が葦の原を裸で駆けるシーンでボカシが入っておらず、黒いものがチラチラすると話題になったが、そして私も映画館でそのシーンは注意して見たのだが、夜のシーンでもあり「よーわからん」という結論しか得られなかった。後にビデオでコマ送りで確認しようとしたが、やはり「よーわからん」かった。映倫には老人が多いと聞くが、ボールペンのヌードの件にしろ映倫にはよほど目のいい人がいるのだと感心してしまう。

 では、なぜそんな自主規制をするのかというと、「権力の介入を許さないため」というのが一般的な答えのようである。おいおい、自主規制している段階ですでに権力の介入を許してるじゃないか、と言うと、「いや芸術作品ならまだしもエロのためのエロはやはり社会にはびこらせてはいけない」という答えが返ってくる。いったい芸術かエロかの判断はどういう基準でするんだ、と思ってしまう。芸術作品かどうかとか、必然性があるかないかとかというようなことは関係ない。別に裸のための裸、下品で下品でどうしようもないくらい下品なエロのためのエロがあったっていいじゃないか、と私は思うのである。裸はどう撮っても裸であり、問題はもっと別のところにある。規制の問題をそんな次元で論じたくない。
 まず、青少年に悪影響を与える、というのなら映画はTVと違って入場料を払って入るわけだから、それこそ18歳未満お断りの「成人映画」にすればいいのである。R指定だとか成人指定ということについては、私も理解しないわけではない。こういうものは段階が必要なわけで、小学生にいきなり本番を見せていいとは私も思わない。しかし、大人にも見せないということになると、ちょっと待てと言いたくなるのである。

 すると、訳知り顔をしたおっさんが、必ずこんなことを言うのである。「いゃあ、あんたねえ、見えるか見えないかといったところにエロティシズムがあるのであって、全部見せてしまったら台なしになってしまうんじゃよ」と。
 こういう馬鹿が多いから全く困ってしまう。
 全部見せてもいいじゃないか、ということは別にチラリズムを否定しているわけではないのだ。議論をひん曲げてはいけない。すっぽんぽんの映画があってもいいし、チラリズムの映画があってもいいし、裸が出てくる哲学的な映画があってもいいし、ひたすらヤリまくるだけの映画があってもいいのである。それが「表現の自由」というもので、要は、制作者は基本的にフリーの手で作りたいものを作り、何を見るのかは観客が選べばいいのである。訳知りの言うように、すっぽんぽんよりチラリズムがいいとなれば市場原理からそういう映画が支配的になり、客が来ない儲からないとなればヘア・絡み・本番映画は淘汰されてしまうはずである。ただし、結果としてそうなることと、自主規制によって初めから選択肢が制限されていることとは、全く違うことをここでははっきりとさせておきたい。
 もう一つ、映倫の規制というのは恐ろしいもので、ボカシやカットが話題になる前に、実は制作者や監督が初めからそういうシーンを諦めてしまうという大きなデメリットを含んでいる、ということを知る必要がある。こういう表面化しない部分の問題が私にとっては一番怖い。セックスのシーンで手前に大きく椅子が映し出されていて肝腎な部分を隠していたり、場合によってはブラをつけたままレイプされたり、いざ本番というときにカメラが壁の絵を映し出してナニの声だけが聞こえたりするような画面がいかに不自然で不細工なものか考えてほしい。

 そんなわけで、私は、映倫などというものは全く不要だと思う。
 これは、極論でも何でもない。消費税の内税と外税ではないが、その方が、いかに自分たちが権力によって規制されているかがわかっていいと思う。権力というものは常にすべてを自分たちの手中に収めたがるものだが、映倫というクッションを間に唯々諾々と従っているようでは文化は発達しない。映画館のような限られた空間で限られた年齢層に対して行われる映画は、法律としての公序良俗にも猥褻にも違反しない。売れる・売れない・儲かる・儲からないという経済的なところで根本的に規制されてしまっているのだから、せめて表現するというその一点ではフリーでありたいものだと思うわけだ。
 芸術というものももちろん歴史の制約を受けてはいるが、歴史貫通的な部分もあり(本当はそれも歴史の制約の範囲なのだが、人の一生を越える何百年、場合によっては人間という存在がある限り通用するような、深い本質に根差した部分は、とりあえず歴史貫通的と言ってしまって問題ない)、それを現実の目先の価値観の中で判断しようとするとたちまち窮屈になって自由な発想が制限されてしまうのである。従って、同じ理由からエロだけでなく、右翼が南京大虐殺をテーマにした映画の上映に反対したり、左翼が戦争を美化するような映画に反対したりすることにも、私は断然反対である。
 映画には、作る自由と、上映する自由が必要なのである。そうした映画をテーマ性やヘアの有無(^^;など部分的なものではなく、映画全体として評価していきたい。

(ただし、今回問題にした制限の撤廃というものは、あくまで映画館という限られた空間で見ることを前提とした議論であって、TVのように基本的に家庭内で誰もが見られるメディアに関しては、また別問題である。ビデオに関しては年齢制限などによる貸出規制、放送に関しては一定の基準が必要だという意見に異論はない。ビデ倫は「この映画は○○歳以下には貸し出してはいけない」というようなことだけを決めればいいのであって、ボカシを入れるかどうかをチェックするところではないはずである。また最近の衛星デジタル放送などでもアダルト関係のものが放送されているが、これ関しては一種のパスワード入力を必要とさせるなど、何らかの制限があれば問題はないはずだ。)
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向島百花園の菊花展 [植物]

 結局、式典・パレードとも全く見ませんでしたねえ。天皇制賛成反対という前に、関心がないんですね。もちろん大いに祝いたいという人もいるでしょうが(別に否定はしません)、しかし、テレビのどのチャンネルもパレード一色というのはちょっと変な感じがしました。へそ曲がりでも天の邪鬼でもないと思うのですが、全員右に倣えという雰囲気にはどうしても違和感を覚えてしまうのです。

 先日、向島百花園に年間パスポートの更新に行ったことはすでに書きましたが(280円は安い!)、そのときの写真です。今の季節、本当に花がないですねえ。秋の花は終り、かといって今年は紅葉が遅れているのか、サクラやハゼなどの紅葉もまだ1/3-1/5程度。11月初めから「紅葉祭り」なんだそうですが、全く祭りになっていません。久しぶりに一眼とマクロを持ち出してのに撮るものなし。仕方ないので片隅で行われていた菊花展のキクを適当に撮ってきました。
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↓これは菊花展以外の所に咲いていた菊。ハマギクとコンギク。
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多摩のモミジバフウ紅葉 [多摩・名古屋 IH]

 多摩のIHさんからモミジバフウの紅葉写真が送られて来ました。いやあ、すごいですねえ[るんるん]。やはり都区内と比べて多摩地区は紅葉が早いようです。いいなぁこあいあ写真が撮れて。私の周囲のモミジバフウはまだ半分も紅葉が進んでいません。しかも、今年は猛暑のせいか台風のせいか葉が汚い。うらやましい限りです。
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11月3日P1100465 (1).jpg
11月3日P1100468 (1).jpg
11月9日P1070631 (1).jpg
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11月9日P1070650 (1).jpg
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(最初の3枚が11/03、残り5枚が11/09の撮影です(^_-)-☆)
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富士山とご対面 [自然]

 澄み切った秋空なので、もしかしたら・・・と、富士見ポイントまで出かけてきました。ニコンV1に70-300mmをマウントアダプタを介して使用。テレ端35mm換算810mmということもあり、ピントは甘いですがご勘弁を。今冬のときも思いましたがなんとも右のマンションが邪魔ですねえ。今の所に越して来たときにはまだ建てられていなかったと思いますので、その時、富士山が見えることに気づいていればなぁ・・・と、後悔先に立たず[バッド(下向き矢印)]
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(こんなボケ写真でも、富士山を見ると裾野市に住んでいたIUさんが季節便りのように富士山の写真を送って来てくれたことが思い出されます。IUさん、紅葉の写真待ってますよー。(^_-)-☆)
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秋の実あれこれ03 [植物]

 昨日(11/07)のボクシング井上VSドネア、いい試合でしたねえ。
 実は、私、WOWOWで見ていたころからのドネアフアン(その前はパッキャオ)で、歳も歳だしあっさりKOされたら引退してしまうんじゃないかと心配していました。試合そのものはクリンチがほとんどなく、緊迫したもので見応えがありました。試合終了後、井上がドネアの所に挨拶に行った姿も「尊敬しています」という表情が出ていて、ラグビーのノーサイド精神というか、清々しいものがありました[わーい(嬉しい顔)]。ドネアにはもう1、2年第一線で頑張ってもらいたいものです。
↓後日談としてこんないい話も。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191108-00000009-gbr-fight

 秋の実、出し遅れの証文シリーズ?第3弾。まだまだ撮り溜めた写真はあるのですが(質より量(^^;)とりあえず、これでひと区切りとします。m(__)m
↓ハス
ハス実.jpg
↓ハナミズキ
ハナミズキ実.jpg
↓ヒオウギ
ヒオウギ実.jpg
↓ピラカンサ
ピラカンサ実.jpg
↓ヘクソカズラ
ヘクソカズラ実.jpg
↓ホオズキ
ホオズキ.jpg
↓ボケ
ボケ実.jpg
↓ムラサキシキブ
ムラサキシキブ実.jpg
↓モッコク
モッコク実.jpg
↓ヤマボウシ
ヤマボウシ.jpg
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秋の実あれこれ02 [植物]

 昨日に続き出し遅れの証文的写真大放出。要するに、「在庫一掃セール」のようなものです。もちろん、セールといいながらお金なんぞとりませんから(^^;、安心してご覧下さい。こんなんでお金とったら詐欺です(きっぱり!)。
↓コムラサキ
コムラサキ.jpg
↓ザクロ
ザクロ実.jpg
↓サルスベリ
サルスベリ実.jpg
↓シャリンバイ
シャリンバイ.jpg
↓ジュズダマ
ジュズダマ.jpg
↓スズカケノキ(プラタナス)
スズカケノキ(プラタナス).jpg
↓テイカカズラ
テイカカズラ実.jpg
↓トベラ
トベラ.jpg
↓ナシ
ナシ.jpg
↓ナンテン
ナンテン実.jpg
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秋の実あれこれ01 [植物]

 昨日(11/05)は天気もいいし、仕事も端境期なので向島百花園の年間パスポート更新に行ってきました。せっかくなので久々に一眼も持って行ったのですが、紅葉はまだまだですね。

 気がつけばはや11月。秋の実の写真を10月にいくつか用意していたのですが、すっかり出し遅れの証文になってしまいました。今さら・・・とお思いの方もいると思いますが、せっかく用意したのでアップします。ま、過ぎゆく秋をしみじみと感じてみましょうということで。(^^;
↓アオキ
アオキ実.jpg
↓イチジク
イチジク.jpg
↓イチョウ(銀杏)
イチョウ(銀杏).jpg
↓イヌツゲ
イヌツゲ実.jpg
↓ウメモドキ実
ウメモドキ実.jpg
↓オニグルミ
オニグルミ.jpg
↓カキ
カキ実.jpg
↓カラスウリ
カラスウリ実.jpg
↓カリン
カリン.jpg
↓クロガネモチ
クロガネモチ実.jpg

★昨日のコメント欄で、三原じゅん子炎上ツイートにつき、関心のある人は検索してくださいと書いたら、そんなこと言わずに教えてくれというメールが(^^;。これです。
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1105/ltr_191105_6269557650.html
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新宿御苑温室の花 [多摩・名古屋 IH]

 天気もいいので向島百花園の年間パスポートを更新してきました。去年、更新した時、寿命があれば来年も更新しに来ますという会話を交わしましたが、無事更新出来ました[るんるん]。それにしても、年間パスポート280円ってのは安いゾ![わーい(嬉しい顔)]

 多摩のIHさんが、新宿御苑温室の花写真を送ってきてくれました。サガリバナは夢の島熱帯植物園のものは花にであったことがありませんが、御苑のものはちゃんと咲いてくれていますね。モミジ・カエデなどの紅葉にはまだしばらくかかりそうだということでした。
↓キイイトラッキョウ
キイイトラッキョウP1210710 (1).jpg
↓キイイトラッキョウ
キイイトラッキョウP1210714 (1).jpg
↓コエビソウ
コエビソウP1210554 (1).jpg
↓サガリバナ花
サガリバナP1210580 (1).jpg
↓サガリバナ実
サガリバナ実P1210588 (1).jpg
↓パパイヤ花
パパイヤ花P1210546 (1).jpg
↓パパイヤ実
パパイヤ実P1210542 (1).jpg

★うちの奥様が教えてくれたんですが、こんなことがあったんですねえ。デンデン安倍独裁者がどういう人物かわかっていたつもりでしたが、三権分立すら知らなかったとは。憲法改正なんて言っているくせに、日本国憲法読んでいませんね。びっくりポンや。(^^;
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20160609-00058635/
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プルースト「失われた時を求めて」の思い出 [映画・文学・音楽]

 家族で温泉スパに行き、食事をして帰って来ました。なんとなくまだ温かい感じが残っています。気のせいか体も少し軽くなったような感じで快調。この快調さが明日になるときれいに消えてしまっているのが残念です。
(というようなことを書きたかったのではなく、別件でばたばたしているため明日のブログ更新はお休みします。明後日は久しぶりにIHさんからの新宿御苑の写真をアップする予定です。)

 11/3は「文化の日」。現在の日本国憲法が公布された日(1946年)です。明治期に天長節とされその後明治節とされた日でもあります。なぜそれが文化の日なんていうぼんやりとした祝日になったのかについてはGHQとのやりとりなどおもしろいのですが、ここには書きません[ダッシュ(走り出すさま)]
………………………………………………………………………………………………………………………………
 本日のブログは、文中にも書いておきましたが、私の読書忘備録です。今までこのてのものは「迷走ダイアリ」
https://meisoud.blog.ss-blog.jp
 のほうに書いていたのですが、So-netがわけのわからないSSに変更されて、2本のブログを立ち上げようとするとうまくいかなくなってしまいました。仕方がないので、文学、映画などの感想、雑文などもこちらにアップすることにしました。歳とともにボケが進み、今回のプルースト「失われた時を求めて」の主人公(語り手)のように過去を全面的に思い出すこともなく、思い浮かぶ断片をだらだらと書いていたら、ずいぶんと長くとりとめのないものになってしまいました。読んだところで何の役にも立ちません(キッパリ(^_-)-☆)。あくまで個人の忘備録ですので、スルーを推奨します。

 先月、時々訪れる某プログを読んでいたら、電車の中でプルースト「失われた時を求めて」を読んでいる女性のことが書かれていた。あの作品を電車の中で読もう(読める)というのが、ともかく凄い。私にはそんな芸当はとてもできないが、読んだことはあるので思いつくまま書き留めておくことにする。

 私がプルーストの名前を知ったのは、1960年代初めにロバート・アルドリッチ監督(「ベラクルス」「ロンゲストヤード」)の映画「ソドムとゴモラ」が公開されたころだ。当時の映画は大作史劇がブームで、「ベン・ハー」「キング・オブ・キングス」「エル・シド」などの音楽をてがけたミクロス・ローザが音楽を担当しているというので、見に行ったわけだ。が、映画自体は平凡な出来で発色も悪くつまらないものだった(題材は旧約聖書)。
https://www.youtube.com/watch?v=6Fy_pmErDg4
 その直後に本屋で「ソドムとゴモラ」という新潮文庫を見つけた。
 映画を当て込んでプルーストという作家が書いたノベライゼーションかと思ったので気になった。「戦艦バウンティ」のように映画はイマイチでも原作はおもしろいことがあるのだ(反対に「ベン・ハー」の原作はつまらなかった)。「聖書」など読む気もない無信仰ダメ人間としては、映画をノベライズしたスペクタクル小説があるのなら、ぜひ読んでみたい。
 ところが、パラパラと内容を見るとそんな古代の話ではなく、20世紀初頭の話のようである。映画のような合戦シーンなどありそうもく、所謂「地の文」が延々と続いている。これはいったい何なんだとその文庫本はとりあえず本屋の棚に戻した。それでもやはり気になるので、後家に帰り、プルーストという作家のことを百科事典で調べてみた。それでようやく「ソドムとゴモラ」は、マルセル・プルーストというフランスの作家が書いた「失われた時を求めて」という大長編の一部だとわかった次第。
 要するに、大作家プルーストを知らなかったわけで、いやはや、どうしようもないですなぁ(^^;。

 その時は、なんだかバカ長い小説なんだなぁと思っただけなのだが、その後、あれこれ文芸評論など読んでみると、この「失われた時を求めて」を20世紀最高の小説とする人が「意外に」(←個人の感想です)多い。ただ、この小説、推奨している人たちは本当に読んでいるのかと思えるくらい、ともかく長い。ルナール「博物誌」の「蛇」ではないが「長すぎる」と断言しても誰も反論しないと思う。それまでに私が読んだ最も長い「純文学」(こういう区別は好きではないが)の小説はトルストイの「戦争と平和」だと思うが、それよりも遥かに長い。倍はあるはずだ。
 しかも、「戦争と平和」ならナポレオン戦争の攻防、「カラマーゾフの兄弟」なら父親殺しといった「ポイント」があるのだが、「失われた時を求めて」にはどうもそういうものがないようなのだ。百科事典を読んでもいったいどういう小説なのかピンとこない。
 となると、これはもう読むしかない。
 ただ、こういう構造が複雑で多くの人間が錯綜する大長編を読み通すには、時間と体力と何が何でも読み通すぞという決断が必要となる。しかし、「凄い小説」という先入観があり、しかも気を失うほど長い、ちょっと構えてしまうというか、ビビってしまうというか、迷ってしまうというか、その決断がなかなかできない。決断するまでにあれこれ迷っているうちに疲れてしまいスタートが切れないことも当然にある。
 「失われた時を求めて」は有名な小説だが、しかし、完読した人が少ないだろうことは容易に想像出来る。しかし、それが、名古屋人の私のやる気に逆に火を点けたのだ。読もう!決意したときにはもう社会人になっていたが、その決意には何よりも名古屋人特有の「見栄」が重要だったのだったと思う。ただひたすら、「読んだぞー!」と皆に自慢したいだけのために、無謀にも私はこの大長編に挑んだのだった。
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 選んだ本は、筑摩書房世界文学大系の「プルースト」。
 というか、新潮文庫から何人かの共同訳は出ていたものの、個人訳は筑摩の井上究一郎訳しかなかった。今では各氏の訳が出ているのだが、当時は選択の余地などなかったのだ。予告では全3巻で、第一巻には第1篇、第2篇が収録されており、菊判8P3段組みで628ベージもあった。ちなみに全3巻という予告は予想通り噓であり、第2巻と3巻はそれぞれA、Bに分割され全5巻になった。次の巻が出るまでに1年以上あったときもあり、しかも、訳者の高齢を考え、訳が完成したところから出していこうという苦肉の策からだろうと思うのだが、第3巻はBのほうがAより先に出版されるという大暴投もあった(^^;。Aの前にBを読もうという人などまずいないのだから、筑摩書房は内容のある本を出してくれる出版社だが、いくら何でもこのあたり少し考える必要があったのではないかと思う。
 ちなみに筑摩書房の「約束違反」としては、私がまだ名古屋にいるときときに買い出した筑摩の「世界古典文学全集」は第一巻(確か「ホメーロス」だったと思う)が出たのが1964年。毎月1冊刊行と予告されていたのだが、全50巻54冊が完結したのはナント2004年。40年もかかっているのだ。当初の計画が甘く杜撰だったと言わざるを得ない。出版社として1番大切なのは読者だということを考えると、筑摩書房の出版計画には、やはり問題があったと断言したい。
 閑話休題。
 感想の前に、「失われた時を求めて」はどんな構成からなっているのか、全体構成をあげておく。
第1篇 スワン家のほうへ 1913年
第2篇 花咲く乙女たちのかげに 1919年
第3篇 ゲルマントのほう 1921年
第4篇 ソドムとゴモラ(私が映画を「原作」と勘違いしていたのはこれ)1922年
第5篇 囚われの女(以下、未定稿)1923年
第6篇 消え去ったアルベルチーヌ 1925年
第7篇 見出された時 1927年
 ちなみに、読了したのはもうずいぶんと前のことであり(1990年代だったと思う?)、最近ボケてきているので、記述が前後したり間違っていたり誤解していたりするところもあると思う。いゃ、まちがいなくある(きっぱり)。それくらい自分でもほとんど理解出来ていない読書とも言えない読書だったと思う。しかし、今のボケの進行の早さを考えると、そのうちに読んだという記憶すら失われてしまうかもしれない(^^;。いや、まちがいなく「失われた時を求めて」だ。忘備録を書いておこうと思った所以である。そんないいかげんな人間が書いている雑文なので、万が一つき合って読んでくれている人がいたとしたら、くれぐれも書かれていることを信用しないでほしい。m(__)m

 第1篇「スワン家のほうへ」の第1部「コンブレー」の冒頭は、
「長いあいだに、私は早くから寝るようになった」(井上究一郎訳。以下同)
 という、有名な一文で始まっている(この冒頭の「半過去」の扱いについてはいろいろな議論があることは知っているが、ここでは立ち入らない。というよりフランス語に疎い私では立ち入れない(^^;)。大長編だとしても最初の1行なので、ここだけは読んだという人は多いのではと思う。不眠症と思われる主人公(話者)の脳裏には、毎夜うつらうつらとする間に過去のいろいろな出来事が浮かんでは消える。しかしそのどれもが明確な輪郭をもたず断片的なもので、そういえばあのときこんなことがあったなぁというようなもの。これは私を含めて誰もが過去を思い出そうとするときに経験のあることだと思う。そんなある夜、プチットマドレーヌの混じった紅茶を口にした味覚からかつてコンブレーでの紅茶が思い出され、
「・・・全コンブレーとその近郷、形態をそなえ堅牢性をもつそうしたすべてが、町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである」
 心の奥底に沈んでいたコンブレーの記憶全体が鮮やかに具体化された、これまた有名なシーンである。この第1部は、近隣に住むスワン氏やその娘のジルベルトなどかつてコンブレーで知り合った人々なども紹介した後、「私」が目を覚ますところで終わるという見事な構成である。

 第2部「スワンの恋」では、その十数年前の物語でスワン氏が娼婦オデットに恋をし、翻弄された末けちょんけちょんに手ひどくフラレル顛末が描かれる。他の章とは少し、いやかなり異なった雰囲気があってちょっと戸惑うがこの一編だけ独立させても十分に中編小説として成立する出来映えにある。正直、第1部のあまりに淡々とした進み具合にいさか退屈してきた私にはこの第2部はとてもおもしろかった。その失恋したスワン氏が、恋愛の熱もさめたころ、スタンダールのザルツブルクの小枝よろしく、なんであんな女に熱中したんだろうと吐き捨てるあたり、失恋経験のある人なら「わかる、わかる」と賛同するはずである。もっとも、スワンの恋のパックグラウンドにはオデットに誘われて行ったサロンで演奏されていたピアノソナタが基底音のように流れているのだが、クラシックの素養のない私にはもう一つよくわからなかった。
 ところがだ、時制が戻った第3部「土地の名、名」になると、なんとスワン氏とオデットは結婚していて、ジルベルトという娘までいるのだ。おいおい、いくら好き者同士だといっても、いいかげんにしろよ、とつい言いたくなるではないか。

 第2篇「花咲く乙女たちのかげに」は、以前、河出書房の豪華版世界文学全集にこの巻だけが収録されていた。ゴンクール賞を受賞したと書かれていたので(どんな賞なのかは知らず)名作だろうと読み始めてはみたのだが、途中でわけがわからなくなり脱落。ただでさえ複雑に入り組んだこの小説を、いくら全体のあらすじが示されているとはいえ、いきなりこの第2篇から読めというのは無理がある。筑摩版での再挑戦となった。
 第1部「スワン夫人をめぐって」では、ジルベルトとの恋の様子が描かれるが、これは第1篇第3部「土地の名、名」に続く話で、ここから読まされたのでは、いったいこれは何だと迷ってしまったのも無理はない。そのジルベルトとの恋も自然消滅。いわゆる「性格の不一致」というやつだ。ここでもピアノソナタが一つの流れを作っていて、クラシック音痴はここでもまた悩んだりするわけである。
 第2部「土地の名、土地」(1部の2年後)では主人公は北フランスの避暑地にやって来て、スワン氏から聞いていた教会建築の美術的考察や、上流階級の娘たちとのやりとりなどが描かれる。なんといっても「花咲く乙女たち」なので好き者の主人公は、いろいろな女性にちょっかいを出すのだが、本命アルベルチーヌにはキスを拒絶されてしまう。なぁんて書いているが、実は、このあたりからかなり記憶が曖昧なってきているのだ。主人公はピアノ教師や作家と出会い、当然のように音楽談義、文学談義が交わされるのだが、こちらの無知故についていけない。ナントカ(名前を忘れた(^^;)公爵夫人にあったり、第3篇で本格的に登場するゲルマント公爵の弟に会ったりするのだが、そうした「上流階級」の生活というものが、縁のない私にはどうしても具体的にイメージ出来ないのも、読み進めるのが苦痛になってきた一因と言える。

 というわけで、第3篇「ゲルマントのほう」以降は、意地になって活字を追ってはみたものの、それは到底「読む」という行為とはほど遠いものであったことを告白しておく。主人公はパリに引っ越すが、この主人公、希代の好き者でこんどはゲルマント侯爵夫人に対するほとんどストーカー。ドレフュス事件(ユダヤ人ドレフュス大尉がスパイ容疑で逮捕された有名な冤罪事件)が話題になり、おおっ世界史で習ったことがあるぞと思ったことだけは、けっこうはっきりと覚えている。その後、確か祖母の死があり、以前、キスを拒絶されたアルベルチーヌとようようキスをする。おいおい、どっちが好きなんだ?と思っていると、キスの魔力かゲルマント侯爵夫人への欲望はいつの間にか冷めてしまっているといったぐあい。まさしく第1篇第2部「スワンの恋」と同じじゃないか。オペラの話など出てくるが、歌劇というものにあまり興味のない私は完全にお手上げ。

 第4篇「ソドムとゴモラ」になるとさらに記憶は薄らぎ、なんだか同性愛についての考察が延々とあったことくらいしか覚えていない。同性愛を否定するつもりはないが全く興味のない私には、はっきり退屈な進行だった。おまけに、結婚しよう考えていたアルベルチーヌまでレズビアンであることがわかる。そのあたりがタイトルとも関係しているわけだが、古代史劇スペクタクルの映画とは全く関係ないのは、すでに書いた通り。

 第5篇「囚われの女」も同性愛の話が続き、うんざり状態も続く。レズビアンであることがわかり結婚を断念しようかとまで思ったアルベルチーヌとパリで同棲生活を始めるのも第1篇のスワン氏のパターンと同じ。まあ、こういう同棲はうまくいかないぞと思っていると予想通りストレスオーバーフローになり、主人は別れを切り出すのだが、直後アルベルチーヌは姿を消してしまう。

 そして、第6篇「消え去ったアルベルチーヌ」(井上訳では「逃げ去る女」)でも同性愛の物語は依然として続いている。くどいようだがもう一度書いておく。同性愛を否定する気はないが、全く関心がない私としてはなぜそうしたことで悶々としなければならないのか実感がわかず、それが延々と続くのである。分量的には第4篇以降の同性愛部分だけで「カラマーゾフの兄弟」よりも長いくらいで、正直、活字を追うのが辛かった。主人公は、乗馬での事故でアルベルチーヌが亡くなった(おおっと「風と共に去りぬ」の父親や娘の死因と同じだ(^^;)ことを知り悲嘆にくれるわけだが、ヴェネチアに行くころにはそれもほとんど消えてしまっている。去る者は日日に疎しとは言うものの、あの「悶々」はいったい何だったんだと、一言問い糺したい。パリに戻って、第2篇第1部での恋愛対象ジルベルトの結婚を知ったりもして、この巻終り。ホッ。それにしても、第3篇以降は読むのがつらかった。理解もなく読み進めるのは苦痛以外の何ものでもないが、しかし、ここまできたら名古屋人の見栄と意地をかけても読了したいと決意。

 そして、いよいよラストの第7篇「見出された時」
 主人公は療養生活からパリへ行ったりまた療養に戻ったり、文学に懐疑的になったり、文学に対する自己の才能と文学のもつ力を確信したりと忙しい。SMがあったり、ジルベルトの夫が戦死したりと周囲も忙しい。プルースト死後の刊行ということも関係しているのか、少し書き急いでいるような気がしないでもない。主人公は再びパリにやって来るのだが、ゲルマントの邸宅の敷石につまづいた瞬間、ヴェネチアでも同じような体験をしたことを思い出す。と同時に忘れていた過去の記憶が次々とわき上がり、全体像として浮かび上がって来た(第1篇第1部「コンブレー」のプチットマドレーヌの混じった紅茶ときと同じネ(^^)/)。私なら石につまずいたらギックリ腰になるのがオチだが、それで過去の全体像が再び浮かび上がってくるとは、さすが芸術家はちがう。
 こうして全面的に浮かび上がった生々しいまでの過去と比べて現在(現実)はどうだ。主人公の眼前に存在する、ゲルマントのパーティーには、すっかり年老いた人々が並ぶばかりである。時というものの残酷さを見せつけられるわけで、つまりそれは、主人公自身にもそれほど長い時間は残されていないということだ。
 ここに至って、主人公は、そうした時の流れに抗した、確固たる何かを文学の上に定着しようと決意するのだった。主人公はプルーストそのもので、時の流れに風化されない文学とは、まさしく延々と読んできたこの小説そのものだと誰もが思うはずである。感動的なラストで、途中かなり嫌になっていた私も、ここにきてようやく目が覚めたゾ(^^;。
 長い長い永遠に続くかと思われた物語は、こんな一文で締めくくられている。
「・・・そうした人間たちは、多くの歳月の投げこまれた巨人として、あのように多くの日々がそこにはいってきて位置を占めたあのようにへだたったさまざまな時期に、同時にふれるのだからーー時の長いあいだに。」

 時代はかわり現在では「失われた時を求めて」の翻訳は、私が苦労して活字を追った井上究一郎訳のほかに、集英社文庫(鈴木道彦訳)、光文社古典新訳文庫(高遠弘美訳)、岩波文庫(吉川一義訳)などが出ている。それぞれに微妙な工夫があり、たとえば冒頭の一文は、
「長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった」集英社文庫
「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた」光文社古典新訳文庫
「長いこと私は早めに寝(やす)むことにしていた」岩波文庫
 これを、
「長いあいだに、私は早くから寝るようになった」という私が読んだ井上究一郎訳と比べるとずいぶん読みやすいように思える(気のせいかもしれないが(^^;)。が、全編を通してすらすらと読めるかというと、確認してはいないが、そうではないと思う。その原因の一つはプルーストの文章(文体)にあると思う。原本を見ると文章の一つ一つが異様に長い。フランス語の意味はわからなくても、文章の一つ一つが長いことくらいは、私にもわかる。たとえば、こんな感じの文章なのだ(以下の一文は私の創作です)。
「出かけようかどうしようかさんざん迷ったあげく、とうとう出かけようと決心はしたものの、玄関を出て数歩歩いたところでベランダの鍵は閉めたのだろうかと気になり始め、確認すべきかどうか考えた末、いや確かに閉めたはずだと結論はしたのだが、それでも一度気になった心配事が消えてくれることはなく、やはり確認すべきだろうと溜息をついてから玄関の鍵を開け、ベランダの鍵を確認したところきちんと閉められてはいたのだが、このころにはすっかり出かけようという意欲は消え失せており、私は、出かけないことに決めた」
 さっさと決めろよ、と言いたいところだが俗にいう「意識の流れ」を描く小説とはこういうものなのだ。主人公のああだこうだ、なんだかんだという意識の流れにつき合うしかない。

 そのつき合う根気が今の私にはもうないような気がする。
 ドストエフスキーの諸作のようにちがう訳者でもう一度という気になれないのだ。が、それはただ文体だけのものではなく、これまでの私の生活とは全く縁のない上流社会特有の雰囲気になじめないめないこともあるのではないかと思う。これといった仕事もしていない「恋愛体質」の主人公がちょっといい女がいるとすぐ好きになりくっついたり離れたり、ふられたりして「深刻」になったり悩んだりしたところでスワン氏ではないが、それが何だというのだ。貧乏人の老人としては、いいご身分で他に悩みはないのかとつい問い糺したくもなる。もちろん、私が、作中で語られる建築、絵画、音楽、料理などについての知識をほとんどもっていないということも大きな要因だ。「負」の要素がこれほどまでに積み重なると、無知無縁の生活をおくっている私としては、どうでもいいじゃないかそんなことと思えてしまうのである(要するに理解出来ないことへの弁解と負け惜しみである(^^;)。
 この小説を読み終えるのには、何回もの中断を挟み、累計一年近くはかかっている。
 が、その月日に比べて、ともかく読んだぞーということ以外に感動、達成感というものはあまりなかったと思う。その点ではプルーストに申し訳なくも思うのだが、まさしく、これは読者を選ぶ小説で、読者のレベルに合ったものしか与えてくれないのだ。つまり私にとってこの小説を読んでいた期間は、こちらの未熟故の「失われた時」だったのかもしれない。が、その失われた時を未だ私は「見い出」してはいない。ううむ・・・[もうやだ~(悲しい顔)]
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なかよし?アゲハ [昆虫など]

 ベランダのユズの木にいた仲がいいのか、蛹になるときもベランダの戸の下のへんな所でなってしまいました。この時期ですと99%越冬蛹だと思いますが、こんな場所だととても写真を撮る気になれません。
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★夫の河井法相は逃げるように辞任したわけですが、選挙違反をした当の本人である河井案里奥様は辞任する気は全くないようですなあ。議員という肩書きがあれば何もしないでも2000万以上の年収が保障されますから、夫婦揃って議員はやめないんでしょう。
 それにしても1週間に2人も立て続けに辞任するとは、もはやオンボロ内閣を通り越して掃き溜め内閣とでも言うしかありませんなあ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191031-00000050-mai-pol

★wildboarさんのコメントにリプライしたのですが、なぜか表示されません。
 公職選挙法に問われて辞職した法相に関して、ウグイス嬢の報酬が安いのではなんていう話は、完全に問題の「すり替え」です。窃盗罪に問われたおっさんが、給料が安いからだと居直っているようなもので、論理整合性はゼロですな。
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知多の日々気まぐれ日記:2019年10月 [知多特派員より KS]

知多の日々気まぐれ日記:2019年10月

 あっという間の11月です。
 月初めは、恒例の知多KSさんからの「日記」。文中にも出てきますが、りっぱな柿大量に送ってもらいました。まだちょっと硬いのですが甘みもあってなかなかのものです。これも文中にありますが、KSさんもいよいよ12月には奥様のもとに帰られるようです。環境が変わっても日記は続けてくれるのだろうかとか、もし続けてくれるのなら「知多特派員」では合わないのでカテゴリー名を変えなくてはなどと考えています。
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10月1日(火)
 風は無く暑くない朝だったが途中から汗が出た。雲が多く星はほとんど見えなかった。
 昨日の最高気温は名古屋で34度だったそうだが、今日も暑く31度まで上がったそうだ。10月なのに信じられない気候になったものだ。今後地球はどうなっていくのだろう。

10月2日(水)
 風が少し吹いていて気持ちのいい朝だった。今日も星はちらほらとしか見えなかった。
 アニマルボイスさん、Wildboarさん、Junkoさん、リス太郎さん等色々な人のブログがSo-netの切り替えで大変だったことが皆さんのブログの中に記載されていた。当方さっぱりわからない。アニマルさんは切り替えが出来なかったら今のブログは止めようなどとまで言われていた。So-netは不親切極まりないと言うことなんだろうか。良く分からない。
 北朝鮮は今朝弾道ミサイルを1発発射したとか。分からんなあ。香港はついに警官が反対住民に発砲し重傷を負わせたそうだ。益々おかしくなっていくのは明らかだと思われる。

10月3日(木)
 今朝も気持ちのいい朝だった。
 関西電力の原子力発電所建設にかかわる汚職問題が大問題となっている。見知らぬドンによる贈収賄、そんなものに何故に大企業の関電がかかわってしまうのか。大企業はガンとしてそういうやからをはねつけるものだと思っていたが、実質は理解不能なことが行われていたようだ。色々大小の会社が存在するが、法を順守する会社とそうでない会社は永遠に存在し続けるような気がする。

10月4日(金)
 夜中に雷が鳴っていた。その後豪雨の様な雨が降ってきた。早朝ウォーキングは中止。カミサンが来てくれた。明日は夕方「おたいや」、明後日は母の1周忌。風の強い暑い日だった。

10月5日(土)
 風が強く寒いくらいの朝だった。昨晩は上さんに合わせ夜10時に寝、今朝は4時半に起きた
 今日は「おたいや」。義妹、おば2人、弟夫婦、我々、息子家族の子供も合わせて12名。おっさんに来てもらい5時から念仏。その後は雑談。暑い日だった。夜はラグビー観戦、ルールは殆ど分からないが面白かった。日本3連勝。就寝は昨晩と同じ10時。

10月6日(日)
 今朝も寒いくらいの朝だった。全天曇り。
 今日は母の1周忌。昨晩の「おたいや」出席メンバーと同じ。11時からお寺で祈祷約30分。雑談の後墓参り。その後会食。東京に住む弟夫婦は会食後太田川駅まで送って行った。あとは来年の3回忌。日付は決めてお寺に予約しておいた。昨日、今日と競馬中継は見なかった。

10月7日(月)
 今朝は6時起きとなってしまった。寒いくらいの朝で、長袖にした。全天曇り。
 カミサンを10時過ぎに太田川駅まで送っていった。いろいろとやってもらい大変助かった。12月には自分は埼玉に帰り夫婦生活が再開する。12月の棚経の時に、今の仏壇の精抜きと新しい仏壇の本尊さんと位牌に精入れをしてもらう予定で、再び家族が集まることになった。
 ドラマ「最上の名医」2019SPを観たが、これは本筋を外したドラマ、奇をてらったものと感じた。途中から見る気がしなくなった。過去の地道な名医の物語から遠く離れてしまっていた。(←管理人・同感)

10月8日(火)
 風は無かったが涼しい朝だった。今日も全天曇り。
 日曜日でやるべきこと総て完了。気が抜けた感じである。あとは引っ越しに伴う整理。ここ実家に預かってもらっていたアルバム等の取捨選択、思い切った判断が必要かも。埼玉のマンションは広くは無い。電話が鳴り受話器を取ったらプツンと切れた。おかしな人間がいるものだ。普通かけた電話が間違いだと思ったら、すみません間違いました、とおわびする。プツンは無いだろう。

10月9日(水)
 風が強く寒いくらいの朝だった。星々が良く見えた。陽も照り洗濯物はよく乾いた。スーパーへの買い出しも予定通り。あとはテレビ観賞で一日が過ぎた。
 愛知トリエンナーレ問題が話題に上がっている。是か非かではなく、まあ出したいと言う芸術家(?)がいて、それを認める裁定者。そういった芸術作品(?)が展示されたのだろう。芸術性など自分には判断基準が無いため分からない。天皇陛下の写真を燃やして靴で踏みつぶす、韓国の慰安婦像の展示、こういうものが芸術なのか?分からん。そうだと考えている人間がいるのだろう。正直を言えばこれらは芸術だとは認めないな自分は。こう判断することも自由なことである。ようするに何をやってもいいと言うことなのだろう。極端な発想では「強姦している」画像を展示してもいい、という考え方だろう。はたして、そうだろうか?

10月10日(木)
 風が有って寒いくらいの朝だった。星は良く見えた。証券会社に行ってきた。株の売却に伴う確定申告の件について説明を受けたが、えらく面倒くさい様だ。ノーベル化学賞に吉野さんが選ばれた。喜ばしい事だ。人の好さが十分感じられる。

10月11日(金)
 今朝は気持ちのいい朝だった。星は見えなかった。大型台風が近づいており心穏やかでは無い。
 夕方コンビニにスポーツ新聞を買いに出かけたが、途中2度も休憩をした。何でだろう。明日は台風19号で大変な天候になりそう。はたして競馬は開催されるのだろうか。

10月12日(土)
 今朝は雨降りの為ウォーキングは中止。台風の影響で今日1日中雨のようだ。はたして風がどうか、昼3時現在は風は強くは無い。雨は降り続いている。京都競馬は開催されているが熱が入らない。ただテレビで見ているだけの感じ。東京競馬は中止で代替開催は月火のようだ。結局当地では台風19号の影響は少なかったようだ。風は結構吹いていたがひどいものでは無かった。

10月13日(日)
 風は強く吹いていたが気持ちのいい朝だった。満月と星々が良く見えた。台風19号関東方面は大雨で大変だったようだ。千曲川の堤防が決壊し住宅街に川の水が流れ込んでいる様をテレビで延々と流していた。何年か前の堤防の決壊による災害を思い出す。川の近くに住むのは危険なことだと思う。土砂崩れでも何人か亡くなっている。山裾も怖いところだ。昼前で死者11名、行方不明13名と大変なことになっている。

10月14日(月)
 風が少し吹いており気持ちのいい朝だった。全天曇り。NHKによれば台風19号の被害は、全国で死者31名、行方不明14名とのことで大変なことになった。
 ラグビーはベスト8確保。次戦は南アフリカ戦。
 今日の競馬は持久戦の様な物で、何とか勝利した。2レースの単勝をゲット。大声で声援した。ガッツポーズで気持ち良かったなあ。配当は大したことは無いが、自分が選んだ馬が1着に来ると言うことは実にうれしい事だ。明日も競馬が有る。

10月15日(火)
 風が吹いており寒い朝だった。そろそろ薄いジャンパーが必要かも。月も星も良く見えた。
 今日は台風の影響で先週土曜日の競馬の代替競馬が開催された。全く異例の4日間連続の競馬開催だった。来週も今週の東京日曜競馬が不開催となったことで21日(月)に代替競馬が開催されるそうだ。大変な台風被害が全国に渡っているが、競馬社会にも影響が大きく出ている。

10月16日(水)
 今朝も風が有り寒かった。明日からジャンパーを着よう。全天曇り。台風被害の様子が報道されているが、大変なことだ。死者74名、行方不明11名。株売却金額を弟、甥に送金してきたが、一人送金できなかった。ATMは1日100万円未満ということを忘れていた。明日送金する。

10月17日(木)
 風が少し吹いていて気持ちのいい朝だった。月と星が良く見えた。今朝は朝倉駅方面まで歩いた。
 株売却代金残り1人に送金完了。相続に伴う農地の登録書類提出完了。実に面倒なことだ。2件の田、畑は永久に売れそうにないようだ。自分が農家を引き継いでいれば米を作ったり、玉ねぎ、サトイモ等の耕作はしていただろうが、歳も歳で数年の内には廃業せざるを得ないことになるのだろう、そうしたことが見え見えなのに田畑の売却が不可能に近いと言う知多市土地改良区制度は何だったのだろう。自分以外にも多くの人が同じ悩みを持っておられるだろう。自分が死んだ後も息子、孫にまで同じ悩みが引き継がれるような気がして何とも悩ましい土地である。が、このことは弟、甥2人との共同責任で了解してもらい気持ちは和らいでいる。

10月18日(金)
 今朝は雨降りの為早朝ウォーキング中止。一日中雨降りだった。
 最近の自分が観るテレビ番組(You tubeから)は主に東海地方のテレビだが、面白いのは「虎の門ニュース」。明らかに右傾の解説者の話だが、面白い。聞いていてそうだよなあ、というニュースが多い。右傾のニュースはどうかなあという意見は聞くが、聞いていると面白いのだ。自分は左傾でも右傾でもない。凝り固まった意識は持っていないと思うが、はたしてどうなのだろう。育った環境で植え込まれた考え方が有るのかは知らない。
 東京オリンピックのマラソン開催地が札幌に変更されると言うニュースが出ていたが、馬鹿げたことだ。何でこの時期に?理屈は充分わかるが、もっと前に話しあうことだったように思う。森は何をしていたのだろうかね。そもそも根本的にオリンピックの開催時期をこのひどい時期にするのか、明らかにすべきだろう。アメリカの強欲から離脱して。
 久しぶりにミュージック、歌謡曲を聞いた。韓国歌手のキムヨンジャ。あの消えそうなかすれ声で歌うハスキーな声、大好きだ、久しぶりの感動だった。

10月19日(土)
 今朝は強い雨の為早朝ウォーキングを中止したが、スポーツ新聞を買うために車を走らせた。何と今朝は2時に起きてしまった。最近起床時間が極端に早まっている。どういうことなのか。就寝時間は概ね午後8時頃。台風19号による災害状況が今日も報道されているが、自然災害は本当に恐ろしい事だ。災害に会った人々にお悔やみを申し上げたいが、災害は何時自分にも降りかかってくるか分からないことをしみじみと感じる。運不運の世界なのだろうか。

10月20日(日)
 風が程よく吹いていて気持ちのいい朝だった。半月に近い月と星々が良く見えた。
 裏のおばさんから、神棚の処理をどうするかについて八幡神社に相談するようサジェッションをもらった。自分はほおっておけばいいのじゃあなかろうかと思っていたのだが、やはりそうはいかないようだ。神棚のとなりのお不動さんも同じことなのか。台所にも訳の分からない神棚が有る。これら総てほおっておこうと思っていたのだが、おばさんからちゃんとそれなりに処理をしないとあかんよと言われた。さてどうするか。
 今日の競馬は完敗。最近勝ち馬を見つけることが出来なくなっている気がする。何故なのかは分からない。競馬を止める時期なのかもしれない。
 晩飯はインスタントカレーライスにしたのだが、食後の薬を飲むのを忘れていた。何かおかしい。

10月21日(月)
 今朝はウォーキング中止。車でスポーツ新聞を買ってきた。今日も東京競馬が開催される。
 昨晩のラグビーは観ていなかった。結果は完敗だが、日本、良くここまで頑張ったと言う感じだ。これからラグビー人気は続くだろう。それに比べ競馬はすたれる一方の様な気がする。パチンコもあかんだろうな。パチンコをしたのは何時だったか。遥か昔の気がする。どんなギャンブルをするにしても必要なのは資金であって、余裕が有れば自由に賭けていいが、資金がきつければセイブするのが一般常識。今日の競馬も、負けだった、くー。
 夕方田を貸している近所の人が田の水道料金の負担の話で来られた。来年から水道料金を振り込んでくれることになった、が当たり前のことで何故にこれまで請求しなかったのか、人が良すぎる、ということだったようだ。金が溜まらない体質そのものかも。

10月22日(火)
 雨降りの為ウォーキング中止。
 八幡神社に古く溜まったお札を返しに行ってきた。神主さんに神棚の処理について聞いた。簡単なことでお札を捨てる小さな小屋に収めればいいとのこと。神主さんがお祓いをした後に焼却処分をするそうだ。
 今日は天皇陛下即位の礼で祭日となった。儀式が延々と報道されていたが、あまり関心が無くピンと感じるものが無かった。特に女性貴族の12一重で歩く様は感心できなかった。世界各国から代表の方々が出席されていた。即位政令殿の儀の間、天皇陛下は首を少し右に傾けておられたのが気になった、癖なのだろうか。

10月23日(水)
 風は無かったが気持ちのいい朝だった。三日月と星が良く見えた。
 今日は定期内科検診。血圧、心音は異常無し。採血した。結果は来月。インフルエンザ予防接種をしてきた。費用は市の援助が有って1000円の支払い。
 DCMカーマに行き、住所変更案内はがきを予約してきた。まだ日にちは決めていないが12月終盤になると考えている。有馬記念が終わってからかな。
 台風19号による水害の廃棄物処理が大変なことになっている。処理には何年もかかるだろう。地球的大損害である。恐ろしい事だが、今後もこのような災害の発生危険は大いにあるだろうな。

10月24日(木)
 朝雨降りの為早朝ウォーキングは中止。明日の天気はどうなんだろうか。天気予報ではどうも雨の様だ。
 毎日の事だが朝は仏様、神様にお水お茶を差し上げ、お供え(毎日ほぼ卵焼きとウィンナ)を飾る。今年の12月中旬まではこの生活を続けることになろうか。
 世の中には自分の意見を世間に公表したいと言う人が多い様だ。友達のアニマルボイスさん、ワイルドボアさんを始め他の方のブログを毎日拝見しているが、ブログの内容に対して色々な人が何かしら意見を投稿されている。たまに自分も投稿をするが、毎日のように投稿している人がおられる。要するに話が好きな人たちなのだろう。私の今の環境では一日中誰とも一言も話をしないことが度々。そんな環境で寂しければこれらのブログに意見具申をするだろう。便利な世の中になったものだ。近所に近しい人がいなくても他人と会話、コミュニケーションが取れると言う世の中になった、ということの様だ。

10月25日(金)
 今日も雨の為ウォーキングは中止。一日中雨だった。
 新しく購入したPCで画面に「設定を開きWindowsのライセンス認証を行ってください」という表示が消えなく続いていたため、知多メディアスネットワークに連絡して対応をしてもらった。また、Windows7ではブログ等の表画面へのショートカット操作が簡単だったのがWindows10では出来なく、その方法を教えてもらった。少し面倒だが出来るようになった。これまでいくつも使っていたショートカットを新しいPCに設定した。新しいバージョンになるのにめんどくさくなるのは珍しいことだと思う。

10月26日(土)
 風は無く気持ちのいい朝だった。月は見えなかったが星は良く見えた。
 今日と明日は知多産業まつり。毎年開かれているが土日の為自分は競馬が優先で参加していない。午後に太鼓の音がすごく響いてきていた。直に聞いていたらものすごい迫力だろう。明日も響いてくるだろう。本日も競馬は完敗。勝ち馬が見つけられない。ド・スランプなのかも。

10月27日(日)
 今日も風はなく気持ちのいい朝だった。全天曇り。途中市役所周りに産業まつりのテントがいくつか見えた。産業まつりは昨日と今日の2日間。今日は太鼓の音は聞こえなかった。
 今日の競馬も惨敗。一つも当たらなかった。天皇賞は単勝を買った馬は4着。
 義妹が前田の畑の柿の木から柿をもいで持ってきてくれた。これが最後となる。早速1個を食べてみたがまあまあうまかった。管理人さんに送付するよう段ボール箱を手配しよう。自分は糖尿病のため果物は厳禁。したがって採れた柿は毎年管理人さんに送ってきた。

10月28日(月)
 今朝はいつもと違うルートを歩いた。全天曇り。今日は資源回収の日。係の人が手伝ってくれあっという間に降ろし終えた。段ボール箱をもらってきて柿を詰め終えた。

10月29日(火)
 風が少し吹いていて気持ちのいい朝だった。全天曇りで星は見えず。
 連日風水害の報道がされている。国土土木施設の軟弱さが出ているが、情けないことだ。特に河川防ちょう施設の崩壊などもってのほか。専門家は何を提言してきたのか。また何で橋、道路が崩壊するのか、信じられない。日本の土木建築技術はまだまだ未熟なものだということだ。自然に対して人間の知力は未熟なものということだ。永遠に追いつかないのかもしれない。

10月30日(水)
 風が少し吹いていて寒いくらいの朝だった。星はよく見えた。歩道を汚していたギンナンのつぶされたごみはおおよそ無くなってきた。午前6時ころ外に出たら霧が出ていた。全国的に発生しているとテレビで放送していた。柿を管理人さんに送ってきた。これが最後の柿となる。はたしてミカンは送れるだろうか。全く久しぶりにホットコーヒーを作った。何か月ぶりだろう。インスタントだが懐かしかった。これからはホットコーヒーか。
 10月も明日で終わり。月日が経つのは本当に早い。埼玉に帰るのは12月終盤と考えている。12月の有馬記念を見終えてからインターネット、ケーブルテレビ、電話回線すべてを解約する予定。埼玉に帰ってすぐにこれらの新規登録をお願いする予定(業者は今はわからない)。11月に入ったら色々と資料の処分等を本格的に行う予定。それと車の保険解約、新聞契約の解除、光熱費関係の契約解除、移転に伴う多くの手続きが有る。

10月31日(木)
 風はなく気持ちのいい朝だった。全天曇り。ポケモン車らしきものを見かけた。ゆっくりゆっくり車を運転している、なんじゃいこいつはと思う。平日早朝のこと、好きな人がいるのだなあ。
 沖縄の首里城が全焼。激しく燃えている様が放映されていた。こういう建物は消火施設としてスプリンクラーの設置が義務つけられているはずなのだが、全焼ということは信じられない。何年か前に一度訪れたことを思い出す。残念なことだ。
息子にメールしたのだが通じない。カミサンにもメールしたのだがこれまた通じない、なぜなのか。二人ともsoftbank。昨日管理人さんにメールしたのだがそれは通じた。
 10月は今日でお終い。明日は11月、月日が経つのは早いことだ。今自分が寝ている蒲団の枕は「ハローキティー」ちゃん、母が晩年に寝崩れ防止ということで持ち込んだクッション。何だか意味深な気がしている。母が亡くなる寸前まで身に着けていた枕である。
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