久々の名古屋墓参り [名古屋]
8/23朝からいい天気です。ただ、やや風が強く蒸し蒸しします。夜にまた出かける予定なので、買い物は午前中に行って来ました。それでも、けっこうな暑さでした。
新幹線の運休・遅延など様々な問題があったものの、名古屋での墓参りをなんとか終えたことは先にブログに書いた通りです。前回、名古屋に行ったのはコロナ前ですから、何年ぶりでしょうか。
墓といっても昔からの八事の墓は「墓じまい」をし、今はマンションタイプの墓なので、墓地の記憶のある人間として何だか不思議な気がします。ただ、それでも墓の前で手を合わせていると、弟や両親とのかつての生活の断面が思い出されるわけで、古来、墓というものは亡くなった人を忘れないための記憶覚醒装置として機能してきたのではないかと思ったりもします。と同時に、体力が衰え以前なら平気で出来たことが疲れてしまって出来ない、以前ならまちがいなく覚えられたことが覚えられない、それどころか覚えていたことを忘れていってしまう自分の「現在」と向き合うことに。そして、そのスピードは、自分が考えているよりずっと速いのかもしれません。
とまれ、久しぶりに墓参りをしたことで、自分に残されている時間もそう長くはないと知らされ、その中で何が出来るのか、何か出来ることがあるのだろうか等、いろいろ考えさせられた久々の墓参りでした。「memento mori」でもありませんが、一度立ち止まって自分の人生を考える、こんなところにも「墓参りの功用」があるのかもしれませんね。
せっかくなのでスマホで何枚か写真も撮ったのですが、前にも書いた通りUSBコードでパソコンにつないでもアイコンが表示されないという「事故」があり、私のスマホ→奥様のスマホ→奥様のパソコン→USBメモリで私のパソコンという手順をふんでやっとブログに載せられるようになりました。ま、スマホで適当に撮ったものなので、わざわざアップするようなものでもありませんが、せっかくなので。
※昨日の東京は朝から曇りで、念のため傘を持って買い物に出かけたら、建物を出たとたんポツリポツリ。あれれーっと思っていたらいきなりザーッ。おかげで帰って来たときにはシャツもズボンもびしょ濡れ。風邪をひかないようにと着替えたのですが、やれやれ、悪運はまだまだ津続いているようです。本日は2回出かける用事があるので、気をつけます。
新幹線の運休・遅延など様々な問題があったものの、名古屋での墓参りをなんとか終えたことは先にブログに書いた通りです。前回、名古屋に行ったのはコロナ前ですから、何年ぶりでしょうか。
墓といっても昔からの八事の墓は「墓じまい」をし、今はマンションタイプの墓なので、墓地の記憶のある人間として何だか不思議な気がします。ただ、それでも墓の前で手を合わせていると、弟や両親とのかつての生活の断面が思い出されるわけで、古来、墓というものは亡くなった人を忘れないための記憶覚醒装置として機能してきたのではないかと思ったりもします。と同時に、体力が衰え以前なら平気で出来たことが疲れてしまって出来ない、以前ならまちがいなく覚えられたことが覚えられない、それどころか覚えていたことを忘れていってしまう自分の「現在」と向き合うことに。そして、そのスピードは、自分が考えているよりずっと速いのかもしれません。
とまれ、久しぶりに墓参りをしたことで、自分に残されている時間もそう長くはないと知らされ、その中で何が出来るのか、何か出来ることがあるのだろうか等、いろいろ考えさせられた久々の墓参りでした。「memento mori」でもありませんが、一度立ち止まって自分の人生を考える、こんなところにも「墓参りの功用」があるのかもしれませんね。
せっかくなのでスマホで何枚か写真も撮ったのですが、前にも書いた通りUSBコードでパソコンにつないでもアイコンが表示されないという「事故」があり、私のスマホ→奥様のスマホ→奥様のパソコン→USBメモリで私のパソコンという手順をふんでやっとブログに載せられるようになりました。ま、スマホで適当に撮ったものなので、わざわざアップするようなものでもありませんが、せっかくなので。
※昨日の東京は朝から曇りで、念のため傘を持って買い物に出かけたら、建物を出たとたんポツリポツリ。あれれーっと思っていたらいきなりザーッ。おかげで帰って来たときにはシャツもズボンもびしょ濡れ。風邪をひかないようにと着替えたのですが、やれやれ、悪運はまだまだ津続いているようです。本日は2回出かける用事があるので、気をつけます。
ボケで忘れて。。。(^^; [名古屋]
昨日の「名古屋の食文化」。もはや弁解にもならないボケのせいで写真を一点忘れていたので、追加しておきます。決して、ブログ更新休みを回避するための者ではありまんせん。「シャチボン」といい、見た目はイマイチですが、生クリームもたっぷりで、2つくらは軽くいけちゃいます。もっとも20年近くも昔の写真なので、今でもまだあるのかどうかは不明です。(^^;
※先日、スピルバーグ版「ウエストサイド・ストーリー」(2021年坂)とロバート・ワイズ版「ウエストサイド物語」(1961年坂)について書いたとき、1961年坂のソール・バスのオープニングとエンディングの素晴らしさについて書いた。ソール・バスは、ヒッチコック監督「北北西に進路を取れ」、ウイリアム・ワイラー監督「大いなる西部」、スタンリー・キューブリック監督「スパルタカス」などのタイトルシーンも担当したデザイナーの巨匠で、「ウエストサイド物語」のものはとくに話題になったのでみな知っているだろうと思い具体的内容は書かなかった。すると、「どんなんでしたっけ?」なんてメールが来た。無知!と言いたいところだが、まあ、確かに60年も前の映画なので知らない人も多いだろうなあとYouTubeで探してみたら見つかったので、貼っておきます。
↓1961年坂オープニング&エンドクレジット
https://www.youtube.com/watch?v=P1ON6DH35sQ
※先日、スピルバーグ版「ウエストサイド・ストーリー」(2021年坂)とロバート・ワイズ版「ウエストサイド物語」(1961年坂)について書いたとき、1961年坂のソール・バスのオープニングとエンディングの素晴らしさについて書いた。ソール・バスは、ヒッチコック監督「北北西に進路を取れ」、ウイリアム・ワイラー監督「大いなる西部」、スタンリー・キューブリック監督「スパルタカス」などのタイトルシーンも担当したデザイナーの巨匠で、「ウエストサイド物語」のものはとくに話題になったのでみな知っているだろうと思い具体的内容は書かなかった。すると、「どんなんでしたっけ?」なんてメールが来た。無知!と言いたいところだが、まあ、確かに60年も前の映画なので知らない人も多いだろうなあとYouTubeで探してみたら見つかったので、貼っておきます。
↓1961年坂オープニング&エンドクレジット
https://www.youtube.com/watch?v=P1ON6DH35sQ
名古屋の食文化 [名古屋]
昨日(3/13)は半日、確定申告と格闘していました。たいした稼ぎもないのに、毎年この時期になると悪戦苦闘です。出版社によって支払い調書はまちまち。ネットもわざとわかりにくく作っているようで、何度読み返しても意味不明のところが。まあ、こちらの理解不足なんでしょうが、パソコンの知識も財務の知識もない年寄りになんだかんだと要求するほうが、おかしいんじゃないのかと、情弱老人はストレスが溜まってしまいます。
写真を整理していると、すっかり忘れていたものがいろいろ出てきます。以前、名古屋関連の本を作ったとき、スナップ的に撮った写真がけっこうな数出てきました。このところ。どうも暗い話が多いので、景気付けに貼っておきましょう。\(^_^)/
写真を整理していると、すっかり忘れていたものがいろいろ出てきます。以前、名古屋関連の本を作ったとき、スナップ的に撮った写真がけっこうな数出てきました。このところ。どうも暗い話が多いので、景気付けに貼っておきましょう。\(^_^)/
名古屋といえば・・・02 [名古屋]
「石見の喫茶店」と並ぶ、いや、話題性ではそれ以上のツヅキでしょう。大門(オーモン)にある喫茶店です。大昔にあった中村遊郭の入口といえば、その道の通にはおわかりでしょう。ここはもともとはコーヒーに力を入れていた喫茶店で、抹茶コーヒーとかわけのわからないものもあります。おっさんが高い所からミルクを注ぐカフェラテがおもしろいとテレビでも何回も紹介されています。
しかし、私がお薦めしたいのは抹茶コーヒーでもカフェラテでもない。
まずは、下の写真をご覧下さい。なんだか、わかりますか? フルーツパフェ?惜しい。実はこれチョコレートパフェなのであります。ともかくでかくてチョコレートはどこだと言いたくなるほどのフルーツもてんこ盛り。普通の人なら食べきれません。全部食べたらそれだけでお昼は終りです。もう一品わけのわからん巨大盛りにプリンパフェがありますが、両方食べたら間違いなくお腹をこわすのでどちらか一品にしておくことをお薦めします。
↓以前はこんな感じ
↓年々「成長」しているようだ。値段は変わらず750円
↓喫茶店は2階にあり入口がわかりにくいので、混んではいない。ある意味穴場
★不思議ですねえセクハラ麻生に加計の萩生田が文科省、毒まんじゅうでポチにされた河野、下半身がだらしなかった総理官邸でき婚発表の小泉新ポチ・・・これだけ役者が揃って支持率上昇ですか。韓国を笑えませんですなあ。
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019091201002054.html
★「So-net ブログ」が「SSブログ」に。バソコン不慣れな年寄りにはなんのことやらわかりません。あとでまた読み直してみますが、過去記事のリンクなどダメになっちゃうんでしょうか。ひとつひとつ書き換えるには数が膨大だし・・・、誰かわかりやすく教えてくれないかなぁとSOS発信中。
https://blog-wn.blog.so-net.ne.jp/2019-09-11
しかし、私がお薦めしたいのは抹茶コーヒーでもカフェラテでもない。
まずは、下の写真をご覧下さい。なんだか、わかりますか? フルーツパフェ?惜しい。実はこれチョコレートパフェなのであります。ともかくでかくてチョコレートはどこだと言いたくなるほどのフルーツもてんこ盛り。普通の人なら食べきれません。全部食べたらそれだけでお昼は終りです。もう一品わけのわからん巨大盛りにプリンパフェがありますが、両方食べたら間違いなくお腹をこわすのでどちらか一品にしておくことをお薦めします。
↓以前はこんな感じ
↓年々「成長」しているようだ。値段は変わらず750円
↓喫茶店は2階にあり入口がわかりにくいので、混んではいない。ある意味穴場
★不思議ですねえセクハラ麻生に加計の萩生田が文科省、毒まんじゅうでポチにされた河野、下半身がだらしなかった総理官邸でき婚発表の小泉新ポチ・・・これだけ役者が揃って支持率上昇ですか。韓国を笑えませんですなあ。
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019091201002054.html
★「So-net ブログ」が「SSブログ」に。バソコン不慣れな年寄りにはなんのことやらわかりません。あとでまた読み直してみますが、過去記事のリンクなどダメになっちゃうんでしょうか。ひとつひとつ書き換えるには数が膨大だし・・・、誰かわかりやすく教えてくれないかなぁとSOS発信中。
https://blog-wn.blog.so-net.ne.jp/2019-09-11
名古屋といえば・・・01 [名古屋]
やはり「ナナちゃん」でしょう。
名鉄セブンビルの前に建てられているオブジェなのでナナちゃんというネーミングもわかりやすいです。ただ、歩いているのは名古屋人ばかりなのか、立ち止まって見上げているような人はあまりいませんでした。(^^;
★「迷走ダイアリ」に「CGはなかなかだが退屈『流浪地球ザ・ワンダリング・アース』」アップしました。中国のSF大作。太陽に異変が起こり地球まるごと太陽系を捨てて他の恒星系をめざすなんていう、壮大かついいかげんな話。CGは思ったよりうまくできており場面によってはかなりの迫力。ただし、何万年もの航行の間のエネルギー問題など説得力のある説明はない。中国らしく?家族問題がわやわやするあたりは退屈。
http://meisoud.blog.so-net.ne.jp/2019-09-11
名鉄セブンビルの前に建てられているオブジェなのでナナちゃんというネーミングもわかりやすいです。ただ、歩いているのは名古屋人ばかりなのか、立ち止まって見上げているような人はあまりいませんでした。(^^;
★「迷走ダイアリ」に「CGはなかなかだが退屈『流浪地球ザ・ワンダリング・アース』」アップしました。中国のSF大作。太陽に異変が起こり地球まるごと太陽系を捨てて他の恒星系をめざすなんていう、壮大かついいかげんな話。CGは思ったよりうまくできており場面によってはかなりの迫力。ただし、何万年もの航行の間のエネルギー問題など説得力のある説明はない。中国らしく?家族問題がわやわやするあたりは退屈。
http://meisoud.blog.so-net.ne.jp/2019-09-11
「石見の喫茶店」にて [名古屋]
昨夜は午後9時ころから雷雨になりました。まだまだ厳しい夏は続きそうです。年寄りとしては、ここをがんばって乗り越えないと爽やかな秋を迎えられないので大変です。
台風直撃で大変でしたが、名古屋ではWildさん、KSさんに会ってきました。知り合ったのは高校のときですがすでに半世紀以上が経ち、今では皆70歳を超えた「三匹のおっさん」ならぬ「3匹のじいさん」。それでも「気」だけは若く、さっそくWildさんのブログでおなじみの「石見の喫茶店」に案内してもらいました。「石見の喫茶店」というか「石見茶屋」とでも呼びたいような古民家風のアンティークかつおしゃれな喫茶店で雰囲気は満点。なによりタバコOKというのが、さすが名古屋ですねえ。
台風直撃で大変でしたが、名古屋ではWildさん、KSさんに会ってきました。知り合ったのは高校のときですがすでに半世紀以上が経ち、今では皆70歳を超えた「三匹のおっさん」ならぬ「3匹のじいさん」。それでも「気」だけは若く、さっそくWildさんのブログでおなじみの「石見の喫茶店」に案内してもらいました。「石見の喫茶店」というか「石見茶屋」とでも呼びたいような古民家風のアンティークかつおしゃれな喫茶店で雰囲気は満点。なによりタバコOKというのが、さすが名古屋ですねえ。
2017年の初名古屋 [名古屋]
母の一周忌で名古屋に行って来ました。ここ何年かは母の介護も兼ねて(普段は弟が看ていてくれたので、せめて正月くらいはのんびりしてくださいということで)1週間〜10日ほど名古屋の生家にいたので、その母親も弟も生家もなくなってしまい、不思議な気がします。その「ついで」ということでもありませんが、日進のIAさん、知多のKSさんと会って食事をしてきました。二人とも高校時代からの気心の知れた知り合いですから、会えばまあ馬鹿話です(本当は岡崎のIUさんとも会いたかったのですが、わざわざ岡崎から来てもらうにはあまり時間がとれないので今回はパスしました。そのうち機会を作りたいですねえ)。
私は夕方4時半ころの新幹線で帰京したわけですが、その直前、IAさんからKSさんに「ちょっとだけ飲んでけせん?」。それが、3時間ほど後に、「まだKSさんと飲んでます」。いやあ、2人の「ちょっと」というのは、私の考える「ちょっと」とはどうも違うようです。ま、2人とも無事に帰ったようなのは、なにより。
PS : 馬鹿話のときに、IAさんから「最近ブログの更新があまりない」のではというご批判をいただきました。確かに、ひところは毎日更新していたわけですが、歳によるよる気力・体力の低下(かつてほど出歩かなくなってきているのでブログにアップするような材料がない)、ただ怠けている(否定出来ないものがあります)、投稿原稿・写真が減ってきている、・・・などいろいろな理由が考えられます。更新を楽しみにしてくださっている奇特な方もいるようなので、出来る限り更新していきたいとは思っています。ではでは・・・今年もよろしくお願いします。
初七日を過ぎて・・ [名古屋]
私事ですが、5月6日に弟が亡くなりました。
5月12日の初七日を過ぎたので、今までブログに書くことのなかった弟のことを思いつくまま書いてみようと思います。まだまだ気持ちの整理がついていないので、意味不明のところが多々あるかと思いますが、今日のブログは、私が埋められない心の空洞を埋めるために思いつくまま書き散らしたものですのでご了承ください。1つの記録として自分のブログに残しておこうというあくまで私的なものですので、読者の方々にはどうぞスルーしてください。
死因は、胃がんでした。
すでに肝臓に転位も見られることから完治は難しいと告げられたのは、去年の1月半ばのことでした。慌てて名古屋に向かったのですが、弟は顔色もよく、「がんばるしかない」と力強く語ってくれました。数年前に心臓の手術をしているので抗がん剤の副作用が心配でしたが、その後、少しずつ痩せてはきたもののとくに大きく変わったところはありませんでした。今年1月17日の母の逝去のときも、2月22日の法事のときも普通に会話をし、法事が終わったあとも普通に会食しました。
生家は取り壊すことにしたので後片付けのため私は数日滞在したのですが、東京に帰る日の朝も車を運転してやって来て、近くの弟行きつけの喫茶店にコーヒーを飲みに行きました(弟はアイスコーヒーが好きで季節に関係なくガムシロップ抜きのアイスコーヒーを飲みました)。今は医者に止められているが、春になったらまた釣りに行くんだと楽しそうに語っていました。そのあと駅まで送ってもらい、「納骨のこともあるしまた来るから」と、お互い笑顔で別れました。
その後、弟からは家の取り壊しの件など普通に電話があったりしましたし、何も心配はしていませんでした。突然、容態があまり芳しくないという連絡が、弟の奥さんからあったのは4月下旬のことでした。ただ、このときはそれほど差し迫った感じはなく、一度元気づけに来て欲しいという感じだったので、とりあえず5月の連休明けにでも行くということで話は終わりました。ところが、5月4日になって再び弟の奥さんから電話が入り、その様子が唯事ではなかったので、急遽翌5日に名古屋へ向かうことにしました。
病室で見た弟は、2月末に別れたときとは別人でした。肝転移の影響なのか黄疸症状が出ていて全体に皮膚が黄色く、目の白目の部分までもが黄色くなっていました。腹水もたまり、体を思うように動かすこともできず、苦しそうでした。「ああ・・・、これはもう助からない」と思うと、「来たよ」と言うのが精一杯でした。一刻も長く生きていてほしいという気持ちと、少しでもこの苦痛を和らげてやることはできないのか、という気持ちが交錯してうまく考えがまとまりません。何か言おうとしているので、「何?」と耳を近づけると、「兄貴、ごめんな」
もう20年も前になりますが、父親が亡くなったとき、弟とは「親父の死んだ歳(76歳)よりは長く生きよう」と誓ったことを思い出したのでしょうか。それとも、わざわざ東京から来てくれて悪いなという気持ちだったのでしょうか。私は、前者だと思いました。「何も謝るようなことないぞ」と言った私自身胸が熱くなって弟のやせ細った手を握りました。
5時から主治医が会ってくれるというので、弟の奥さん、長男とともに話を聞きました。最初の抗がん剤は効いたのだが、今年になってからの第2弾の抗がん剤はあまり効果がなく、第3弾の抗がん剤は1回はやったものの体力的な問題で中止になったというような説明がありました。こちらからの質問というか要望は、とこかく苦しがっているのだから痛みを和らげる薬の投与(増量)と、腹水を体力に影響の無い範囲で抜いて楽にしてやってほしいということと、今の状態でもう治療ができないのなら緩和病棟に移してほしい、ということ。これは了承してもらえたので、「先生の見立てで、あとどれくらい生きられると思いますか?」と、ずばり訊いてみました。答えは、「5月末か・・・(せいぜい6月の前半)」というものでした。
医者の答えを、私は、5月後半にはもう危ない、と受け取りました。翌日も面会に来るつもりで病院のプレートを見ると面会は午後の2時からになっているので、カンファレンスに立ち会ってくれた看護士に明日は11時ころに来ることを了承してもらいました。その夜は弟の家に泊めてもらい、翌日、弟の奥さん、次男とともにまた病院に行きました。あいかわらず苦しそうでした。が、私が来たことは予想外だったようで、「また来てくれたんだ」とかすれた小さな声で言いました。「また来たよ」と手を握って応えました。そして、「また来るから」と言い残して、次男に駅まで送ってもらい、新幹線に乗りました。
少しは仕事ができるかもとパソコンを持参し新幹線もコンセントがとれる窓際の席をとったのですが、全く仕事にならず。乗っている間も不安はますます大きくなるばかりです。邪魔かなとは思ったのですが、東京に着いてから次男の携帯に電話を入れてみました。すると、午後になって容態はさらに悪くなり、これから強い麻酔剤を注入するということでした。帰るのをもう1日2日延ばしたほうがよかったのだろうかと考えながら帰宅しました。私の携帯が鳴ったのは、その1時間ほど後のことでした。発信人は弟の次男。それだけで、もう何が起こったのかわかりました。電話に出たとたん、「今、逝きました」という次男の涙声が聞こえました。
通夜、葬儀は心のこもったものでした。長男も立派に喪主をつとめました。その間、私は、私と弟とのことをいろいろ思い出していました。この1月に母を亡くし、5月に弟を亡くしたわけですが、そこには大きなちがいがあります。母は3年ほど前から認知が進み、また次第に自力で歩くことが難しくなっていました。トイレには杖をついて行っていたのが行けなくなり、ベッドの脇の簡易トイレを使うようになり、それも難しくなっておしめをするようになっていました。また、台所のテーブルで食事ができていたものが、ベッドの近くのソファでするようになり、さらにベッドでするようになり、この正月には介助がないと食事ができないようになっていました。歳も90を越えていて会う度に弱っていくのがわかりました。その間に、こちらも時間をかけて母の死に対する心の準備ができたわけです。20年前の父親の死は、心筋梗塞による突然のものでしたが、それでも76歳という平均寿命(当時)だからと自分を納得させることができました。
しかし、弟の場合はちがいます。がんを告げられてから1年半近くあったとはいえ、自分より年下の肉親が自分より先に亡くなるという事実は無理矢理納得しようとしても、心のどこかが拒否してしまうのです。長い間にはもちろんいろいろなことがあったわけですが、どういうわけか楽しかったことしか思い出せません。もう少し医者がちゃんと見立てができていれば死に目に立ち会えたのに、とは思うものの時は巻き戻せません。最後に会えて話ができ本当によかったと思うことにします。まだまだ書きたいことはありますが、今はただ弟に、ありがとう、さようなら、とだけ言っておきましょう。
↓ガザニア 花言葉「あなたを誇りに思う」
↓シオン 花言葉「君を忘れない」
↓ダリア 花言葉「感謝」
★最後に弟が好きだった中島みゆきさんの曲を何曲か。
↓わかれうた
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
↓時代
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
↓春なのに
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
5月12日の初七日を過ぎたので、今までブログに書くことのなかった弟のことを思いつくまま書いてみようと思います。まだまだ気持ちの整理がついていないので、意味不明のところが多々あるかと思いますが、今日のブログは、私が埋められない心の空洞を埋めるために思いつくまま書き散らしたものですのでご了承ください。1つの記録として自分のブログに残しておこうというあくまで私的なものですので、読者の方々にはどうぞスルーしてください。
死因は、胃がんでした。
すでに肝臓に転位も見られることから完治は難しいと告げられたのは、去年の1月半ばのことでした。慌てて名古屋に向かったのですが、弟は顔色もよく、「がんばるしかない」と力強く語ってくれました。数年前に心臓の手術をしているので抗がん剤の副作用が心配でしたが、その後、少しずつ痩せてはきたもののとくに大きく変わったところはありませんでした。今年1月17日の母の逝去のときも、2月22日の法事のときも普通に会話をし、法事が終わったあとも普通に会食しました。
生家は取り壊すことにしたので後片付けのため私は数日滞在したのですが、東京に帰る日の朝も車を運転してやって来て、近くの弟行きつけの喫茶店にコーヒーを飲みに行きました(弟はアイスコーヒーが好きで季節に関係なくガムシロップ抜きのアイスコーヒーを飲みました)。今は医者に止められているが、春になったらまた釣りに行くんだと楽しそうに語っていました。そのあと駅まで送ってもらい、「納骨のこともあるしまた来るから」と、お互い笑顔で別れました。
その後、弟からは家の取り壊しの件など普通に電話があったりしましたし、何も心配はしていませんでした。突然、容態があまり芳しくないという連絡が、弟の奥さんからあったのは4月下旬のことでした。ただ、このときはそれほど差し迫った感じはなく、一度元気づけに来て欲しいという感じだったので、とりあえず5月の連休明けにでも行くということで話は終わりました。ところが、5月4日になって再び弟の奥さんから電話が入り、その様子が唯事ではなかったので、急遽翌5日に名古屋へ向かうことにしました。
病室で見た弟は、2月末に別れたときとは別人でした。肝転移の影響なのか黄疸症状が出ていて全体に皮膚が黄色く、目の白目の部分までもが黄色くなっていました。腹水もたまり、体を思うように動かすこともできず、苦しそうでした。「ああ・・・、これはもう助からない」と思うと、「来たよ」と言うのが精一杯でした。一刻も長く生きていてほしいという気持ちと、少しでもこの苦痛を和らげてやることはできないのか、という気持ちが交錯してうまく考えがまとまりません。何か言おうとしているので、「何?」と耳を近づけると、「兄貴、ごめんな」
もう20年も前になりますが、父親が亡くなったとき、弟とは「親父の死んだ歳(76歳)よりは長く生きよう」と誓ったことを思い出したのでしょうか。それとも、わざわざ東京から来てくれて悪いなという気持ちだったのでしょうか。私は、前者だと思いました。「何も謝るようなことないぞ」と言った私自身胸が熱くなって弟のやせ細った手を握りました。
5時から主治医が会ってくれるというので、弟の奥さん、長男とともに話を聞きました。最初の抗がん剤は効いたのだが、今年になってからの第2弾の抗がん剤はあまり効果がなく、第3弾の抗がん剤は1回はやったものの体力的な問題で中止になったというような説明がありました。こちらからの質問というか要望は、とこかく苦しがっているのだから痛みを和らげる薬の投与(増量)と、腹水を体力に影響の無い範囲で抜いて楽にしてやってほしいということと、今の状態でもう治療ができないのなら緩和病棟に移してほしい、ということ。これは了承してもらえたので、「先生の見立てで、あとどれくらい生きられると思いますか?」と、ずばり訊いてみました。答えは、「5月末か・・・(せいぜい6月の前半)」というものでした。
医者の答えを、私は、5月後半にはもう危ない、と受け取りました。翌日も面会に来るつもりで病院のプレートを見ると面会は午後の2時からになっているので、カンファレンスに立ち会ってくれた看護士に明日は11時ころに来ることを了承してもらいました。その夜は弟の家に泊めてもらい、翌日、弟の奥さん、次男とともにまた病院に行きました。あいかわらず苦しそうでした。が、私が来たことは予想外だったようで、「また来てくれたんだ」とかすれた小さな声で言いました。「また来たよ」と手を握って応えました。そして、「また来るから」と言い残して、次男に駅まで送ってもらい、新幹線に乗りました。
少しは仕事ができるかもとパソコンを持参し新幹線もコンセントがとれる窓際の席をとったのですが、全く仕事にならず。乗っている間も不安はますます大きくなるばかりです。邪魔かなとは思ったのですが、東京に着いてから次男の携帯に電話を入れてみました。すると、午後になって容態はさらに悪くなり、これから強い麻酔剤を注入するということでした。帰るのをもう1日2日延ばしたほうがよかったのだろうかと考えながら帰宅しました。私の携帯が鳴ったのは、その1時間ほど後のことでした。発信人は弟の次男。それだけで、もう何が起こったのかわかりました。電話に出たとたん、「今、逝きました」という次男の涙声が聞こえました。
通夜、葬儀は心のこもったものでした。長男も立派に喪主をつとめました。その間、私は、私と弟とのことをいろいろ思い出していました。この1月に母を亡くし、5月に弟を亡くしたわけですが、そこには大きなちがいがあります。母は3年ほど前から認知が進み、また次第に自力で歩くことが難しくなっていました。トイレには杖をついて行っていたのが行けなくなり、ベッドの脇の簡易トイレを使うようになり、それも難しくなっておしめをするようになっていました。また、台所のテーブルで食事ができていたものが、ベッドの近くのソファでするようになり、さらにベッドでするようになり、この正月には介助がないと食事ができないようになっていました。歳も90を越えていて会う度に弱っていくのがわかりました。その間に、こちらも時間をかけて母の死に対する心の準備ができたわけです。20年前の父親の死は、心筋梗塞による突然のものでしたが、それでも76歳という平均寿命(当時)だからと自分を納得させることができました。
しかし、弟の場合はちがいます。がんを告げられてから1年半近くあったとはいえ、自分より年下の肉親が自分より先に亡くなるという事実は無理矢理納得しようとしても、心のどこかが拒否してしまうのです。長い間にはもちろんいろいろなことがあったわけですが、どういうわけか楽しかったことしか思い出せません。もう少し医者がちゃんと見立てができていれば死に目に立ち会えたのに、とは思うものの時は巻き戻せません。最後に会えて話ができ本当によかったと思うことにします。まだまだ書きたいことはありますが、今はただ弟に、ありがとう、さようなら、とだけ言っておきましょう。
↓ガザニア 花言葉「あなたを誇りに思う」
↓シオン 花言葉「君を忘れない」
↓ダリア 花言葉「感謝」
★最後に弟が好きだった中島みゆきさんの曲を何曲か。
↓わかれうた
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↓春なのに
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名古屋で昭和へタイムスリップ [名古屋]
母が亡くなり短期ではありましたが、ウイークリーマンションから生家に通ってあれこれ片付け物をしました。とくに2階はここ何十年も人が入ったことがない(←オーバーです)開かずの間で、家は取り壊すことにしたので万一重要な物があったらと、勇気をもって踏み込んでみました。ゲホゲホ(←埃にむせた音)。結論からいうと、重要なものは何もなし。「お宝」なんて、そうそうあるもんじゃないですな。せめて、というわけでもないですが、「へえ、こんなものまだあったんだ」と思いながらちょっとだけコンデジでパチリ。ううむ、レトロだなぁ、昭和だなぁ。
★「現在迷走中」にKSさんからの「知多の日々気まぐれ日記:2016年2月」アップしました。2月の寒い早朝のウォーキングよく続いていると思います。継続は力ですなあ。
http://www.life-clip.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=142745
★「現在迷走中」にKSさんからの「知多の日々気まぐれ日記:2016年2月」アップしました。2月の寒い早朝のウォーキングよく続いていると思います。継続は力ですなあ。
http://www.life-clip.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=142745
ケロちゃん、コロちゃん [名古屋]
生家の片付けの合間、昼食に出たとき見つけました。「おめえ、へそねえじゃねえか」なんてCMを思い出した人は、もう半世紀以上生きている人でしょう(もちろん私もその1人です)。私は、コルゲンコーワではなくて、我が家ではふつうに「ケロタン」と呼んでいたサンリオのケロケロケロッピのぬいぐるみをお子様がどこへ行くのにも持ち出していたことを思い出しました。それなりの大きさのあるぬいぐるみだったので小さなリュックはそれだけで満杯。その子が今では立派な(かどうかはわかりませんが)大人。月日の経つのは早いものです・・・(しみじみ)。
もうしばらくウィークリーマンション [名古屋]
法事は無事終わりましたが、家の片付けのほうはまだまだです。かといって仕事の都合などもありいつまでも名古屋にいるわけにもいかないので、弟におまかせになってしまうわけですが(申し訳ない)、できるだけのことはやっていこうと思います。母はここ数年これといった社会的な活動などしておらず、また交友関係も(知り合いが亡くなったりしたこともあって)極めて狭かったわけですが、それでも人1人が亡くなるということは周囲にとても大きな影響を与えるものだということを改めて思い知らされました。合掌。
★「現在迷走中」に「『十戒』リメイク『エクソダス:神と王』」アップしました。別にリメイクとはうたっていませんが、題材も同じでまあリメイクでしょう。いくらか現代的解釈も試みられていますが、私にはセシル・B・デミルの大時代がかった旧約聖書講談の「十戒」のほうが違和感なく見られました。
http://www.life-clip.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=142483
葬儀を終えて帰京 [名古屋]
母の葬儀にあたっては、何通ものメールをいただきありがとうございました。
まだ名古屋でいろいろとやらなければならないことはあるのですが、仕事途中で急遽名古屋に帰ったこともあり、とりあえず1/24に東京の家に帰ってきました(次回の名古屋行きは三十五日の法事のときになります)。
享年92歳の母は80歳になったとき、父が心筋梗塞で突然に亡くなったとき何がどこにあるのか、誰に連絡すればいいのか全くわからず大変だったことを思ってのことでしょう、そうしたもろもろのことを書きとめ「死亡時開封」と書いた封筒に入れていました。そこに書かれていた通り、家族葬として葬儀を行いました。父のときと比べるとずいぶんとこじんまりした葬儀でしたがいい葬儀だったと個人的には思っています。母は「ここで死にたい」と言っていた我が家で弟夫婦にみとられながら亡くなり、遺骨となって帰ってきました。
葬儀の後、いろいろ片付けもあるので数日名古屋の家にいました。
夜、皆が帰った後、居間で1人パソコンに向かっていると、もちろん母が死んだことはわかっているつもりなのですが、不思議なもので振り向くとまだベッドに母親がいるような気がしてしまいます。「女学生のいちばんいい時期を戦争でだめにされた」「戦争なんてなんであんな馬鹿なことしたんだろう」というのが晩年の母の口癖でした。天国の母は、今のこの日本の状況をどんな気持ちで見ているんでしょう?
ブログの本格的再開はもう少し先になります。
ブログ更新しばらくお休みします [名古屋]
母親が亡くなったため名古屋に来ています。ブログの更新はしばらくの間お休みします。
名古屋の水道はすべて丸八 [名古屋]
ちょっと私事でばたばたしているので、名古屋にいてもなかなかのんびりできません(週末に帰京します)。正月早々「原稿はできましたか?」なんていう非情な人さえいます(まあ管理人もサラリーマン編集者だった時代、年末に原稿を依頼し「年明けまでにお願いします」なんてよくやっていたので、そのときのバチがあたったんだと思っています)。で、ちょっとだけ外出したとき適当に撮った写真がこれ。名古屋水道局の蓋はすべて名古屋のマーク「丸八」つきです。
↓おまけ・コメダのレモンスカッシュ(もうクリスマスは終わっていますよねえ?)
↓おまけ・コメダのレモンスカッシュ(もうクリスマスは終わっていますよねえ?)
新春・名古屋名所スナップ [名古屋]
この年末年始に名古屋に帰ったので(というか、まだいる、お子様と出かけたときに適当に撮ってみました。要するに、昨日の「大名古屋ビルヂング」の続編のようなものです。
↓テレビ塔
↓市役所(手前)と県庁
↓市役所駅(地下鉄)
↓噴水(栄)
↓名古屋駅(手前)
↓名古屋城
↓テレビ塔
↓市役所(手前)と県庁
↓市役所駅(地下鉄)
↓噴水(栄)
↓名古屋駅(手前)
↓名古屋城
「大名古屋ビルヂング」健在なり [名古屋]
かつて名古屋国に来た者たちは皆、名古屋駅から出て東北に見える「大名古屋ビルヂング」の偉容を見て、名古屋いうのはどえらけねゃあ所だなあ」と思ったものである。その大名古屋のシンボルとも言えるビルヂングが取り壊されることになり、世界中の心ある人たちは、あの「ビルヂング」の文字が消滅してしまうのかと、嘆き悲しんだものである。しかし、安心していただきたい。姿形は変えても「大名古屋ビルヂング」の文字は永遠に不滅だったのである。文化都市・名古屋の良心に拍手を送りたい。
↓旧・大名古屋ビルヂングの文字
↓新・大名古屋ビルヂング(矢印)
↓新・大名古屋ビルヂングの銘(矢印)
↓新・大名古屋ビルヂングの銘
★「現在迷走中」に「知多の日々気まぐれ日記:2015年12月」アップしました。愛知県は知多在住KSさんからの投稿です。読んでみると安倍独裁政権の暴虐暴走と平和の党から戦争の党・自民の家来に成り下がった公明党の変質(もしかするとこれが本質?)が際立った1年でした。
http://www.life-clip.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=107876
↓旧・大名古屋ビルヂングの文字
↓新・大名古屋ビルヂング(矢印)
↓新・大名古屋ビルヂングの銘(矢印)
↓新・大名古屋ビルヂングの銘
★「現在迷走中」に「知多の日々気まぐれ日記:2015年12月」アップしました。愛知県は知多在住KSさんからの投稿です。読んでみると安倍独裁政権の暴虐暴走と平和の党から戦争の党・自民の家来に成り下がった公明党の変質(もしかするとこれが本質?)が際立った1年でした。
http://www.life-clip.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=107876
40年ぶりの母校訪問 [名古屋]
といっても何か目的があって訪れたわけではなく、この日、名古屋の東山動物園で撮影を予定していたのですがちょっと時間が早かったので、そういえば自分が学生だったころと大学はどう違っているのだろう、と思い、一駅手前で乗り換えて一駅。当時はこの一駅分の登り坂をヘコヘコと歩いて大学に通ったものです。駅を出てみると木々がずいぶんと育っていて、年月を感じました。何枚かコンデジで撮った写真をアップしておきます。IHさんやIUさん、KSさんには懐かしく見てもらえるのではないかと思います。
「現在迷走中」にKSさんからの「映画は面白いねえ」アップしました。KSさんが最近DVDで見た映画の感想です。
http://tcn-catv.easymyweb.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=18445
「現在迷走中」にKSさんからの「映画は面白いねえ」アップしました。KSさんが最近DVDで見た映画の感想です。
http://tcn-catv.easymyweb.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=18445
もう少しお待ちください [名古屋]
夏休みの間にきていたメールのリプライがまだ終わっていません(広告関係は見ずに削除しました)。IUさんやKSさんからは写真やムービーが送られてきていますが、ダウンロードしただけでまだ中身をきちんとは見ていません。公私ともにちょっとばたばたしていますので、通常運行までには今しばらくお待ち下さい。
名古屋のおみやげ [名古屋]
ちょっと風が強いようです。それに、昨日より5〜6℃も気温が低くなるようです。こちらの風邪にも注意ですね。
昨日に続いての名古屋写真。これほどまでにユニークなおみやげが揃った都市がほかにあるのだろうか(いや、ない。←こういう構文昔習ったよね)。この豊かさと比べたら東京バナナとか人形焼き、雷起こしなんてのはダサイダサイ。この名古屋の洗練されたデザイン、味を少しは見習ってちょーせ。
「現在迷走中」にも「『名古屋ことば』だって?」アップ。名古屋人必見。どうせなら正しい名古屋語を使ってもらいてゃあもんですなあ。
http://tcn-catv.easymyweb.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=17233
昨日に続いての名古屋写真。これほどまでにユニークなおみやげが揃った都市がほかにあるのだろうか(いや、ない。←こういう構文昔習ったよね)。この豊かさと比べたら東京バナナとか人形焼き、雷起こしなんてのはダサイダサイ。この名古屋の洗練されたデザイン、味を少しは見習ってちょーせ。
「現在迷走中」にも「『名古屋ことば』だって?」アップ。名古屋人必見。どうせなら正しい名古屋語を使ってもらいてゃあもんですなあ。
http://tcn-catv.easymyweb.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=17233
名古屋はナナちゃんだがや [名古屋]
寒いGWでした。
管理人は名古屋で過ごしたのですが、東京は暖かいですねー。名古屋より2℃は暖かい感じです。それにしても、北海道は雪だとか。いやはや・・・。
私事で名古屋に行ってきました。
まだ写真の整理も出来ていませんが、とりあえずコンデジで撮った「ナナちゃん」の写真を。まあ日本人のジョーシキとしてナナちゃんを知らない人はいないと思いますが、知らない人はネットでこっそりと検索してください。他人にきくのは己の無知を公表するようなものなので、くれぐれもしないように。
管理人は名古屋で過ごしたのですが、東京は暖かいですねー。名古屋より2℃は暖かい感じです。それにしても、北海道は雪だとか。いやはや・・・。
私事で名古屋に行ってきました。
まだ写真の整理も出来ていませんが、とりあえずコンデジで撮った「ナナちゃん」の写真を。まあ日本人のジョーシキとしてナナちゃんを知らない人はいないと思いますが、知らない人はネットでこっそりと検索してください。他人にきくのは己の無知を公表するようなものなので、くれぐれもしないように。