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2021年もよろしくー(^_-)-☆ [日記・雑感]

 2020年はお世話になりました。2021年もよろしくお願いします。m(__)m

 2020年は、為政者たちの無知無能無策を痛感した1年でした。
 2021年もなんとか乗り越えたいと図々しくも思っていますが、さて、・・・?

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※ブログは1月1日〜3日までお休み予定です。m(__)m

※2020年最後の
 新型コロナ12/31の感染者数は、全国で4519人。東京都1337人、神奈川県588人など恐ろしい数字があがっています。これはもはや「人災」ですな。
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年末なので雪の写真を [日記・雑感]

 12/30の新型コロナ感染者数は、全国で3841人。
 東京都944人、神奈川県432人、大阪府307人、愛知県294人、埼玉県244人、千葉県218人、福岡県189人、兵庫県188人、北海道133人までが三桁。とどまるところをしりません。にもかかわらず行政は帰省や年末年始の外出は控えてください、と言うだけ。その裏には、感染が収まらなければ要請を守らないあんたがたの責任=自己責任ですぞという意図が見え見え。行政のやるべきことは全くやらず、5人以上の会食は控えろと言っておきながら、直後8人で忘年会。対策はちゃんとしていたんだ文句あっかと居直り。ったく・・・[パンチ]

 昨日(12/29)の新型コロナ感染者数は、全国で3599人。
 東京都856人、神奈川県395人、大阪府302人、埼玉県300人、愛知県235人、千葉県216人、兵庫県193人、福岡県151人までが三桁。とくに関東の一都三県はもう完全にパンデミックですな。正常な形ではできそうにもないオリンピックなどさっさと諦めて、その予算を検査・隔離・治療の医療につぎ込めと思うのですが、口だけ都知事やスカ首相は、自粛しろと言っているのに自粛しない国民が悪いと言わんばかりの無責任。そもそも問題山積みの国会はさっさと閉会しておいて、5人を超えるパーティー、忘年会(スカ首相の8人会に出た杉良太郎の言葉)にウツツを抜かしているんですから、開いた口が外れてしまいます。来年は、いよいよ日本沈没ですかね[バッド(下向き矢印)][がく~(落胆した顔)]

 北海道、東北、北陸はかなりの雪のようで、この年末は西日本も雪の予報が出ています。にもかかわらず首都圏は、降っても雨。せっかくなら雪の正月を迎えたいところなんですが、雪もコロナを嫌ったんでしょうか? ニコンV2での試し撮りです(^^;。
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「鬼滅の刃」+「忘備録」映画の終わり方 [映画・文学・音楽]

  大ヒット公開中の「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入がナント324億7000万円となり歴代1位になったんだそうです(これまでは「千と千尋の神隠し」の316億8000万円)。
https://mainichi.jp/articles/20201228/k00/00m/040/084000c
 話題になっていたので、ミーハー老人としてはまず、どんなものかとテレビ放映された全26話を、そして劇場版を見てみました。
 簡単に書けば、鬼に家族を殺された主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が鬼になってしまった妹を再び人間に戻すため「鬼殺隊」に入り仲間と共に鬼と戦う物語。次々と難敵が現れ、これを倒して進んで行く中で仲間も傷つき倒れて行くという展開は「ドラゴン・ボール」や「キン肉まん」でおなじみの「ブロレスパターン」。ナンダカンダあって、炭治郎たちが無限列車に乗り込むところまでがアニメの最終26話。その直後の話が劇場版になっている。書店でチェックしてみると、全23巻のうち無限列車編は7、8巻なのでようやく1/3まできたところか? マチガイナク続編アルネ(^^;
 映画を見て驚いたのは、とくに人物紹介などなしに進んでいくこと。炭治郎の妹がなぜ竹を咥えているのか、猪の被り物をしているのは何なのか、主人公たちはどうしてこの列車に乗り込んだのか、「柱」って何なんだ・・・等々、映画が初めての人にわかるのだろうかということだが、年寄りとちがって若い人たちは原作もアニメも見ているのだろう。見ていなくてもネット情報で概略程度は知っているのだろうか。
 映画自体は列車の部分とその後の2本立てようなもので、1時間弱のアニメを2本見せられたようなもの。また、列車がどこをどう走っているのか話が列車内に留まっているため「列車物」特有のスピード感はあまり感じられない。「鬼太郎」の「幽霊列車」だって駅名が火葬場、骨壷・・・と進んで行き終点が地獄で緊張感を出していたゾ。アニメとしての作画、動きもテレビアニメと比べて唸らせるほどのものではなく、主人物の口だけしか動いていないシーンも目立つ。技術的にはジブリや新海アニメのほうが遥かに上だ。今日の本題の「終わり方」に寄せれば、素晴らしい「柱」の死は確かに衝撃であり悲しいことではあるが、あれほど延々とめそめそシーンをやるよりスパッと終わった方がはるかに余韻が残ったと年寄りは思うわけだ。が、そんな細かいこたぁどうでもいいんだよという映画なのだろう。確かに腹が立つような駄作ではなくそれなりに見られるものではあるのだが、なぜこんな大ヒットになったのか、年寄りには見当もつかない。
 「少年ジャンプ」の原作なので「友情・努力・勝利」の青少年向けのもので、残念ながら年寄りはお呼びじゃないと考えるしかない。若者たちは、
「泣くな、絶望するな、そんなのは今することじゃない」
「強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない。この少年は弱くない。侮辱するな」
「俺は俺の責務を全うする!ここにいる者は誰も死なせない!」
「そんなことで俺の情熱はなくならない。心の炎が消えることはない。俺は決してくじけない」
「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと心を燃やせ」
 なんていう台詞にそれこそ体が振るえ、心が燃え上がるのだろう。いいなぁ、若いってのは。歳をとったからといって、若いころはあったのだ。その感情は理解できる(^-^)。しかしだからといって、多分映画を見てもいないスカ首相が「全集中」なんて言うと、てめえ全集中でGoToやってたのかと腹が立ってしまうから不思議だ(▼▼メ)。

 はいっ(ジャンポケ斉藤かっ(^^;)、以下は「鬼滅の刃」とは全く関係のない、年の瀬にちなんだ映画の「終わり方」についてなんだかんだと思いつくまま書き綴ったまとまりのない「忘備録」。

 大昔に読んだモンテーニュの「エセー」に、人はどう死ぬのかどう死んだのか、その人の評価は死んで初めて定まるというようなことが書いてあった(半世紀も前のことなのでよくは覚えていない(^^;)。人生もその「終わり」が肝心で、いくらその過程が立派でも、終わりがダメでは、その価値も半減してしまう。体操競技やスキージャンプだって着地で転んだら大幅減点だ。同様に、映画もそのラストシーンによって評価の多くの部分が決まる。
 というのは、まあコジツケで、アベノマスクとコロナウイルスに揺れた2020年ももうオシマイなので、今回は、映画の終わり方について過去に書いたものに若干の補筆をしてアップする。実は、まだ補筆の途中だが、最近のボケ進行からすると、こういう雑文を書いたことすら忘れてしまいそうなので、思いついたときがアップ時ということで、強引にアップすることにした。
 人生も映画もその「終わり方」が肝心(それにしても、歳をとってからの1年はホントに早い。ほとんど何もしていないうちに1年が経ってしまった(^^;)。

 ラストシーンが印象に残っている映画というと、まずチャップリンが思い浮かぶ。同時期のキートンなどと比べて、チャップリンが長編を破綻なくまとめることが出来たのは一にも二にもラストのうまさ、中でも(ワイルダーと同じように)決め台詞のうまさにあったのだと思う。
 たとえば「モダン・タイムス」のラスト。
 チャップリンがポーレット・ゴダードと並んでとことこと向こうへ歩いていく有名なシーンだ。歩いていったところで何かいいことがあるという保証は全くないのだが、「何もいいことはない。死んでしまいたい」と言う彼女に対して、チャップリンが言う「笑って。さあ、笑って」という台詞がきいているので、観客も何となくいいことがあるに違いないという気になってしまうのである。それにかぶさるチャップリン自身が作曲した「スマイル」という曲がまた絶妙で、映画全体としては短編を寄せ集めたような校正なのだが、つい感動してしまうのである。
 「街の灯」のラストもうまい.目が見えるようになった彼女が、汚い浮浪者のチャップリンがかつてそれが自分を助けてくれた紳士と気付かず、手に触れて初めて「あなたなの?」ときくシーンは、ぞくぞくするくらいの上手さで多くの模倣作も産んだ。あのギャグまんがの王様を自称する赤塚不二夫ですら「おそ松くん」の中でイヤミをチャップリンにこのシーンを使っていたほどである。チャップリンの困ったような、うれしいような顔のアップで、パッと終わる終わり方も見事(とはいえ、どう考えてみても、「モダン・タイムス」にしろ「街の灯」にしろ、このあと主人公たちを待っているのは、悲惨な人生だろう気がしないわけではない。それをなんとなく「よかった、よかった」風にうまくまとめてしまっているのは反則のようなものだが、「芸」というものだろう。
 「独裁者」はちょっと退屈するところもないではない作品だが(とはいっても冒頭の15分は大笑いできることを保証する)、ラストの大演説の後、「アンナ、聞こえるかい…」と呼びかけるうまさ。その途端、大所高所からされていた演説が、突如として観客一人一人に語りかけられるものになり、演説自体は悪い内容ではないので見ている者の心に直接届くのである。「殺人狂時代」(この作品のためにレッド・パージをくらい、アメリカを追われたといわれる)は、キネマ旬報第1位になった失敗作だが、しかし、「1人殺せば殺人犯、100万殺せば英雄」という彼の有名な台詞は実に説得力がある。この台詞だけで作品の価値が1ランクは確実に上がってしまうのだから。そんな決め台詞のおかげで、観客は、チャップリンの映画を見終わると初めから終わりまで充実した1本の長編(それは、とりもなおさずもう一つの人生ということになる)を体験したような錯覚に陥り、何らかの力を得たような気分になれるのである。「ライムライト」の主人公の死を知らずにヒロインが躍り続けるラストも印象的だ。極論すればあらゆる芸術作品が錯覚の上に成り立っていることを考えるならば、チャールズ・チャップリンは、やはり偉大だったと言わねばならない。

 ラストがうまい監督と言えばビリー・ワイルダーも欠かせない。
 が、ワイルダーについて書き出すとチャップリン以上に長くなってしまう。「情婦」(原作はアガサ・クリスティの短編で直訳すれば「検察側の証人」。「情婦」なんて邦題をつけた奴は万死に値する)のラストを見ればわかるとだけ書いておく。[翼よ、あれが巴里の灯だ」や「アパートの鍵貸します」などのラストも切れ味がよく、余韻が残る。「あなただけ今晩は」の「それはまた別の話」や、「お熱いのがお好き」の「完全な人間などいない」なども名台詞ラストも座布団3枚。いかん、ワイルダーについては書かないついっておくながら長くなりそうなので止めにする。
 アメリカ映画の古いところでは、「モロッコ」(スタンバーグ)や「カサブランカ」(マイケル・カーティス)など、今でもそのラストシーンについて語りたがるフアンがいるほどだ(私のその中の1人なのだが(^^;)。
 
 やはりラストが決まってこそ映画の評価も高まると思うのだが、どうも日本映画は、終わり方がヘタである。
 たとえば昔の映画になるが、世評の高い山田洋二の「幸福の黄色いハンカチ」のラスト。出所した高倉健がひょんなことから知り合った武田鉄也・桃井かおりと共に、妻の待つ家へ帰ってくる。妻が待っていてくれるのなら黄色いハンカチが……、ということで観客もドキドキしながら高倉健さんと同じ気持ちで画面を追っていくという、なかなかうまい場面設定である。で、(まあ見ている人が多いと思うので、ネタを割ってしまうが)黄色いハンカチはあるのだが、それが1枚ではなく、観客の意表をついて何枚も何枚もずらりと並んでいるのである。「わっ、よかった」と思うそこでどうして終わりにしなかったのだろう。その後つまらないシーンをだらだらと続けたために、この映画はせっかくの名画になるチャンスを失ってしまったのである。
 最後の着地というかキメがヘタという点では、残念ながら黒澤明も例外ではない。
 「用心棒」のラスト、三船に斬られてもうとっくに死んでいると思った仲代達也がまだ生きていて「お前は、優しいなあ」とか延々とぐじゃぐじゃ言うのには参った。続編の「椿三十郎」は、三船と仲代のラストの一瞬の勝負が話題になったが、あれはああでもしないと終わりにならないという無理やり終わりにするためのラストで私はあまり買っていない。「影武者」のラストの死体累々の間を仲代うろうろも長すぎる。名作「七人の侍」だって戦いが終わってからの百姓の田植えのシーンは、もちろんあってもいいのだがあの半分の長さででいいと思う。映画の格としては2ランクも3ランクも落ちる西部劇版「荒野の七人」だが、ことラストに関しては西部劇版の方が余韻を残して遥かに上である。
 周防監督の「Shall we ダンス?」は、なかなかよく出来ている映画だがこれもラストがもたもたと長い。「草刈民代に「Shall we ダンス?」と訊かれた役所が頷き彼女の手をとったところですぐエンディングに入るべきで、有象無象が一緒になって延々と踊るシーンなど絶対に必要ない。どうしても出したいのなら、クレジットタイトルのバックにでも出せばいい。
 これらは世間的にも名作とされているもので、それ以下の映画となると終わり方はもっとひどい。中にはわけのわからないまま幕が降りてくるものもある。アクション物、ヤクザ物などは主人公か仇、あるいはその両方が死に、登場人物が死んでしまったので映画も終わりだよーというものも多い。小言老人としては、終わり方ってものがあるだろうがと、小1時間説教の一つもしたくなるってものだ。

 その点、洋画は名作でなくてもそれなりにうまいものが多く、だらだらと続けることはしない(もちろん例外は多くあり、あくまで邦画との比率)。
 ビリー・ワイルダーやチャップリンは一流の監督だからと言うのなら、「カプリコン1」のピーター・ハイアムズのような普通の監督の平均的作品でもラストは、うまいと言っておこう。偽火星着陸を演出しその乗組員はすべて殺害したと思っている政府高官が墓前で「彼らの意志を継ぎ……」とやっているところへ、たった1人生き残った乗組員が記者と共に走ってくる、そのストップモーションで終わっているのだ。政府高官を映していたTVカメラがすべて走ってくる2人の方へ向きを変えるというそのワンショットで、それがどういう結果をもたらすのかは観客は十分にわかるのだから、その後をぐじゃぐじゃやるのは愚の骨頂というものである。キューブリックの「2001年宇宙の旅」とくらべて今ではほとんど話題にもならない同じくハイアムズの続編「2010年」にしたって大した映画ではないが、ラストはうまくしめくくっている。
 第二次大戦下の潜水艦と駆逐艦との死闘を描いたディック・パウエル監督の「眼下の敵」。
 戦いは痛み分けのような形で終わるのだが、ラストでアメリカの駆逐艦の艦長ロバート・ミッチャムがロープを投げたために、助かったUボートの艦長クルト・ユルゲンスがこんなことを言う。
「今まで死ぬべきところで死ねなかった。しかし、今回は君のせいだぞ」
「今度は、ロープを投げないでおこう」
 と、ミッチャムはすました顔をして答える。するとユルゲンスは言うのだ。
「いや、また投げるよ」。
 そこでカメラは引きになり、大洋をバックにエンドマークが入るのだが、敵味方を越えた海の男の心意気を示して気のきいた実に余韻に溢れた終わり方できないか。
 ジョン・ヒューストンの「勝利への脱出」は途中かなりダレルところがあって傑作になり損ねた作品だが、サッカー場で観客が雪崩をうってグランドへ入り込み(このシーンは、かなり迫力有り)、その観客の群れとともにゲートを壊して場外へ逃れた、そのシーンでパッとエンディングへもっていくあたり、手慣れているというか、うまいものだと思う。
 シリーズ化された「ロッキー」も「ファィナル」のラストは素晴らしいものだった。試合が終わりロッキーたちは判定を待たずに引き上げる。つまり、ロッキーにとっては現役の世界チャンピオンと試合をするということが目標であったわけで、判定などどうでもいいことなんだと見ている者を納得させるラストといえる。判定はいずれも95-94という微差で2-1で世界チャンピオンが勝利するのだが、メイキング映像を見るとロッキーが勝利するシーンも撮ったようだが、映画に使われたラストのほうが何倍も感動的だ。

 以上はアメリカ映画だが、ヨーロッパの映画もラストで唸らされるものが何本もある。
 たとえば、クレマンの「太陽がいっぱい」やアンリコの「冒険者たち」といったアラン・ドロンの2大名作も納得のラストである。終わり方が文句なしにうまいので、映画を見た余韻がいつまでも残るというものである。やはり、外国の名監督はラストもうまいのだ。もっとも、ルネ・クレマンの映画も「危険がいっぱい」「雨の訪問者」などは映画もイマイチだったし、ラストもどうでもいいようなものだった。名監督もその映画を撮った時点で名監督だったのかどうか判断する必要がある。アラン・ドロンの他の映画では「若者のすべて」(ヴィスコンティ)「さらば友よ」(ジャン・エルマン。ただしブロンソンに食われてしまったが(^^;)「レッド・サン」(テレンス・ヤング。これも、三船、ブロンソンに食われてしまったが(^^;)などはラスト合格だった。
 トリュフォーの「華氏451」のラストなどは極めつけの1本で、その美しさと感動については、すでにこのブログにも何度も書いたが、私が選ぶ映画ラストN0.1と言っても過言ではない。

 「スパルタカス」(キューブリック)や「ベン・ハー」(ワイラー)「アラビアのロレンス」(リーン)「サウンド・オブ・ミュージック」(ワイズ)のような3時間を超える超大作でもラストは、スパッと決めている。「エル・シド」(マン)に至っては「歴史の門から、伝説の中へと駆けて行ったのである」のラストシーンのおかげで完全に評価が1ランク、いや2ランク上がった。超大作だからラストも長くていいというわけではない。見事に着地しているからこそ見終わって余韻が残るのであり、そこをだらだらやられたのではせっかくの名画もだいなしである。逆に言えば、出だしも途中の過程もラストもきちんと納得の出来にあるからこその名作ともいえる。
 超大作の場合、ともかく金がかかっているのだから何がなんでもラストはきちんと決めていい印象を残したいという意識がとくに製作者側にも強く働くのだろう。駄作も駄作。映画館では必死になって眠気をこらえる必要があったジョン・ウェインの「アラモ」ですら、ラストは感動的にピタリと決めていた。

 最後に、映画1本1本ではなく、シリーズもあまり長く続けようとはせず、キリのいいところでスパット終わる方がいい。たとえば「エイリアン」。1は宇宙ホラーとして、2は宇宙活劇として十分に満足できるものだったのだが、3でいきなり2で脱出に成功した宇宙船が墜落。2での話がチャラになってしまったところからスタート。2で、よかったよかったとおもった観客は完全に脱力。それでも凝りもせず4では、3で死んだシガニー・ウィーバーおばさんがDNAから復活。しかも眠気と闘わなければならないほどの不出来でシリーズの価値を完全に落としてしまった。多分、客の入りも悪かったのだろう、やれやれともかくこれでシリーズも完結だなと思っていたら、ナント第1作の監督リドリー・スコットが「プロメテウス」なる第1作の前史を作り始めてしまった。その後の話が「エイリアン:コヴェナント」で、さらに第1作前の話が1本作られるという噂を聞いたが未だに作られていない。リドリー・スコットは傑作「ブレードランナー」に泥を塗るような「ブレードランナー2049」という続編も作っているが、歳をとったせいで完全にボケているのだろうか、「ブレードランナー」を見て感動した人は絶対に見ないほうがよい。。
 「スターウォーズ」も第1作(epi.4)で十分だったものを儲かったので話を水増ししたようなepi.5、epi.6が作られた。まあ、全9作なんて言っていたが3部作ということで終わりにするんだなと思っていたら何年か経っていきなりepi.1、epi.2、epi.3が作られた。前史にあたるものでepi.4に繋げるストーリーなのだが、見ている方はどうなるのか結末がわかってしまっているので、全くハラハラドキドキしない。それでもepi.4の監督でもあり製作総指揮のジョージ・ルーカスの「全6作。ダース・ベイダーになった人間の誕生から死で物語は終わった」という発言に、私は、まあそういうことなら仕方がないかと思ったものだ。その後、金の亡者のルーカスが権利をディズニーに売り渡しepi.7、epi.8、epi.9が作られ、さらにサイドストーリーとして「スターウォーズ・ストーリー」「ハン・ソロ物語」が作られ、シリーズとしての価値を大幅に落としてしまった。
 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はタイムトラベル物としてなかなかよくできていたので、ヒットしたのだろう。続編、続々編と作られたのだが結局は同じことの繰りかえしになり、教訓的なものまで入って来てつまらなくなった。同じタイムトラベル映画の「ターミネーター」も「ターミネーター2」まではおもしろく見られたが、3以降はゴミ。「ブレデター」に至っては、続編が作られるたびにつまらなくなっていき、今やクズだ。古いところでは、「スーパーマン」もおもしろかったのは、2までだ。こうしてみると、SFファンタジー映画がシリーズ化されることが多いようで、結局はつまらないシリーズになってしまうのは、青年時代SFフアンだった私としてはなんとも残念なところである。

 やはり、最後をどう決めるかというのは重要だとつくずく思う。アホもスカも悪事を重ねて来たのだから、「真摯に反省」なんて言葉だけの反省はもう聞き飽きた、せめて引き際くらいは奇麗にと思うのだが、まだまだ居座り続けるんだろうなあ。見苦しいほど往生際が悪い。先日までNHKで放送されていた「焔魔堂沙羅の推理奇譚」なら間違いなく地獄行きだな。(^_-)-☆
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レニーの「第九」を視聴してみた [映画・文学・音楽]

 年末恒例と外出自粛に従ったわけでもないのですが、いい機会なのでレナード・バーンスタイン=ウイーン・フィルによるベートーヴェン「第九」のLIVE映像を通しで視聴してみました。
 NHKの番組でラス前のソプラノへの要求が過大だというようなことが言われていたので注意して見てみると、確かにあれだけの高音域であれだけ引っ張るのは大変を超えています。もちろんプロの女性ですからこなしているわけですが、緊張と全力で唄っているのが映像から伝わって来ます。
 知り合いから、なんでバーンスタイン盤なのかというメールが来ました。まあ「第九」というとカラヤン、フルトベングラー、ベーム、あるいは朝比奈隆、小澤征爾・・・。誰もが「第九」となると特別な意識があるのでしょうか、どれも聴きごたえがあり、ハズレはありません。音楽のことはよくわからないので、バーンスタインのものが「音」的にどうなのかなんてことは私には評価不可能。もしかするとCDで聴いたら、なーんだなんてことになるかもしれません。私にとっては、レニーがとても楽しくうれしそうに指揮していて、ウィーンフィルやソリストの面々も楽しそうなのが好ましく感じられるのが最大の理由なのかもしれません。カラヤンの「第九」は、正確無比なのかどうかはわかりませんが、あの無表情でロボットのような指揮ぶりが私にはどうしても「第九」のイメージに合わず、CDならともかく映像つきで見る気にはなりません。カラヤンフアンの方、悪しからず。
https://www.youtube.com/watch?v=5hly0x_ZU5c

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★どうでもいいようなこと★
 「第九」とラストは、タンタンタンタンターラタンタンタンッ!で終わっています。普通の交響曲のラストのイメージだとターラタンタンタン!の後に一般的にはタンタンターンで終わるので、何だか「第九」のラストは完全に終わっていないような印象をもっています。この神との歓喜のはこの先もずーっと続いていきますよーというベートーヴェンのメッセージなんでしょうか?
 ちなみにベートーヴェンを強く意識したブラームスの第1(「第九」を意識して作られたので「第十」とも言われる)は、20年もかかって作曲したので終わるのが惜しいと思ったのか(@_@;)、タンタンターンではなくタンタンタンタンターンと繰り返されている。
↓ブラームスの第1第4楽章
https://www.youtube.com/watch?v=nqijlK5ZD-4
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素直な年寄りは自粛自粛 [日記・雑感]

 12/26日の新型コロナ感染者数は、全国で3849人。(もちろん記録20:30)
 東京949人、神奈川480人、大阪299人、愛知265人、埼玉265人、千葉201人、兵庫175人、北海道161人、福岡160人、京都135人で、ここまでが三桁。首都圏(1都3県)で全国の半分近くの1895人ですから、ことは深刻です。カス首相が変種ウイルスが広がっているイギリスから日本への入国者は「日本人で英国に住んでいる方とか1日1人か2人だ」(実際は150人前後)なんて発言したことからも、いかに関心がないかがわかります。(▼▼メ)

 年明けまでに校正をなぁんて.pdfがどさーっと送られて来ましたが、すぐにやろうという気になれません。ま、締め切りは「来年」なんだからと考えて、のんびり自粛自粛[眠い(睡眠)]
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ついに「ラッキー」が来たか(^-^) [日記・雑感]

 昨日(12/25)の夜、wildさんからのメールを読んでびっくり。
 幽霊留学生など数々の問題で話題となっている東京福祉大学。そこで総長時代に数回ものセクハラ事件起こして実刑をくらった中島恒雄。出所後反省もなく、鉄面皮にも再び総長に復帰して新聞やテレビで大きく取り上げられている。世の中にはトンデモない悪人がいるもんだなあとは思っていたのだが、こいつがナント我々と高校が同期だというメールなのだ。ンなバカなと卒業アルバムを探し出して来て調べたらゲゲゲの鬼太郎、確かに3年I(アイ)組に中島恒雄の名前が( >_< )。まあ、全然知らない奴で口をきいたこともないのだが、こんなんと同期だったとは最悪のクリスマスプレゼントだぁ(≧Д≦;)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b5d32d02dff27cc356de4ac9cbaac8436d9698a1
https://mainichi.jp/articles/20201222/k00/00m/040/171000c?inb=ys

 伝統?菓子・キャラメルコーンのクリスマスバージョン。いつもながらのフニャァとした形以外にクリスマスツリー型のものが入っているとか。ふむふむと袋を空けると、パラパラと落ちた5つ6つの中に、なんとクリスマスツリー型のものが2個も[わーい(嬉しい顔)]。ううむ・・・いよいよラッキーがやって来たか。こりゃあ宝くじでもちょいと買ってみますかね[るんるん]
 ・・・なぁんて思っていたのに、上記の「中島台風」のためにすべてのラッキーが吹き飛ばされてしまったような気がします。ドリフのチョーさんじゃなていですが、「だめだ、こりゃあ」[バッド(下向き矢印)]
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★さて、年末恒例ベートーヴェンの「第九」。私のいちばん好きなバーンスタイン=ウィーン・フィルのLIVEを貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=5hly0x_ZU5c

★なかにし礼さんが亡くなりました。ネット検索していたら、なかにしさんが自由訳した「第九」がアップされていたのであわせて貼っておきます。合掌。
https://www.youtube.com/watch?v=xGBMn4jKlJw
https://www.youtube.com/watch?v=CCbcyOgirSg
https://www.youtube.com/watch?v=HRlEp_Aq_NM

★年末の「第九」といえば恒例「一万人の第九」も欠かせません。今年はリモートで行われました。ハイライトをどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=Hl9ddaEJuns
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12/24-25はお休みです [日記・雑感]

 師走だからって、クリスマスだからって、先生でもクリスチャンでもないので、走らなければならないってことはないし、特別にお祈りしたり騒いだりすることもありません。なぁんて怠惰の言い訳のように聞こえるかもしれませんが、その通りです(^^;。
 タイトルの通り12/24-25のブログ更新は、お休みします。コメントに対するリプライもお休みします。ま、12/22の打ち合わせも無事終わったし、歳が歳なので、2日ほどのんびりしまーす。m(__)m
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原一男監督のドキュメンタリー?映画について [映画・文学・音楽]

 本日は、「老人力」拡大対策のための「忘備録」につき、お忙しい読者の皆様(いるのか?(^^;)には、スルーをお願いします。
 限られた人生の貴重な時間を無駄に費やしてしまったがやと、お怒りになられても当方は責任を負いかねます。[たらーっ(汗)]

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 「ゆきゆきて神軍」は、映画館ではなくレンタルビデオでタイトルに引かれて何となく借りてきて、何となく見始めた。が、すぐのめり込むようにして見た。いやあ、ぶったまげましたねえ。まさしく、こんなのあり、という映画で、しかも、それだけでは終わっていない映画だった。はっきり言って、凄い!まさか未見の人はいないと思うが、そんな人がいたとしたら、一見の価値有りとだけ言っておく。

 まず映画の主人公だが奥崎は、昭和天皇の責任を追及するとしてパチンコ玉を撃ったむさいおっさんである。巻頭、天皇の政治責任を追及する看板で埋められた彼の車の異様さに、まず度胆を抜かれる。右翼の街宣車ではたまに見かけることはあるが、それでもここまで凄いものは見たことがない。「田中角栄を殺す」という看板もかかげられている。戦争当時の関係者の家に乗り込み、話をする。相手はちょっと迷惑そうだが、わざわざ会いに来てくれた相手である。普通の客のようにもてなす。奥崎、最初は穏やかに話しているのだが、相手が自分の責任を回避しようとした途端に立ち上がり、殴りかかる。凄い。その暴行を止めることもなく、カメラが回っているのは、もっと凄い。近年話題になった「カメラを止めるな」なんて甘っちょろい映画なんぞは、足元にも及ばない。結婚式の披露宴で奥崎がいきなり「新郎は刑務所に云々」と言い出し、それを周りが神妙に聞いているのに至っては、開いた口がさらに開いてしまい顎が外れてしまうほどの凄さである。

 形式は、確かにドキュメンタリーである。が、果たして素直にドキュメンタリーとして認めてしまっていいのか。私は、原一男の長編映画は2本しか見ていないが、いつもそんな気がして仕方がないのである。その手法は、原の師匠の今村昌平とも明らかに異なる。今村は、日本の土着的なもの、原風景とでも言うべきものに拘りをみせるが、それはあくまで監督・今村昌平のイメージの中での土着的なもの、原風景であり、彼はそれをスクリーンの上に現実化しようと悪戦苦闘しているように見える。それに対し、原一男のカメラは対象の前でただ謙虚に回っている(ように見える)。
 しかし、本当にそうなのだろうか。
 演出はないのだろうか。いや、演出はあるはずだ。師匠の今村にも「人間蒸発」という一見ドキュメンタリー風に思わせておいて、最後に演出でしたー、本物のドキュメンタリーがそんなにうまくまとまった形になるわけないでしょうと、わさわざネタバレしている映画があるのだ。これはまあ、昨今のやらせが臭うテレビのドキュメンタリー番組をすでに何十年も前に皮肉った映画ととれないこともない。
 それに反し、原の手法は淡々とカメラを回しているだけのように見えるが、しかし、たとえ原が奥崎にあれこれ指示出しをしていなかったとしても、カメラが回っていることを意識した奥崎が、殴りかかるという行為をするかもしれないという計算が絶対になかったと言いきれるのか。奥崎が自己顕示欲の強い、目立ちたがり屋の性格であることを考えると、少なくとも何割かの期待はあったのではないかと思う。また、カメラは淡々と回したかもしれないが、編集の段階で奥崎の普通の行動はカットされ、映画の上ではちょうどいいタイミングで殴りかかるという編集がされているのかもしない。

 しかし、演出があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。
 普通の生活をおくっているように見える奥崎の行動が突如として狂気の色を帯び、戦争の亡霊を蘇らせることこそ重要なのだ。平凡な生活を送っている人間から見ればそんな奥山の言動は異常そのもののように見える。ただ、その異常さの中に一片の真実が含まれているのが、この映画の凄いところだ。だからこそ、過去を忘れ、あるいは忘れようとしている人間は、奥崎に殴られることにより、嫌でも過去と再び向かい合わなければならない。
 埴谷雄高は、かつて「戦争の最大の犠牲者は戦争で死んだ者たちだ」そして「死者は何も語らない」と、書いた。だから戦争は繰り返されるのだが、死者の声を聞けば彼らはこう言っている「ぐれーつ」とも。この映画の奥崎は、まさしく戦争で死んだ者たちの代弁者として幽霊のように、意識的、無意識的を問わず過去を忘れて生きている者たちの前に立ちふさがるのだ。ただし、「ぐれーつ」と言う代わりに殴りかかることによって。
 この映画の凄いところは、そうした奥崎の行動を肯定も否定もしないところだ。その結果、奥崎に殴られる老人も奥崎も等しく戦争の犠牲者であり、違いは忘れようとするのか、言語と行動で忘れまいとするのか、ということだけだと観客にもわかるのである。戦争反対などとは一言も言っていないが、これは紛れもなく反戦映画であり、人間が置かれた状況で何を考え行動するのかを考えさせる映画である。多くの人にとっては戦争は終わっている、あるいは終わっていると思いたいのだが、奥崎にとって戦争は終わっていない。それを考えさせる意味でも「ゆきゆきて神軍」は、紛れも無い傑作だった。

 私の見たもう1本の原一男の映画は「全身小説家」
 作家・井上光晴を追ったドキュメンタリーで、井上の死で終わる。癌と宣告された井上は、カメラの前で淡々と日常生活を送っている、そして彼の日常生活とは、とりもなおさず小説を書くということなのだが、奥崎の時と同じようにそれは本当の日常なのか、それともカメラを意識した上での日常なのかよくわからない部分がある。そんな日常の裏に、どれほどの病気でどんな大変な手術をしているのか知らしめるためなのだろうが、カメラは手術の様子も克明にとらえる。人間の体からはこんなにもたくさんの血が出るものなのか、と血を見るのが嫌いな私としては思わず目をそらせたくなる場面の連続である。
 いったい井上は、なぜ手術の様子まで撮影を許可したのだろう。不許可にして小人物と思われるのが嫌だったのだろうか。そうでは、あるまい。写されたものは、確かにドキュメントであるが、しかし、それは現実そのものではない。ドキュメンタリータッチのフィクションとでも呼ぶべきものなのである。日常も、日常そのものではなく、あくまでカメラを前にしての演技された日常と解釈すべてものであろう。それは、彼が、この映画で「自分」というものを主人公にした小説を書こうとしたためではないかと思う。

 確実に迫り来る死を見据えて、机に向かうのも、おそらく映画の上で小説を書こうとした決意の表れである、とでも解釈しなければ、この映画の日常性が理解できない。彼が話す自分の生い立ちが、あちこちでフィクションだとわかるのも、自分自身を小説にして演じてしまう、という部分を抜きにしては理解できない。その上での「全身小説家」のタイトルなのである。紙に向かって書くのか、カメラに向かって演技をするのかの違いこそあれ、井上光晴は、全身で「井上光晴」という小説を書いたのである。
 いや、もっと正確に言おう。小説家=井上光晴を起用して、原一男がそういう映画を作ったのである。容赦無くそんなところまで写してしまうのか、と思わせるのもまた演出である。ゴダールの映画のいくつかが、映画の約束事いいかげんにやめましょう、とでもいいたげにドキュメンタリータッチを感じさせるが、原の映画は、それをさらに徹底させたものと言えるかもしれない。しかも、これはほとんど奇跡と言ってもいいが、独り善がりではなく、1本の映画として十分に普遍性と娯楽性をも併せ持っている。
 二度にわたる大手術を受けた井上光晴は、「おやすみ」という象徴的な一言を残して部屋へ消えて行く。直後、観客は彼の死を知らされる。そして、葬儀のシーンに続くラスト。彼のかつての仕事場へ続く階段をカメラが上がっていく。すると、そこに、机に向かい原稿用紙に何かを書いている井上光晴がいる。「全身小説家」というタイトルにふさわしい、見事な締めくくりではないか。
 その結果、この映画を見終わった者は、否応なく自分の限り有る生と向かい合わなければならない。黒澤の「生きる」が演出の極致でそれを問いかけているのだとすれば、「全身小説家」は、演出を感じさせない生の肌触りで同じことを問いかけているのである。「神軍」には及ばないにしても、この映画もまた傑作である。

 監督の名前を見ないと、今見た映画が誰の演出によるものなのかわからない作品が多い昨今、原一男の存在は貴重である。彼の映画を見てしまうと、世評の高いマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」や「華氏911」「シッコ」なんぞ(それなりのレベルにある映画であることは認めるものの)「屁」のようなものである。被写体への迫り方が違うのだ。
 ついでに書いておくと、後にTVで原一男が浦山桐郎の生涯を描いたドキュメンタリー(「映画監督・浦山桐郎の肖像」)を見た。これもなかなかのものであった。故人のドギュメンタリーというと、生前のインタビューなど挟みたくなるものだが、そんなものは一切使わず、家族や兄弟、師匠の今村昌平、俳優ら関係者の証言だけで一人の映画監督の生涯を描き、浦山桐郎という人間像を浮き彫りにする手法は見事と言うしかない。
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コロナ、似てますかね? [気象・天文・宇宙]

 12/20の新型コロナ感染者数は、全国で2496人。
 東京都556人、大阪府250人、神奈川県239人・・・。一見感染者が減っているように見えますが、検査数の関係から日、月、火あたりは感染者数が低くでます。東京都の日曜の感染者数は日曜比較で過去最高ですから全く予断を許しません。( >_< )

 昨日(12/20)は、天気はよかったのですが寒いので昼のお弁当を買いに出かけた程度で、あとは引き蘢り。これといってアップする写真もないので、ネットで見つけた写真で誤摩化しておきましょう。コロナウイルスと、語源となった太陽コロナの写真です。似てますかね?
↓COVID(写真・高松赤十字病院)
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↓太陽コロナ(NASA/JPL)
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外国人用招き猫 [日記・雑感]

 浅草で、こんな招き猫売っています。今はコロナのせいで外国人は少ないようですが、コロナ以前に仲見世通りを歩いた感じでは、4割が外国人でした。外国人用招き猫は目が青く、招く掌の向きが日本のものとは逆になっています。
(コロナを招いているわけではありませんからネ。念のため(^^;)
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★追加★wildさまの「要望」で、無病息災と金運の招き猫追加します。(^-^)
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スカ(ハズレ)を引いちゃったなあ [日記・雑感]

 毎日新聞に「まるで旧日本軍?『GoTo』撤退に失敗した政権の『病理』」という記事が出ていました。スカ首相の「私ども選挙で選ばれている。何をやるという方向を決定したのに、(官僚が)反対するのであれば異動してもらう」という発言により官僚の忖度があり、「政府首脳に上がってくる情報は、その異動対象になり得る役人たちが上げてきます。菅首相らの嫌う情報は小さく見せ、楽観的な情報は大きく見せる、といった『加工』が積み重ねられ」とし、政府のコロナ対策は、「破滅的な敗北を招いた旧日本軍に共通している」という記事のあとに、こう書いています。
「日米開戦の直前、『日本が勝つ』という目標に合うよう、陸軍省戦備課が『1対10』とはじいていた日米の戦力比を、同じ省の軍事課が『地の利を考慮』して『1対4』に改め、この報告を受けた首相の東条英機本人が『日本人は精神力で勝っているはずだから五分五分だ』と結論づけた、という有名な史話が思い起こされる」(≧Д≦;)

 今年の秋はなんだか気がついたら終わっちゃったという感じですが、朝起きたらスカも終わっていたってことになりませんかねえ。スカがステーキ食いながらこちらには自粛だなんだと自己責任を押し付けるせいか、最近、眠りが浅くて困ります。[バッド(下向き矢印)]
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今年のライトアップは? [日記・雑感]

 12/17の新型コロナ感染者数は全国で3211人。もちろん記録更新です。
 それにしても東京822人というのはすでに1000人が「見えている」ようで不気味です。さすがにマズイと思ったのか、会見を開いた口だけ都知事は「年末年始コロナ特別警報」を発出するなんて言っていましたが、具体的内容は皆無です。「小さなグループで」「忘年会や新年会は避ける」ってのは、都民の前にスカ首相にまず言ってください(キリッ)。

 今年もイルミネーションで街をライトアップするんでしょうか。以前は、三脚担いで電車に乗り撮りに行ったものですが、今年はやっていたとしてもその気になれません。
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久々の江戸川スポーツセンター [日記・雑感]

 12/16の新型コロナ感染者数は全国で2986人(21:00)
 東京678人、大阪396人、神奈川287人、愛知248人。ここまでが200人超。北海道が86人といくらかおさまりかけているのと、福岡が141人と倍増しているのが目につきます。毎週木、金、土は感染者数が増えるので気になっています。12/28のGoTo停止前は、今のところ東京、大阪、名古屋、札幌のみが「着」停止になっていますが(東京は12/18から)、神奈川、福岡、埼玉179人、千葉123人、兵庫135人、京都97人、広島92人など知らんぷりでいいんですかねえ(≧Д≦;)。

 所用があって、リス太郎さんの本拠地・西葛西に行ってきました。といっても、リス太郎さんに会いに行ったわけではありません(落語の練習で忙しい(^^;)。江戸川スポーツセンターに行って来たのです。コロナの影響で、ほとんど1年ぶりです。この間、池江さんの復帰もあって千羽鶴はすべて撤去されていました。東京オリンピック応援の意味も込めたメダリストたちのサインはまだ飾られていましたが、来年のオリッピック、パラリンピックって本当に開催されるんでしょうかね?
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向島百花園積み残し [植物]

 あれほどGoToはコロナ感染とは無関係と言い張っていたのに支持率が低下したらあっさりと、感染拡大阻止に全国のGoTo停止。この論理破綻に、説明をという声が多いようですが、まあ支持率が低下したからとは言えないでしょうねえ。だいたい、スカ(ハズレ)首相の新型コロナに対する関心はというと、国民には会食は「4人以下」と言いながら、GoTo停止を決めた後、7人でステーキ会食したという行動にくっきりと現れていますわな。
https://mainichi.jp/articles/20201215/k00/00m/010/165000c
 朝食をとりながらテレビを見ていたら、8人に増えていました[がく~(落胆した顔)]。スカ、二階、みのもんた、杉良、ワンちゃん・・・[あせあせ(飛び散る汗)]ったく、政府が外出など「自粛」しろと言っている「高齢者」ばかりじゃねえか[パンチ]
 この件について記者から質問を受けた西村ポンコツ大臣は「一律に5人以上はダメと言っているわけではない」と。萩生田文科大臣は芸者遊び。下級国民は自粛していろ、我々上級国民は広い部屋を貸し切ってソーシャルディスタンスもしっかりとっているのだから何をやってもいいのだ、と翻訳しておきます。(▼▼メ)

 先日、久しぶりに行った向島百花園。これといって撮るものもなかったという報告はすでにしていますが、せっかくなので積み残し分もアップしておきましょう。
↓カシワ
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↓ハギ
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↓マンリョウ
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↓ムサシアブミ
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12月の向島百花園・花 [植物]

 今日は、愚痴がちょっと長い。まあ、あの時にはこんなことを考えていたという、例によっての「忘備録」なので、そこはスルーしてせっかく来たんですから写真だけチラッと見て、立ち去ってください。(老人力向上のため、書き留めておかないとすぐに忘れてしまうのです)

 クラウゼヴッツの「戦争論」なんて古い本など今では読む人もいないだろうが、大學時代、政治学科の学生は読んでおくべしという空気があり、流されやすい私は「仕方なく」岩波文庫の3冊を読んだ。半世紀以上も前のことで内容はほとんど忘れてしまったが、「戦争は政治の延長である」ことと「戦力の逐次投入は愚策」であることなどは今でも記憶に残っている。要するに、戦争はある日突然起こるものではなく、政治の一つの究極の姿であり戦争を始めるのも止めるのも政治であるということだ。戦力の逐次投入の愚策は、日露戦争の二百三高地などイメージすればわかりやすい。
 小学校のころ「明治天皇と日露大戦争」という映画を見た私は、何度も攻撃をしながらバタバタと倒れる日本兵を見て、なんで一気にやらずに同じことを何度もやって殺られているのだろう、司令官(乃木将軍)はバカじゃないのかと、思ったものだ。兵力が、たとえば5対10の場合、一気に来られたら5に勝ち目はないが、相手が2ずつ投入してくれればその都度撃破すればいいのだから最終的に勝利を得ることができるのだ。
 なんで、こんなことを書いているのかといえば、スカ首相以下のコロナ対策がまさにこの「戦力の逐次投入」に他ならないからだ。GoTo堅持のためにまずとったのが札幌と大阪着のGoTo停止で東京は除外。東京は問題が大きいのでとりあえず知らんぷり。しかし何もしないと非難されるので、ちょい小出し。効果がないと非難され始めたら発も自粛しよう、と小出し。東京は何もしなくていいのかという意見が強くなったら、高齢者と持病持ちの自粛と、またまた小出し。「臨機応変」なんて言っているバカがいるが、こういうのを「場当たり的」と言う。
 「勝負の3週間」なんて言っていながら負けそうになると、GoToと感染拡大は影響ないと大見得切っていたくせに12/28から来年の1/11までGoTo停止なんて言い出す。それでいて何で28日からなのかは説明しない。場当たり政策の連続小出し、まさしく絵に描いたような政策の逐次投入という愚策の上、「影響のない」ものを止めるわけで、完全に論理が破綻してしまっている。
 総理になったことで有頂天になったのか、「ガースー」なんてやっているうちに感染が拡大してほとんど手が打てなくなっしまってているのが現状だろう。対コロナを戦争ととらえれば、それは政治の延長上にあるのだから、政治で終息させなければならない。にもかかわらず、未だに経済のためにGoToは6月まで延長なんて言っている(GoTo=経済ではないだろう)。ネットで「ガースーです」なんて笑っている場合ではないのだ。
 今の政権は、戦争末期の日本軍とほとんど同じと言って過言ではない。経済を上向きにさせるのも、医療現場の崩壊を止めるのも、一にも二にも特効薬は感染を止めることなのだ。私は「生産性のない」年寄りだが、一億火の玉、一億総玉砕なんて、まっぴらごめんだゾ。(▼▼メ)

 今がいちばん花の少ない時期なんでしょうか。
 このほかではスイセンがいくらか咲いていた程度です。おかげで人は、まばら。百花園、冬の恒例である甘酒を飲み、健康のため園内を2周して帰って来ました。一眼はちょっと辛いのでニコンV1での撮影です。
↓アキチョウジ
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↓サザンカ
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↓シモツケ
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↓ススキ
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★昨日、無事テレビのある生活に戻りました。(^^)/
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12月の向島百花園 [植物]

 昨夜は「ふたご座流星群」の最盛日でした。流れ星の撮影は、カメラは三脚に固定、内蔵のノイズリダクションは切り、ISO3200、露出開放(明るいレンズを持っていないので私の場合F2.8)、レンズは広角レンズ(私の場合17mm)、シャッタースピード15sec、インターバルタイマーを使って連続的に撮っていくというのが過去のデータ。晴れてもいたし、隅田川の土手まで出かけて20-30分がんばってみようかと思ったのですが、この時期に風邪はひきたくないのであっさり断念しました。
※よしころんさんあたりが素晴らしい写真を撮っていることを期待して待ちましょう。[るんるん]

 先日行った向島百花園。今年最後になる可能性もあるので、今日、明日と何枚かアップしていきましょう。このブログは、私の行動記録にもなっているわけです。
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どこでだって生きていくぞ [日記・雑感]

 もう5日ほどテレビのない生活をしています。
 壊れた翌日に買いに行ったのですが、年末で混んでいるのか我が家に来るのは明日です。まあ小さなテレビはあるので100%ゼロってことはないのですが、テレビがなくったって全然生活に支障をきたすことはないとわかったのはひとつの発見でした。(^-^)

 12/12の新型コロナ感染者数は全国で3041人。遂に大台超え(21:00)。
 東京都621人、大阪府429人、神奈川県223人、愛知県206人、埼玉県199人、北海道189人、兵庫県137人、千葉県121人、広島県104人、福岡県86人といったところがワースト10。10万人あたりの感染者数は大阪、北海道、東京の不動のワースト3。「ガースーです」なんておちょけている大ハズレ(スカ)のスカ首相、「5つの小」なんてプレートで「やっているふり」の口だけ都知事、イソジン宣伝大使の大阪府知事、きみたち遊んでいる暇なんてないんだぞ。(▼▼メ)

 「どこでだって生きていくぞ」という植物のど根性。植物は移動できないので、生きるということにどん欲です。見習いたいものです。
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★送ってもらったJAの広報誌に載っているwildさんの写真、本当にいい笑顔ですねえ。奥様の笑顔もいい。複写してブログにアップしたいところなんですが、肖像権の問題があるので、そうもいきません。残念・・・。
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東武曳舟適当スナップ [日記・雑感]

 12/11の新型コロナ感染者は全国で2773人。
 東京595人、大阪357人、神奈川285人がワースト3ですが、これまで比較的低く抑えられていた福岡が122人と再び三桁になったのが気になります。医師会の言葉を借りなくてもこの状況でGoToなど基地外沙汰なんですが、カス首相は日本語が理解できないのかやめる気配全くないですねえ。バカの一つ覚えのように「悪夢の民主党政権」を事あるごとに言っていたのはアベちゃんですが、私からは、自浄能力を消失した今の自民党は「悪夢」ではなく「悪の自民党政権」だと言っておきましょう。

 も一つ、スカ首相がニコニコで「いつの間にかGoToが悪いことになってきちゃった」なんて笑顔で。「ガースーです」なんて受け狙いでニコニコ動画なんでにこにこしちゃったんですかね。一部の自己保身バカ政治家を除いて、医師会もGoToを一旦やめるべきだと言っているのに、並の、いや、人間の神経じゃないですな。それとも耳が不自由なのか、あるいは日本語も理解できないのか。総合的、俯瞰的に見ても完全にアウトです。(▼▼メ)

 曳舟の整骨院に行った帰り、スマホで適当に撮ったものです。この汚れ具合、KSさんなら怒って区役所か都庁に電話入れるところでしょうねー。(^^;
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★小松政夫さんが亡くなりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a3ddc238345e715e7257ff8cef8fc5f7c0ca83e
 「みごろ!たべごろ」の相方・伊東四郎さんが80過ぎても元気にドラマに出ているのと対照的に小松さんは去年だったかテレビで見たときずいぶん老け込んでいて言葉も弱々しかったので、どこか悪いのかと心配していました。肝細胞がんだったんですね。確か、去年だったかに「生前葬」とかという舞台をやっていたので、そのころにもう兆候があったのかもしれません。小松の親分さん、天国で師匠の植木さんによろしくね。私は、追悼の意味も込めてドラマ「のぼせもん」でも見ましょうか。合掌。
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東宝「変身人間シリーズ」3部作 [映画・文学・音楽]

 12/10の新型コロナ感染者数は全国で2969人。いよいよ3000人超えですねえ。(≧Д≦;)
 東京都602人、大阪府415人、愛知県242人、北海道241人、神奈川県214人、埼玉県188人、千葉県151人、兵庫県149人、福岡県79人・・・東京は初の600人超、隣接県も軒並み三桁です。大阪の400人超も気になりますが、例外的に第3波を抑えて来た福岡県の数字がじわじわと上がってきているのも気になります。10万人あたりの感染者数は、大阪、北海道、東京がいずれも20%超の危険水域。こんな状況でも未だにGoTo延長なんて言っているスカ総理以下全員がスッカスカのカスですな。(▼▼メ)
 なんて言っているうちに「勝負の3週間」(確か11/20とかの発言だったと思う)もそろそろ終わりに近づいて来ているのですが、感染者数、重病者数ともに減るどころか増える一方。政府、知事、市長のお偉いさん共、3週間が終わったらどうするんじゃい、このボケが!

 お約束通り東宝の「変身人間」シリーズ
 ようするに、これまた私の「忘備録」なので、読まないでスルーしてください

 東宝特撮というと「ゴジラ」があまりにも有名になりすぎたせいか、ラドン、モスラ、キングギドラなど特撮=怪獣映画と思われがちだが、「地球防衛軍」「妖星ゴラス」などはある意味怪獣不要の特撮映画だ。また、古くは「古事記」からストーリーを組み立てた「日本誕生」、来年テレビドラマにもなる「日本沈没」(元SMAP草薙剛主演の駄作リメイクもあった)、由美かおるの美巨乳がチラリと見える「エスパイ」など怪獣とは全く無縁の特撮映画もけっこうある。
 東宝自体も怪獣ものの特撮だけでは先が見えている新しい特撮シリーズが必要だと思って(私の推測です)始めたのが「変身人間」シリーズなのだろう。ただ、このシリーズだったの3作で終わってしまった。なぜ短命に終わってしまったのか、3作見るとその答えが自ずから浮かんでくる。
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「美女と液体人間」
 日本の「第二竜神丸」(明らかに「第五福竜丸」がヒントだろう)が水爆実験の放射能を浴びというのが発端。いくらなんでも放射能でこういうことは起こらないだろうし、原爆の被害者のことを考えたらこういう設定でいいのかとも思うのだが(水爆を持ち込まなくても成立する話なのだ)、それを言っちゃあオシメエよ、なのでそこは不問にするしかない。まあ、今だと企画の段階でボツは必至。
 傘をさしたカップルの前で人1人が消えてしまうという出だしは悪くないが、あとはまあお決まりの展開。おっと、こんなところに「青春とはなんだ」夏木陽介が出ていた。冒頭のこのシーンだけなのでフアンの方はお見逃しなく。その後はどちらかというと刑事物語のような展開で麻薬なんてのもからんでるため退屈でだれる。むしろ、「幽霊船」を発見して調査するシーンなどが「ラドン」の炭坑調査を連想させる出来で悪くない。航海日誌が出て来るシーンで私は「吸血鬼ドラキュラ」の「船長の日記」を思い出した。ラストはもう少し盛り上がりというかクライマックス感がほしかったところなのだが、とくに意外な展開もないまま終了。
 と書くと「そんなつまらない映画なんでわざわざ見たんだ」と言われそうだが、なんたって、私の言うところの「東宝SF2大スター」平田昭彦と土屋嘉男が刑事役で出ているのだから、それだけでも見る価値があるってものだ。いや、見なければならない(きっぱり)。佐原健二、白川由美の特撮黄金コンビ(2人とも「地球防衛軍」「ラドン」「妖星ゴラス」などに出ている)ももちろん出演している。佐原の理系人間は全く似合わなくて失笑ものだが、白川由美はチンピラギャングの佐藤允に「脱ぐんだ」と言われ素直に脱ぎ(おいおい)下水道の中を下着姿でがんばっている。後の二谷英明夫人だが演技力はなくても下着姿をひろうしたがんばりには拍手だが、どうせ脱ぐんなら・・・(この映画の「美女」とは他にいないのでもちろん白川のことなのだろうが、調べてみるとこのときまだ22歳。問題なく30前後の女盛りに見える。年齢だけを考えるとAKBがショーパブの歌姫をやっているようなものなのだ(≧Д≦;)。
 そうそう「大怪獣バラン」のヒロインはこの映画で液体人間に殺されるダンサーではないかと書いたことがあるが、やはりブラとパンティーだけを残して消えてしまうダンサーの女優だった(園田あゆみ)。むっちりお姉さんでヒロイン役よりもやはりこういう役が合っている。そういえば「バラン」も平田、土屋そろい踏みだった。
 「電送人間」「ガス人間第一号」など「変身人間」3部作の1本だが、あまり子どもを意識していない作りになっているのは高評価。が、あまりあたらなかったんだろうなぁ。3作だけで消えてしまったが(後の「マタンゴ」などもこの系列に入るのかな?)、後のテレビドラマ「怪奇大作戦」はこのシリーズの復活版と言えないこともない。まあ「ウルトラマン」の後なのでこれもあたらなかった。ちなみに平田昭彦、土屋嘉男、白川由美のトリオは「電送人間」にも出演しているが、「ガス人間第一号」にも出て3部作完全制覇を成し遂げているのは土屋嘉男だけである。偉いっ!と思わず知らず頭が下がってしまうではないか。

「電送人間」
 こちらは1960年の映画で監督は福田純(後にゴジラ・シリーズや、くどいようだが由美かおるのおっぱいがチラリと見えた「エスパイ」などの監督)、特撮はもちろん円谷英二。平田昭彦、土屋嘉男、白川由美のトリオが出ているが、東宝もそれなりに力を入れて作ったのだろう、主演はナント超大物俳優の鶴田浩二だ。やったね。(^-^)
 SFによく出てくる「物体電送機」を利用して行われる犯罪とそれを追う新聞記者、刑事の物語で電送人間を演じたのは中丸忠雄。洋画の「ハエ男の恐怖」などがイメージとしてあったのだろうが、テレビが壊れたときのような乱れた横縞がババーッと入るあたり、CGなどない時代に雰囲気のあるかなり頑張った特撮だった。時代と言えば、旧軍隊がからんでくるのも時代で、軍の金塊や秘密の電送装置なんてのがポイントになっている。このころにはまだ「戦後」が残っていたんだなぁと、思う。

「ガス人間第一号」
 これも1960年の映画だが監督・本多猪四郎、特撮・円谷英二の黄金コンビに戻った。ただ、話としては強盗殺人事件が起き、それを追う刑事(三橋達也)や新聞記者といった代り映えしないものなのだが、踊りの家元の美女とて八千草薫がでている。踊りはともかくとして、八千草がこういう役をやるのは珍しいかもしれない。依然として演技はイマイチなのだが、八千草薫は八千草薫として成立しているのだから、もうとやかくは言わない。ガス人間を演じたのは土屋嘉男。この人、「七人の侍」の百姓から「地球防衛軍」での日本人初の宇宙人(ヘルメットで顔は全く見えない)ホントやる時にはやる。電送人間を演じた中丸忠雄はこのガス人間の役を断ったという話があるが、少しは土屋の役者根性を見習ったらどうだと言ってやりたい。

 CG全盛以前の日本の特撮というと、怪獣=ぬいぐるみというパターンばかりだったのだが、このシリーズなど見るといろいろ創意工夫して撮っているのだわかる。この方向ももっと伸ばしていったらおもしろかったのにと思わないでもない。が、当たらなかったのだろう、3本だけで終わってしまった。それで、東宝上層部は「やっぱり怪獣だ」ということになったのかもしれない。
 ただ、3本まとめと見てみると当たらなかったのは必ずしも怪獣云々だけではなかったような気もする。
 まず変死体とか人間消滅とか不思議な事件(殺人事件)が起きる、銀行強盗とかの手がかり不明の事件が起きる、それを追う新聞記者と刑事、原因は旧日本軍の秘密研究か日陰の科学者、その発明の利用者または犠牲者・・・、どれも似たような設定ばかりで、だいたい最後は変身人間の悲劇で終わる。
 また、変身人間の目的は極めて個人的なものに終始しているので(復讐など)、話が広がらない。たとえば液体人間に襲われた人は消えてしまうだけで、それが吸血鬼やゾンビのようにどんどん増殖して社会的な大事件になるなんてことは全然ないのだ。変な人間が現れ不思議な事件が起きましたが、その人間は死にましたので事件は解決しました。これでは何のおもしろみもないではないか。シリーズの失敗は、シナリオの失敗に尽きると思うのだが、どうだろう?
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今では話題にもされないSF映画について [映画・文学・音楽]

 雨のことなど昨日の予報では1ミリも言っていなかったのに、朝起きたら雨が降ってるじゃないか(≧Д≦;)。いったい、どうなっているんだ。(▼▼メ)

 12/9の新型コロナ全国の感染者数2811人で過去最多。
 東京572人、大阪427人、愛知・神奈川245人、北海道197人、兵庫158人、埼玉145人・・・。毎週木金土は数が増えるので果してどうなりますか。こんなんでもまだGoTo延長だ、オリンピックだと頭完全におかしいですね[がく~(落胆した顔)]

 昨日は寒かったですが、昼少し前から日が差してきて、いくらか暖かくなりました。レースカーテンのみのリビングも明るくなり、LEDを消しました。やはり、太陽エネルギーというものは、すごい。古代人が太陽を崇め奉ったのがわかるような気がします。

 本日のブログは大昔のSF映画に関する「忘備録。個人的なメモ書きなので読んだところで何の益にもなりません。スルーしてください。m(__)m

 このブログにも何度か書いているが、かつて私はSFフアンであった。
 高校生のとき「SFマガジン」(何年か前に月刊から隔月刊になってしまったが、まだ存続しているのだろうか?)を知り、学生時代にはSF大会にも何度か出席した。1966年に地元・名古屋で行われたMEICONはもちろん、わざわざ東京TOKONや九州KYUKONへも出かけた。参加人数をカウントしたわけではないが、TOKONで200-300人、MEICONは200人弱、熊本県の杖立温泉で行われたKYUKONに至っては100人もいなかったと思う。日本全国から集まったSFフアンがたったこれだけしかいなかった時期に泊まり込みも含めて参加していたのだから、SFフアンであったことに文句は言わせない(きりっ)。
 どの大会でも東京のフアンが大きな顔をしていて(当時はまだSFフアンと作家との境界が明確ではなく、東京のフアンは作家とも顔見知りになっているのでどうしても態度が尊大になるのだ←個人的な感想です)けっこう嫌な思い出も多く、また恥ずかしい思い出もあるが、前の椅子に手塚治虫が座っていたり、小松左京や平井和正と麻雀が打てたり、筒井康隆とトイレの小便でいっしょになったりと、今となってはすべて楽しい思い出である。
 知り合いと同人誌を作っていたことから、MEICONを主催した名古屋を代表するSFフアングループ「ミュータンツ」と交流が出来、いっしょに中日シネラマ劇場に「2001年宇宙の旅」を見に行ったのも、このころのことである。いずれにしても、この頃のSFフアンというのはマイノリティーで、それだけにSFフアンというだけで親近感が湧いたものだ。

 私の高校の頃(1960年代後半)のSF状況というと、ハヤカワSFシリーズ(といっても最初の頃はSFではなくHF、つまりハヤカワ・ファンタジーと言っていたと思う)こそあったものの、ハヤカワSF文庫はまだなく、創元SF文庫はまだ創元推理文庫の一ジャンルだったという時代である(第1作がフレドリック・ブラウンの「未来世界から来た男」というショート・ショート&短編集で、定価150円。本屋で見つけてすぐに買った。こんなにおもしろい分野があったのかと、まさに刮目)。
 私が最初に買った早川書房の「SFマガジン」は1964年3月号。アシモフ初期の傑作「夜来る」が載っていて、この号だけは各短編はもちろん、コラムから読者投稿まですべて読んだ。一般の人にはSFとSMの区別も付かず、区別が付く人でもSFは子供の読み物と考えていた時代である。そんな時代のSFフアンとして、当時は日陰者扱い、際物扱い、ゲテモノ扱いだったSF映画ももちろん私は熱心に見た。今と違ってこの手の映画はどうしてもマイナーな評価しか受けない(あるいは完全に無視される)ことが多かったのだが、私の評価で「けっこうよく出来ている」と思ったものを中心に、「忘備録」として書いておく。
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 まず取り上げたいのは、今では全く話題にならないが、東宝の「ラドン」にも影響を与えた「放射能X(エックス)」(原題Them!)。どこが影響なのかは、記憶喪失の部分等と、とりあえず書いておく。おなじみ名古屋のメトロ劇場で子どもの頃家族で見た。監督はリメイク版「駅馬車」で株を落としたゴードン・ダグラスだったと思う。砂漠の原爆実験の影響で巨大化したアリとの戦いの映画で、ピロピロピロというアリの声が聞こえてくるだけでけっこう怖かった。巨大アリは前半なかなか姿を現さないのだが、この声だけでけっこう緊張したものである。バズーカ砲でやっつけたと思ったら女王アリが逃げ都会の地下に新たな巣を作っていたというのも心憎いサービス。キングコングにしろゴジラにしろ、やっぱりこの手の怪獣物は都会で暴れてくれないと話が完結しない。

 その少し後に話題になったところでは、「禁断の惑星」と「宇宙戦争」。「放射能X」はモノクロだったが、この2作はカラーで、当時はカラー(総天然色)というだけで大作という感じがしたものである。
 まずは「禁断の惑星」(原題Forbidden Planet)
遠く離れた宇宙の惑星での物語で、はっきりと太陽系以外の星を舞台とした映画としては始めてとは言わないがそれに近いものだと思う。イドの怪物という設定自体が50年代の映画としては恐ろしく斬新である(メトロ劇場で見たと思うのだが、私は「井戸の中から怪獣が出てくるのだ」と思っていた)。また、この映画の要塞のイメージを東宝の「地球防衛軍」がミステリアンの要塞にパクっていることにも注目しておきたい。話題になったロボットのロビーが登場するが、SF=子供物という概念を否定した真面目な作り方が共鳴できる。何も見えないのにロビーが「何かが近づいて来ます」と言うあたりも迫力があった。後にTVの「ハニーにおまかせ」をやることになる若き日のアン・フランシスが超ミニスカートでサービスに勉めているが(ナニは見えそうで見えない(^^;)、当時はそんなことには気付かず、社会人になってビデオで見て再発見?した次第である。

 同じく太陽系外を舞台にした映画に、惑星間で戦争が繰り広げられているという、「スター・ウォーズ」の元祖のようなジョセフ・ニューマン監督の「宇宙水爆戦」(原題This Island Earth)というすさまじい邦題の映画があり、惑星の表面がボロボロに破壊されているシーンなど見ごたえがあった。確か、SF作家の光瀬龍が誉めていたと記憶しているが、構成が粗く途中かなり退屈なので誰にでもお勧めできるというほどのものではない(脳に目鼻が付いたような宇宙人=正確には昆虫ミュータントが話題になったので、それだけ覚えている人もいるかもしれない)。そもそも、円盤に乗った宇宙人は、自分の星が危機に陥っているので地球の科学者に新兵器を作ってもらいたいということでやって来るのだが、恒星間飛行など夢の夢の科学後進惑星の地球に助けを求めてくるという発想は、どう考えてもおかしいなぁ。

 この頃に見た私のNo.1に輝くSF映画は「宇宙戦争」(原題War of the Worlds)
 ジョージ・パルの作品で、第一次世界大戦はこうで、第二次世界大戦はこうだったというニュースフィルムに始まり、そして次の戦争は、というようなナレーションと共に始まるタイトルからしてわくわくさせるものがある。飛躍を極力廃してリアリティーで迫った侵略ものの白眉。宇宙人の円盤に向かって敵ではない証拠に白旗をかかげながら、白旗が通じるかなあ、と言っているうちにバババとやられてしまう男たちにも現実感がある。この映画は場末のオーモン劇場で母に連れられて見たのだが、その話をすると「寒くて風邪ひいてまったがね」と母は今でも言うのである。主演の(よく考えてみると何の役にも立っていないのだが)科学者を演じたのは後のTV「バ−クにまかせろ」のジーン・バリー。「宇宙戦争」は21世紀になってトム・クルーズ主演のものが作られたが、私としてはやはり前作のほうが断然おもこれまたしろいと思う。
 「禁断の惑星」のミニスカートについて書いたが、ジョージ・パルの「タイム・マシン 80万年後の世界へ」(原題The Time Machine)のイベット・ミミューも当時はなかなかの美少女で、テレビ放映されたとき「あの女優の名前を教えて」という質問が映画雑誌に殺到したが、「おばさん化」が早かったなあ。後にある映画で脱いでいる(あえて映画名は書かないので関心のある人は探して欲しい)が、ちょっと痛々しい感じさえした。
 ジョージ・パルは確かミニチュアワークがら出発した人だったと思うが、1950年代のSF映画のほとんどにかかわっていて、「月世界征服」(原題DESTINATION MOON)「地球最後の日」(原題When Worlds Collide)などもパルが製作等に関わっている。どちらも話の起伏に乏しく退屈な映画なのだが、「地球最後の日」のロケットが今のように垂直に上昇していくのではなく空に向かって曲線を描く滑走路のような所を下から上にシューッと滑走して飛び立って行くのが、印象に残っている程度。あんなんで新世界まで行けるのかね?と、思ったものだ。

 パルに続くミニチュア作家としては、私が尊敬するレイ・ハリーハウゼン先生の登場。
 いわゆる「ストップモーション・アニメーション」で数々のクリーチャーを生み出し、「シンバッド七回目の航海」のサイクロップスや「アルゴ探検隊の大冒険」のタロス、「シンドバッド黄金の航海」のカーリ神など今や伝説だが、CGの発達でコマ撮り特撮はほぼ絶滅。ちょっと残念な気がしないではない。
 私の世代のSFフアンは、ハリーハウゼンの、本来は命のないものが彼によって命を吹き込まれカタカタと動くことに狂喜乱舞したものだ(東京の岩波ホールでのSF大会で上映されたのは「アルゴ探検隊の大冒険」なのだ)。有名な骸骨戦士との戦いなども死んで筋肉もないただ骨だけの骸骨が剣を持って襲いかかってくるというところがおもしろいわけだ。青銅の巨人タロスが、ギギッと動き出したときなど「おおっ、やったぁ」と思った。そんなわけでハリーハウゼンが関わった映画の主人公はクリーチャーであり恐竜、巨大獣であったりするのだが、比較的SFっぽいものとしては「原子怪獣現わる」「水爆と深海の怪物」「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」「地球へ2千万マイル」など初期のものと「SF巨大生物の島」「H・G・ウェルズのSF月世界探検」などがある。
 もともとが「キングコング」を見て特撮の世界に入った人だけに「恐竜グアンジ」「恐竜100万年」などの恐竜もの、「シンバッド七回目の航海」に始まる「黄金の航海」「虎の目大冒険」と続くシンドバッド3部作、代表作といわれる「アルゴ探検隊の大冒険」や「タイタンの戦い」の神話ものなども私としては愛着のある映画だが、SFかと言われると疑問がある。
 そんなハリーハウゼン特撮作品で「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」(原題Earth vs. the Flying Saucers)は「宇宙戦争」の二番煎じのような作品だが、これはまちがいなくSF。円盤が少し揺らいでズドーンと墜落するシーンなどにハリーハウゼンらしさが出ていなくはない。「SF巨大生物の島」(原題Mysterious Island)はジュール・ヴェルヌ原作の映画化。巨大ハチに巣に塗り籠められるシーンなど迫力満点なのだがいかんせんサイ・エンドフィールド監督の演出が凡庸なので退屈する。それでもパット・ブーン主演の「地底探検」よりは数段マシか。「H・G・ウェルズのSF月世界探検」(原題First Men In the Moon)は、人類初の月面着陸に成功した隊員たちは、そこに英国国旗と、1899年と記された書きものを発見するという出だしはなかなかおもしろい。そこから過去の話になるのだが、月面地下の都市の造型はおおーっと思わせるものがあった。

 以下、思いつくままに・・・

 「地球が静止する日」(原題The Day the Earth Stood Still)は、「ウエストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」のロバート・ワイズ監督作品。やって来た宇宙人は地球の争いを止めようとする平和の使者というところが米ソの冷戦時代を思い出させる。ワイズはけっこうSFが好きだったとみえて後年「アンドロメダ」や「スタートレック」なども監督しているが、うまくいったとは思えない。もっとも、「地球が静止する日」はキアヌ・リーブス主演でリメイクされたものも凡作だったので、話自体がつまらないのかもしれない。
 SFというよりもホラーの色彩が強い「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(原題Invasion of the Body Snatchers)は、クリント・イーストウット主演の「ダーティ・ハリー」で男を上げたドン・シーゲル監督の作品。なかなかよくできた侵略物SFの佳作である。ラストもうまい(原作はジャック・フィニイで記念すべきハヤカワSFシリーズの第一弾「盗まれた街」。フィリップ・カウフマンのリメイク版は駄作。カウフマンの映画は「ライト・スタッフ」が例外的におもしろかっただけであとはゴミ)。
 ハワード・ホークス制作、クリスチャン・ナイビイ監督の「遊星からの物体X」(原題The Thing from Another World)。原作は「アナログ」誌の名編集長だったジョン・キャンベルの「影が行くThe Thing」で、侵略物SFの古典。まあ特撮などチャチなものだが、それなりの緊張感はあった。これも30年ほど後の1982年にジョン・カーペンター監督によりリメイクされたのだが邦題は「遊星よりの物体X」。「から」と「より」の区別をつけたつもりなのだろうが、私はいつもどっちがどっちだったのか迷ってしまう。こちらの原題は「John Carpenter's The Thing」となっているが、おいおいわざわざと「ジョン・カーペンターの」とつけるほどの大監督かよ。ったく、カーペンターの映画は「ニューヨーク1997」などすべて駄作と考えてよい)。また、カウフマンとカーペンターのリメイク駄作は、どちらも終わったと見せかけて実は……、という最近流行のラストに作り替えているのだが、結末が見えてしまっている。芸がないなあ。

 「縮みゆく人間」(原題Shrinking Man)は、リチャード・マシスンのワンアイデア原作の映画化。際物かと思ったら、どんどん縮んでいく主人公が、それでも生きていこうと決意する意外や真面目な作り。ただ、話が一直線でふくらみがないので、退屈。
 「金星ロケット発進す」(原題Astronauci)は、オーモン劇場で見たのだが、ポーランドとドイツ(東ドイツ)の合作映画。ソ連のロケットで金星にいくともやもやが出てきてというこれまた退屈映画。日本の谷洋子さんがそこそこの役で出ていた。
 「渚にて」(原題On the Beach)は、ひところ何作か作られた第三次世界大戦物。スタンリー・クレイマー監督、グレゴリー・ペック主演の映画だが、2時間を超える長尺ではさすがに退屈だし、放射能被害に対する認識にも疑問が残る(「インディー・ジョーンズ」で核爆発近くにいたのに冷蔵庫に入って助かるなど、アメリカ人の核認識はどうも理解できない)。
 第三次世界大戦物というか核の恐怖を描いた映画として「未知への飛行」(原題Fail Safe)もあげておこう。キューブリックの「博士の異常な愛情」(原題Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)とかぶる映画だが、傑作「十二人の怒れる男」のシドニー・ルメット監督だけに緊張感のある映画だった。私は河出ペーパーバックスで原作を読んでいたが、この結末には疑問がないわけではない。
 思い出したが、ヴェルヌ原作の「海底二万哩」(原題20000 Leagues Under the Sea)というディズニー映画もあった。リチャード・フライシャー監督で主演はカーク・ダグラス。おなじみ?ノーチラス号が登場し、ノーチラスといえばノモ船長はジェームズ・メイソン。巨大イカ(今にして思えば巨大ダイオウイカ)との闘いなど当時はおもしろく思ったが、演出は単調でやや退屈する。ディズニー物でもう一つ、「うっかり博士の大発明 フラバァ」(原題The Absent-Minded Professor)は、例によってオーモン劇場で見たが超弾力性物質を発明しその靴でやるバスケットはけっこう笑えた。なんだかT型フォードが空を飛ぶようなシーンもあったような気がするが、よく覚えていない。

 このほか「大アマゾンの半魚人」「恐怖のワニ男」「ハエ男の恐怖」「マックイーンの絶対の危機」、東宝の「美女と液体人間」「電送人間」「ガス人間第一号」、タイトルに期待して見にいっては落胆していた大蔵映画配給の「原子怪獣と裸女」「吸血原子蜘蛛」などにもふれるつもりだったが、「半魚人」以外はあまり覚えていないし、調べるのもめんどくさくいので、このあたりで一旦中止。東宝の「変身人間シリーズ」3部作についてはビデオも持っている(^^;ので近々書くつもりだが、その他は、機会があれば・・・、あるのかな?
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紅葉の投稿写真 IH IU IUM [投稿写真・原稿]

 毎日ではありませんが、知り合いやなんとなくおもしろそうだとおもうブログをチェックしています。が、どこのブログにもふれられていないし、新聞(テレビは今我が家にはない↓参照)でもあまりふれられていないので、一言だけ書いておきます。本日、12月8日は、
ニイタカヤマノボレ一二〇八(ヒトフタマルハチ)」
 要するに真珠湾攻撃の日、太平洋戦争が始まった日です。最近、ネトウヨの間では、アメリカは知っていたが国民の参戦気分を高揚させるために(日本軍の攻撃を)黙認した、とあたかも日本は罠にかかった被害者だとでも言いたい論調が目につきます。が、宣戦布告もなしに「奇襲」攻撃を仕掛けたのは厳然たる事実。弁解の余地はないですな。
 亡くなった私の母は、晩年、「どうして戦争なんてバカなことしたんだろう」「戦争のためにいちばんいい時期がダイナシにされてまった」というのが、ほとんど口癖でした。

 まいったなぁ・・・。
 ブルーレイレコーダーが壊れて先日新しいレコーダーを購入したばかりなのに、今度はテレビが突然点かなくなりました[がく~(落胆した顔)]。ううむ・・・と唸るしかないですねえ。まさしく、
「貧乏に追いつく稼ぎなし」
 といったところです。年末になって連続の出費は、痛い![もうやだ~(悲しい顔)]
※ショックなので、明日のブログ更新はお休みします。m(__)m

 昨日は久しぶりに向島百花園に行って来たのですが、ほとんど撮りたいものはありませんでした。ま、それでも何枚かは撮ってきたのですが、こういうときはなんとなく気が乗らず、まだ整理していません。
 で、こういうときこそ投稿写真の出番です。
 かつて送ってもらった、IHさん、IUさん、IUMさんの紅葉写真を無断で掲載しちゃいます。ちょっと姑息じゃないかと思われる人もいるかと存じますが、全くその通りです。(≧Д≦;)
↓IHさん
IH01.jpg
IH02.jpg
↓IUさん
IU01.jpg
IU02.jpg
↓IUMさん
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IUM02.jpg

★名古屋市のコロナ専用病床が「満床」だって( >_< )。無知無能悪人市長がやったことといえば知事のリコール運動だけ。これじゃあ、手遅れになるわなぁ・・・。こんな奴を市長に選んでいるようでは、名古屋も尾張だわな(▼▼メ)。あ、東京、大阪も似たようなものか。(≧Д≦;)
https://news.yahoo.co.jp/articles/18695e0416d1a49d0afb3660000dd7436ae9523f
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月曜日なので・・・ [日記・雑感]

 今日は、久しぶりに朝からいい天気です。
 始動します、とは言ったもののせっかくの晴天なので、こういう日は高齢者も外出でしょう。ただ、行き先は整骨院かそれとも恒例の向島百花園か、ただ今考慮中。(。-_-。)
→年間パスポートが来年1月で切れるので百花園に行きましたが、ほとんど撮るものはなし。園内全体でいたのは数人。まあ、「三密」の心配はないわけですが、こんなことなら整骨院に行くんだったかな。(≧Д≦;)
 仕方がない。始動します。
 まあ、毎日が日曜日なのでどうでもいいようなものなのですが、生活のリズムのために一応、土日と平日は区別しています(たとえば、土日は9:00、平日は7:30起床とか)。さてと、・・・(^^;
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★テレビドラマはなかなかリアルタイムで見ることができませんので、仕事の合間にティーバーで見たりしています。ところがなぜかテレビ東京のものだけが見られないのです。再生ボタンをクリックしても画面は固まったままで動き出す気配もありません(他局は普通に見られます)。訊いてみると、多摩のIHさんなどは普通に見えているようで、不思議です。身に覚えはないのですが、何かテレ東に目つけられてる?
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落葉の舞い散る・・・ [日記・雑感]

 落葉の舞い散る停車場に・・・♪
 なんて、奥村チヨが唄っていましたが、今じゃあ誰も知らないかな?なんて、書いていたら毎日新聞にいったKを思い出したりしました。彼とは大学から延々と映画や文学を話をしながら歩いて、名鉄に乗る彼とは笹島の交差点で別れ、私はそのまま歩き続けて帰宅するなんてことが何回かありました。あのころは体力もありましたねえ、ということよりこういう昔のことばかり思い出したりするのは歳をとった証拠。日々の「老人力」アップと言ってしまえばそれまでですが、あまりいいことではないですねえ。短いかもしれないが、どんな年寄りにもまだ未来はある、とでも書いておきましょう。

 昨日は雨で引き蘢り。以前、今ごろの時期に撮った写真です。今日は、晴れの予報なので、日が照っているうちに少し散歩してこようかと。(^-^)
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師走ですなぁ・・・ [日記・雑感]

 朝から雨です。寒いです。この土日は完全休養日にしたいので、近場に買い物に出かける程度であとは引き蘢りです。今の時期、風邪をひくのはけっこうリスクがありますからね。( >_< )

 曳舟の喫煙喫茶店のおばさんが、なぜか私のことを「先生」と呼ぶせいなのか、「師」でもないただの貧乏老人なのに師走になったら、何だかあれこれと忙しい。やれやれ・・・
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メガネが・・・ [日記・雑感]

 朝方、曇っていましたが日が差してきました。ちょっと疲れもたまっているので、このあと整骨院に行き、喫煙喫茶店に行ってきます。(^-^)

 昨日は、午後から日が差してそこそこ暖かくなるなんて大噓こいていた気象噓予報士ども、お前ら全員クビだっ。ったく、適当予報ばかり偉そうに並べやがって、もっと責任感と緊張感をもって仕事せんかい。外気が冷たいとマスクをしているためいくら拭いてもメガネが曇ってしまうので、イライラストレス( >_< )は溜まるばかりですがな。
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すき間植物 [植物]

 いやあ、このところの寒さ、まいりましたねえ。しかも、昨日は雨。夜、ちょっと出かける用事があり、バスの乗り継ぎが必要だったのですが、そのバスが目の前で・・・[がく~(落胆した顔)]。あと1分、いや、30秒待っていてくれればいいのに、おかげで雨の中、次のバスを20分も待っていました[もうやだ~(悲しい顔)]
 こんなんで無事この冬が越せるんでしょうか。コロナもますます猛威をふるいそうですし、しばらく冬眠して、暖かくなってから目覚めたいです。(^-^)

 すき間産業、すきま風、すきまゲージ、スキマスイッチ、そしてすき間植物(^^;
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メジロの水浴び [鳥以外も撮る SH]

 東京発着のGoToは、65歳以上の高齢者(私は、ここ(^^;)と基礎疾患のある人は自粛してください、だと。そもそも高齢者や基礎疾患のある人は、感染すれば重症化することを知っているから日常の外出そのものをすでに自粛しているし、どんどん旅行に行くなんてことはない。つまり、効果のないことを偉そうに言っているだけのことで、これでは高齢者、疾病者はダメだが行動力のある若者は、どんどんGoTo利用してくださいって言っているようなものではないか。要するにほとんど効果のないことをさも重要な決断をしたかのように言っているだけで、GoTo規制ちゃんとやってますよーという、またまた口だけ都知事のパフォーマンス。それに乗っかってのスカ首相のドヤ顔。ったく。(▼▼メ)

 SHさんからの写真。
 鳥嫌いのKMさんにあらかじめ言っておきますが、これは鳥の写真ではありません。あくまでも、「水浴び」の写真ですから。(^^;

「最初は一羽でしたが、少しずつ増え水浴びをして出ていきました。もう終わりかなと思ったら、どこからともなくメジロが続々と集まってきてグチャグチャ混浴状態。そしてあっという間に飛び去って行きました。」
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埼玉日々気まぐれ日記:2020年11月 KS [埼玉特派員より KS]

 月初め恒例のKSさんからの「埼玉日々気まぐれ日記」。今月は、なんだか「歳とったなぁ・・・」という半分諦めのような調子がちょっと気にはなりますが、元気でやっているようでなにより。まあ、躓いたり腰痛、疲労、物忘れなどは、私もしょっちゅうです。「老人力の向上」「年寄りの特権」と前向きに?考えましょう。皮膚湿疹は、私も病院の皮膚科に行きましたが、今年は高齢者の患者が多いと言われました。できるだけ生活にも変化をつけるようにして、お互い無事に年を越しましょう。(^-^)
………………………………………………………………………………………………………………………………
11月1日(日)
 ショーン・コネリーが亡くなった。90歳。色々楽しませてもらった。合掌。だが自分ももうそう永くはない。昔は懐かしく、良かった。
 今日の競馬は完敗だった。難しい、勝つことは。アーモンドアイ楽勝だった。
 昨日は夕方急に寒気がしてきて風呂に入るのをよした。風邪なのかわからない。今朝はけろっとした感じだったのでコロナではなかったようだ。

11月2日(月)
 1時間余りの散策、暑くもなく寒くもなく気持ちのいい散策だった。歩数6840歩。
 YouTubeで久し振りにプロボクシングを見た。世界バンタム級タイトルマッチ井上尚弥のノックアウト勝ち。素晴らしい試合だった。ラスベガスでの無観客試合。井上は本当に強い。
 原子力規制委員会にからむ変な動きが報道されている。原発の再稼働は何時のことになるのだろうか。この国電力についてどうするのだろう。原子力?火力発電?太陽光発電、風力発電、水力発電、地熱発電、バイオ熱発電? 自分なら火力発電か。原子力は廃棄物処理が出来ない。水力は自然を破壊する。地熱、バイオは微力。太陽光は全くの不経済(太陽光で1Kw発電するのに太陽光発電の器具、それに伴う設備施設及び維持をするのに4Kwの電力を使うと聞いたことがある)、風力は自然破壊につながるというか気候が変わるとか。
 環境(?)とコストとのからみをどうとらえていくのだろうか。専門家により徹底的な検討をしてもらいたい。火力発電はCO2を大量に発生するとかで嫌われているが、CO2を発生して何で問題になるのか。二酸化炭素は主に森林樹木、海洋が大量に吸収している。温暖化と言われているが本当に証明されているのか。地球は今氷河期に向かっているとも聞いている。はたしてヨーロッパがしきりに唱えていることが本当なのか。

11月3日(火)
 文化の日。今日も1時間余りの散策。曇り空で汗は出なかったが腰が痛くなった。

11月4日(水)
 約1時間の散策、太陽がずいぶんと低くなった。腰の調子が良くない。周期的に襲ってくる腰痛、しばらくすればなおっていくのだが。玄関を出たすぐの廊下から富士山が見えた。冬にはよく見える。
 アメリカ大統領選挙が始まったが結果は数日後とか言われている。選挙で郵便投票など日本では聞いたことが無い。期日前投票か当日投票かしか知らない。郵便投票など信頼できるのだろうか。トランプかバイデンか。

11月5日(木)
 浦和駅まで歩いた。約50分。疲れた。駅前の伊勢丹に寄ってお歳暮を注文してきたがえらい混みようで1時間半ほど待たされた。帰りは伊勢丹で弁当を買ってバスで帰ってきた。歩数6460歩。
 風呂場で鏡を見るとお爺さんになったものだ。足の筋肉はすっかり落ちしわしわでよぼよぼという感じだ。ガックリした。

11月6日(金)
 半時間ほどの散策。腰の調子が良くないので短時間で切り上げた。
 アメリカ大統領選挙の結果はまだ出ず。ほぼバイデンで決定だと思われるがトランプが訴訟を起こしており結果が出るまでにはかなり時間がかかりそうとのことだ。理解できない。そもそも郵便投票なるものを採用したことが理解できない。不正がはびこる可能性は大きいと思われる。日本では採用されていない。本人が投票所に行って本人と確認されたのちに投票する。期日前投票も同じこと。これが間違いのない投票だと思うのだが。

11月7日(土)
 今日も腰の調子は芳しくない。そろそろ整骨院にでも行かねばあかんのか。競馬は負け。単勝を買っておけばプラスだったが、まあしょうがない。バイデンが勝ちそうだが世界はどうなるのだろう。明日から大相撲が始まるが両横綱が休場だとか。

11月8日(日)
 競馬は今日も負け。女性騎手藤田菜七子が今日3勝した、すごいことだ。大相撲が始まった。小結照ノ富士まずは1勝。大関3人とも勝って荒れなかった。アメリカ大統領選はバイデンの勝利となったがトランプが訴えており決着がつくには時間がかかりそうだ。

11月9日(月)
 歯医者に行ってきた。真っ青で雲一つない気持ちのいい天気だった。先日抜歯したところの歯肉はずいぶんと復旧しているが、あと約10日後に新しい入れ歯の歯型を取ることになった。下の入れ歯はそれで最終(?)形と思われるが、上の入れ歯はどうなるのか分からない。そもそもこれらの歯の問題は建設会社に入って4、5年目の或る公団建設工事の時が起点だと思っている。建築工事は仮設足場を組み立てて行う。その仮設足場の階段を昇っていたときによそ見をしていたのか突然突起したパイプに顔面を打ち付けた。とっさの反応で顔面は避けたのだが口にパイプの先が当たってしまった。その時何か白いものが落下していくのが見えた。それが前歯の1本だったのに舌先が感じた。すぐに歯医者に行ったのだが、治療後差し歯をすることになり、以後それが原因と思っているが今に至る数々の歯にかかわる問題となった。治療が不十分だったのだと。
 アメリカ大統領選挙はなぜにすんなりと決着しないのか不思議だ。ちまたでは色々と選挙にかかわる疑問点が出てきていると聞く。
 ここ数日北海道を始めPCR検査の陽性者数が増加している。嫌な雰囲気だ。
 大相撲2日目、照ノ富士大関朝の山を上手投げで投げ飛ばした。思わず拍手した。この相撲を見る限り、照ノ富士は横綱だ、と思った。2連勝。照ノ富士は今場所から小結に昇進している。膝の怪我が心配ではある。
 コシノジュンコの能コラボレーションファッションがNHKで報道されていた。全く別世界のことだと思った。どこが評価されるのか分からんというより気持ちが悪かった。

11月10日(火)
 真っ青な空の下の1時間少々の散策。歩数5000歩。疲れた、腰が痛い。照ノ富士勝ち。3連勝。強い。朝の山右肩故障で休場。女性の自殺が急増していることに対してNHKはあまり報道していないことに対してカミサンは怒りの声を発していた。確かにおかしなことだ。名古屋鉄道(名鉄)が16年ぶりに赤字決算240憶円だそうだ。さんざん儲けていたものなあ。

11月11日(水)
 1時間少々の散策。結構風が強かった。歩数6010歩。今日も腰が痛くなってきた。
 仏壇にお供えするミニビール缶を買ってきた。昨日までお供えしてきたミニビール夜に飲んだが美味かった。やはりビールはほんまもんだな。
 皮膚の疾患はおおむね落ち着いてきたがいまだにかゆみ等が有り、薬を塗ったりしている。化膿とかの不具合にはなっていないが、薬を塗る際のべたつきには閉口している。塗った後洗面所で手洗いが欠かせない。アニマルさんのように100円ショップで薄い使い捨て手袋を買って対処すべきかとも思うが、いまだにしていない。明日買ってくるか。もうちょいこの対応は続くような気がする。これは歳こいた老人の現実であり、今後どう推移していくのか。今は毎日のように少ない時間だが歩いているが、ある日突然歩けない・・・。恐ろしいことだがこれが今始まっている、いや何年か前から始まっている。まあなるようになるしかない、と思おう。まて、認知症がある、まいったなあ。
 照ノ富士4連勝。正代負け。左足大丈夫か。

11月12日(木)
 1時間足らずの散策。途中躓いて倒れてしまった。右手首が少し痛く力が入らない。白幡緑道を歩いたが老人は一人もいなかった。池には何羽かのカモが泳いでいた。歩数4380歩。
 照ノ富士勝ち。5連勝。大関正代休場。これで今場所は横綱2人、大関2人が休場となった。こんな場所聞いたことが無い。格闘技だから怪我は付き物だがそれにしてもひどい。

11月13日(金)
 スニーカーで安いものは考えたが良い。最近買ったスニーカー2000円だったが、特に問題ないと思っていた。履いてみて即これは失敗したなと。右足のかかとが引っ掛かる、つまり靴づれが出てきた。痛いのでバンドエイドで対処するも、いつまでも良くならない。選択は2つ。靴を捨てるかづーっとバンドエイドで対処するか。どうしようか悩んでいる。そんな訳で今日の散策は短い時間で終わらせた。腰の調子もあまりよくなく、昨日躓いてひっくり返ったことも影響している。73歳という終わり爺さんの生活だな。
 我が家はカミサンがしっかりしていて、送信先明示のない電話には絶対出ない。呼び出し音が消えた後に送信者の電話番号が記録されており、毎回それがどこからなのかを確認している。オレオレ詐欺にかからないのは電話に出ないこと。今日かかってきたのは調べたら郵便局からだった。安心して電話したら知多の先日亡くなった叔母の家からの郵便物だったことが分かった。郵便物には番地が記載されていなく電話番号が記載されていたから郵便局から確認の電話がされたということだった。まあ念には念を入れてオレオレ詐欺には気を付けないとうっかり話術でだまされてしまう、そんな事例が一向に減って行かないようだ。彼ら死ぬまでオレオレ詐欺し続けて生きていくのかな。そんな人生でいいのかなあ。
 照ノ富士圧勝で6連勝。心配は怪我だけ。

11月14日(土)
 今日の競馬は少しの負け。単勝買いなら大幅なプラスだったが、まあしょうがない。照ノ富士7連勝。

11月15日(日)
 躓いて痛めた手の腫れはだいぶおさまってきた。本当にこれから歩くのに気を付けないとこわい。へたすれば顔面から歩道のアスファルトに突っ込みかねない。
 今日も競馬はそこそこ頑張ったが少しの負けだった。なかなか勝つのは難しいが、1日楽しめればいい。大金を賭けるほどお金は持っていないし、少ない金額で長く楽しめればいい。照ノ富士残念ながら1敗。

11月16日(月)
 1時間少々の散策。何か所か紅葉が見えた。笹目川には鴨が何羽か泳いでいた。南天も見られ気持ちのいい散策だった。歩数6760歩。
 靴づれの問題はかかとの上部に当たるところの堅い部分をハサミを入れてカットしたら当たりが緩やかになり靴づれの心配は無くなった。ただいつまで靴の形が持つのかは分からない。まあ安い靴なので心配はしていない。安いものはそれなりの気配りが欠けていることはやむを得ないのかもしれない。
 照ノ富士連敗で7勝2敗。昨日も今日ももう少しじっくりと相撲を取っていれば敗けなかったと思うのだが。

11月17日(火)
 暖かい朝だった。今日は約1時間半の散策だった。汗が出た。武蔵浦和駅周辺のビル、紅葉等を撮ってきた。歩数6980歩。相変わらず行きかう人は皆マスクを架けていた。自分はスーパーに寄ったときだけマスクを架けた。照ノ富士完璧な吊り出しで8勝2敗。宝富士は負けて2敗となった。

11月18日(水)
 今日も晴れ、ここずーっと晴れの日が続いている。1時間半強のゆったり散策だが疲れた。歩数7900歩で新記録か。手の腫れは無くなったが、しわしわは消えない、年を感じる。
 友人からYouTubeはあまり見ないほうがいいと言うようなことを言われた。そうかもしれないと思いはしたが見ている。番組で言っていることがすべて真実だとは思っていないし、ただ面白いから見ている。これまではこの日記で、YouTubeで言われていることを一応起点にした発言をしていたことは控えるべきだと反省している。今日軍艦島についてのNHKの報道が作為的で実におかしいと言っていたが、そんなことが有ったんだという認識は出来たし、聞いていて興味深かった。
 照ノ富士少し強引な相撲だったが勝ち、9勝2敗。宝富士は今日も負けて3敗。
 コロナ陽性者全国で2000人を超したとか、NHK大騒ぎで報道している。重傷者数はさして増えていない。さてどんなものやら。

11月19日(木)
 今日は1時間足らずの散策。さすがに毎日1時間ほどの散策はゆったりペースであろうと疲れる。歩数5130歩。コロナ全国で2340人、東京534人だそうだ。どんどこ増えている。照ノ富士勝ち10勝2敗。宝富士大関にころ負けで4敗。

11月20日(金)
 風邪の強い日だった。おおむね曇り一時晴れ。歯医者に行ってきた。入れ歯の型取り1。次回は12月3日。歩数2500歩。コロナ全国2414人、東京522人。どうなってしまうのやら。照ノ富士勝って11勝2敗。宝富士勝って9勝4敗。

11月21日(土)
 今日の競馬はそこそこの結果で少しの負けだったがなぜだか集中できなかった。落ち着いて競馬が出来なかった。
 コロナ全国2586人、東京539人。どんどん増えている。これからどうなるのか。このコロナはインフルエンザと同じでこれから何十年も付き合っていくことになるそうだ。
 照ノ富士勝って12勝2敗。明日千秋楽で貴景勝と優勝をかけて勝負となった。さあてどうなりましょうや。
 娘が帰ってきた。連休の月曜日に帰るようだ。まあ元気いっぱいで安心。
 霞が関中央省庁で20代キャリアの退職が最近増えていると聞くが、残業過多の影響か。昔から聞いていることだが霞が関の役人は大変だと。おかしいのじゃあないのかいなとずーっと思っている。

11月22日(日)
 今日の競馬はほぼ完敗。娘が帰ってきており中途半端な競馬ではあった。今週は3日間開催で明日も競馬が有る。明日は今日より落ち着いた競馬が出来ると思う。
 照ノ富士結びの一番は勝利し、優勝決定戦に持ち込んだが敗けた。13勝2敗。よく頑張ったと思う。来場所が待ち遠しい。
 コロナ全国2168人、東京391人。もうそろそろ下がり始め落ち着くような気がするが。

11月23日(月)
 勤労感謝の日、祭日だが毎日サンデーの身としてはピンとこない。
 GoToを始め行楽地は大変な賑わいで、よってコロナ陽性者が増えていると報道されているが、果たしてそうなのか。GoToトラベル(約4か月前から始まっていたと思うが)とは関係なく周期的に第三派(しかも冬には拡大することが以前から言われていた)に当たっただけとも思われる。インフルエンザの報道は一切ないがそろそろ出てくるころではないのか。コロナとインフルエンザどっちが勢力を伸ばすのか。どっちもご遠慮願いたい。
 今日の競馬は全く中途半端で頭にきた感じだった。午前中4Rまでの結果は全てアウト。途中から娘、カミサンがテレビビデオを見るからと言う状況で競馬から締め出された。素直に場を譲った。やはり娘が帰ってきたときは競馬はやってはあかんな。帰ってきた娘が中心の世界となるのは過去ずーっとそうだった。あきらめの悪い自分を反省する。月に一度帰ってくるかどうかの娘、カミサンにすれば話し相手として第一の人間、飲んだくれの亭主と認識されている自分、そりゃあ優先順位は言わずと知れたこと。まあそんなものだ。飲んだくれの年寄りには、飯を始め色々と気を使ってもらえるだけで感謝感謝だ。くどいようだがやはり73歳の年寄りは体力的にガタが来ている。皮膚の皴しわには恐怖を感じる。足腰の筋肉の衰え、洗面所の鏡の前の裸の状況、しぇーという感じだがこれが現実と認識するしかない。90歳になってもランニング等をしている老人がテレビで報道されていたが、まあまれな人と思う。そんないわゆる達人が沢山いるわけではないだろう、なんて、言い訳がましく思ったりしている。

11月24日(火)
 曇り空の下約1時間の散策。三日ぶりで腰が痛くなった。歩数4680歩。

11月25日(水)
 朝少し雨が降っていたので外出は控えた。イトーヨーカ堂で買い物が有ったのだが明日に延ばすことにした。東京都は再び飲食店の営業時間制限を始めた。はたしてコロナ感染治まりますかな。

11月26日(木)
 今日は浦和駅まで歩いたが、行く途中何人かの女性に追い抜かれた。駅前にあるイトーヨーカ堂で買い物をした。片道約50分かかり疲れた。帰りはバス。歩数6330歩。久しぶりにマクドナルドでメガマフィン(350円)なるものを昼飯として買ってきたがまあまあ美味かった。
 静岡県川勝知事の記事がヤフーに載っていた。リニアはおそらく中止になってしまうのではないかと思う。静岡県がGOサインを出さないだろうな。やはりリニアは中国に先を越される。というより、リニアは日本では出来ないだろう。JRの大失策となると思われる。
 朝ドラ「エール」が終わった。途中コロナの為製作がストップし放送中断が有ったが、ほぼ全話見た。まあまあ面白かったと言う評価か。作曲家古関裕而をモデルとした話。
 インフルエンザが冬にはやるのと同じで、コロナも冬にはやると言われている。従って最近陽性者、重傷者が増えてきているが驚くことではない、と思うが。

11月27日(金)
 1時間足らずのウォーキング。腰が重くつらい感じだった。ATMに寄って競馬口座に入金してきた。年末ジャンボ買ってきた。当りますように。

11月28日(土)
 競馬頑張ったが結果は負け。明日はジャパンカップ、どの馬が勝つのか、パドックでしっかり見極めたい。一日中晴天。
 コロナ全く関係なし。うつされる懸念の有る他人と話さなければ感染することはないと思う。今日の接触者はカミサンの他ではコンビニのレジ姉さんだけ。それにしてもこれだけ頻繁にコロナコロナと言われるとうんざりする。インフルエンザが流行ったころこんな状態って有ったのかどうか。なんかマスコミに脅されているような気がする。
 ドラマ「名建築で昼食を」白洲次郎旧農家を観た。旧白洲邸武相荘町田はお金持ちの農家とすぐにわかる。庶民の農家とは全く違う。確かに内装も外装も素晴らしい。が、違和感を感じた。白洲次郎は遺言に「葬式無用」「戒名無用」と残したそうだが自分もそうしたい。なかなか落ち着いて建物を説明するこのドラマは面白く楽しんで見ている。主人公の一人の池田エライザの歩行が気になる(言っちゃー悪いかな、なんかがにまたみたい)。
 コロナ陽性者全国2653人、東京561人。過去最大とか。47週(11月16日~22日)のインフルエンザの報告数は「46」と前年同時期の総数「15390」に比べて1%未満と極端に少なくなっているそうだ。インフルエンザ君はコロナ君に押されてしまっているようだ。このことはテレビでは報道されていない。

11月29日(日)
 ジャパンカップは面白かった。1番人気のアーモンドアイが勝ち2,3着も人気馬で堅く治まった。自分が買った馬は惜しくも4着だった。本日の競馬は負け。残り1か月残すのみで今年もお終い。今日の外出はスポーツ新聞を買いにコンビニに行ったきり。歩数690歩。
 コロナ感染者数全国2058人、東京418人。11月27日アメリカのコロナ感染者は1日で20万人を越したそうだ。信じられない。

11月30日(月)
 知多のお寺に月棚経(毎月7日)をお願いした。お布施2000円/月、年間24000円を郵便振替してきた。他の檀家さんもおられるようで、本堂で御祈祷してくれる。1時間足らずの散策、歩数3340歩。これくらいが適量かもしれない。
 ドラマ「名建築で昼食を」国際子供図書館を観た。100年以上前に建設され近年一部手を加えられたと言っていたが、すごく手の込んだ建物で気持ちよく見られた。主人公二人が昼食にスパゲッティのナポリタンを食べるシーンを見て自分も昔喫茶店でよく食べたことを思い出した。続けて「江戸東京たてもの園」江戸から昭和中期の建物の再現パークと「建築倉庫」建築模型600点の倉庫を観た。いずれも面白く観た。特に後半の模型は興味がわいた。精巧なプロが作った建築模型は素晴らしい。今回でこのドラマは終わりだが、後日続きが放送されるとか。
 今日で11月も終わり。月日が経つのは本当に早い。どんどん歳を食っていく感じの毎日だ。特に足腰のおとろえを感じる。
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