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今では話題にもされないSF映画について [映画・文学・音楽]

 雨のことなど昨日の予報では1ミリも言っていなかったのに、朝起きたら雨が降ってるじゃないか(≧Д≦;)。いったい、どうなっているんだ。(▼▼メ)

 12/9の新型コロナ全国の感染者数2811人で過去最多。
 東京572人、大阪427人、愛知・神奈川245人、北海道197人、兵庫158人、埼玉145人・・・。毎週木金土は数が増えるので果してどうなりますか。こんなんでもまだGoTo延長だ、オリンピックだと頭完全におかしいですね[がく~(落胆した顔)]

 昨日は寒かったですが、昼少し前から日が差してきて、いくらか暖かくなりました。レースカーテンのみのリビングも明るくなり、LEDを消しました。やはり、太陽エネルギーというものは、すごい。古代人が太陽を崇め奉ったのがわかるような気がします。

 本日のブログは大昔のSF映画に関する「忘備録。個人的なメモ書きなので読んだところで何の益にもなりません。スルーしてください。m(__)m

 このブログにも何度か書いているが、かつて私はSFフアンであった。
 高校生のとき「SFマガジン」(何年か前に月刊から隔月刊になってしまったが、まだ存続しているのだろうか?)を知り、学生時代にはSF大会にも何度か出席した。1966年に地元・名古屋で行われたMEICONはもちろん、わざわざ東京TOKONや九州KYUKONへも出かけた。参加人数をカウントしたわけではないが、TOKONで200-300人、MEICONは200人弱、熊本県の杖立温泉で行われたKYUKONに至っては100人もいなかったと思う。日本全国から集まったSFフアンがたったこれだけしかいなかった時期に泊まり込みも含めて参加していたのだから、SFフアンであったことに文句は言わせない(きりっ)。
 どの大会でも東京のフアンが大きな顔をしていて(当時はまだSFフアンと作家との境界が明確ではなく、東京のフアンは作家とも顔見知りになっているのでどうしても態度が尊大になるのだ←個人的な感想です)けっこう嫌な思い出も多く、また恥ずかしい思い出もあるが、前の椅子に手塚治虫が座っていたり、小松左京や平井和正と麻雀が打てたり、筒井康隆とトイレの小便でいっしょになったりと、今となってはすべて楽しい思い出である。
 知り合いと同人誌を作っていたことから、MEICONを主催した名古屋を代表するSFフアングループ「ミュータンツ」と交流が出来、いっしょに中日シネラマ劇場に「2001年宇宙の旅」を見に行ったのも、このころのことである。いずれにしても、この頃のSFフアンというのはマイノリティーで、それだけにSFフアンというだけで親近感が湧いたものだ。

 私の高校の頃(1960年代後半)のSF状況というと、ハヤカワSFシリーズ(といっても最初の頃はSFではなくHF、つまりハヤカワ・ファンタジーと言っていたと思う)こそあったものの、ハヤカワSF文庫はまだなく、創元SF文庫はまだ創元推理文庫の一ジャンルだったという時代である(第1作がフレドリック・ブラウンの「未来世界から来た男」というショート・ショート&短編集で、定価150円。本屋で見つけてすぐに買った。こんなにおもしろい分野があったのかと、まさに刮目)。
 私が最初に買った早川書房の「SFマガジン」は1964年3月号。アシモフ初期の傑作「夜来る」が載っていて、この号だけは各短編はもちろん、コラムから読者投稿まですべて読んだ。一般の人にはSFとSMの区別も付かず、区別が付く人でもSFは子供の読み物と考えていた時代である。そんな時代のSFフアンとして、当時は日陰者扱い、際物扱い、ゲテモノ扱いだったSF映画ももちろん私は熱心に見た。今と違ってこの手の映画はどうしてもマイナーな評価しか受けない(あるいは完全に無視される)ことが多かったのだが、私の評価で「けっこうよく出来ている」と思ったものを中心に、「忘備録」として書いておく。
SF映画.jpg
 まず取り上げたいのは、今では全く話題にならないが、東宝の「ラドン」にも影響を与えた「放射能X(エックス)」(原題Them!)。どこが影響なのかは、記憶喪失の部分等と、とりあえず書いておく。おなじみ名古屋のメトロ劇場で子どもの頃家族で見た。監督はリメイク版「駅馬車」で株を落としたゴードン・ダグラスだったと思う。砂漠の原爆実験の影響で巨大化したアリとの戦いの映画で、ピロピロピロというアリの声が聞こえてくるだけでけっこう怖かった。巨大アリは前半なかなか姿を現さないのだが、この声だけでけっこう緊張したものである。バズーカ砲でやっつけたと思ったら女王アリが逃げ都会の地下に新たな巣を作っていたというのも心憎いサービス。キングコングにしろゴジラにしろ、やっぱりこの手の怪獣物は都会で暴れてくれないと話が完結しない。

 その少し後に話題になったところでは、「禁断の惑星」と「宇宙戦争」。「放射能X」はモノクロだったが、この2作はカラーで、当時はカラー(総天然色)というだけで大作という感じがしたものである。
 まずは「禁断の惑星」(原題Forbidden Planet)
遠く離れた宇宙の惑星での物語で、はっきりと太陽系以外の星を舞台とした映画としては始めてとは言わないがそれに近いものだと思う。イドの怪物という設定自体が50年代の映画としては恐ろしく斬新である(メトロ劇場で見たと思うのだが、私は「井戸の中から怪獣が出てくるのだ」と思っていた)。また、この映画の要塞のイメージを東宝の「地球防衛軍」がミステリアンの要塞にパクっていることにも注目しておきたい。話題になったロボットのロビーが登場するが、SF=子供物という概念を否定した真面目な作り方が共鳴できる。何も見えないのにロビーが「何かが近づいて来ます」と言うあたりも迫力があった。後にTVの「ハニーにおまかせ」をやることになる若き日のアン・フランシスが超ミニスカートでサービスに勉めているが(ナニは見えそうで見えない(^^;)、当時はそんなことには気付かず、社会人になってビデオで見て再発見?した次第である。

 同じく太陽系外を舞台にした映画に、惑星間で戦争が繰り広げられているという、「スター・ウォーズ」の元祖のようなジョセフ・ニューマン監督の「宇宙水爆戦」(原題This Island Earth)というすさまじい邦題の映画があり、惑星の表面がボロボロに破壊されているシーンなど見ごたえがあった。確か、SF作家の光瀬龍が誉めていたと記憶しているが、構成が粗く途中かなり退屈なので誰にでもお勧めできるというほどのものではない(脳に目鼻が付いたような宇宙人=正確には昆虫ミュータントが話題になったので、それだけ覚えている人もいるかもしれない)。そもそも、円盤に乗った宇宙人は、自分の星が危機に陥っているので地球の科学者に新兵器を作ってもらいたいということでやって来るのだが、恒星間飛行など夢の夢の科学後進惑星の地球に助けを求めてくるという発想は、どう考えてもおかしいなぁ。

 この頃に見た私のNo.1に輝くSF映画は「宇宙戦争」(原題War of the Worlds)
 ジョージ・パルの作品で、第一次世界大戦はこうで、第二次世界大戦はこうだったというニュースフィルムに始まり、そして次の戦争は、というようなナレーションと共に始まるタイトルからしてわくわくさせるものがある。飛躍を極力廃してリアリティーで迫った侵略ものの白眉。宇宙人の円盤に向かって敵ではない証拠に白旗をかかげながら、白旗が通じるかなあ、と言っているうちにバババとやられてしまう男たちにも現実感がある。この映画は場末のオーモン劇場で母に連れられて見たのだが、その話をすると「寒くて風邪ひいてまったがね」と母は今でも言うのである。主演の(よく考えてみると何の役にも立っていないのだが)科学者を演じたのは後のTV「バ−クにまかせろ」のジーン・バリー。「宇宙戦争」は21世紀になってトム・クルーズ主演のものが作られたが、私としてはやはり前作のほうが断然おもこれまたしろいと思う。
 「禁断の惑星」のミニスカートについて書いたが、ジョージ・パルの「タイム・マシン 80万年後の世界へ」(原題The Time Machine)のイベット・ミミューも当時はなかなかの美少女で、テレビ放映されたとき「あの女優の名前を教えて」という質問が映画雑誌に殺到したが、「おばさん化」が早かったなあ。後にある映画で脱いでいる(あえて映画名は書かないので関心のある人は探して欲しい)が、ちょっと痛々しい感じさえした。
 ジョージ・パルは確かミニチュアワークがら出発した人だったと思うが、1950年代のSF映画のほとんどにかかわっていて、「月世界征服」(原題DESTINATION MOON)「地球最後の日」(原題When Worlds Collide)などもパルが製作等に関わっている。どちらも話の起伏に乏しく退屈な映画なのだが、「地球最後の日」のロケットが今のように垂直に上昇していくのではなく空に向かって曲線を描く滑走路のような所を下から上にシューッと滑走して飛び立って行くのが、印象に残っている程度。あんなんで新世界まで行けるのかね?と、思ったものだ。

 パルに続くミニチュア作家としては、私が尊敬するレイ・ハリーハウゼン先生の登場。
 いわゆる「ストップモーション・アニメーション」で数々のクリーチャーを生み出し、「シンバッド七回目の航海」のサイクロップスや「アルゴ探検隊の大冒険」のタロス、「シンドバッド黄金の航海」のカーリ神など今や伝説だが、CGの発達でコマ撮り特撮はほぼ絶滅。ちょっと残念な気がしないではない。
 私の世代のSFフアンは、ハリーハウゼンの、本来は命のないものが彼によって命を吹き込まれカタカタと動くことに狂喜乱舞したものだ(東京の岩波ホールでのSF大会で上映されたのは「アルゴ探検隊の大冒険」なのだ)。有名な骸骨戦士との戦いなども死んで筋肉もないただ骨だけの骸骨が剣を持って襲いかかってくるというところがおもしろいわけだ。青銅の巨人タロスが、ギギッと動き出したときなど「おおっ、やったぁ」と思った。そんなわけでハリーハウゼンが関わった映画の主人公はクリーチャーであり恐竜、巨大獣であったりするのだが、比較的SFっぽいものとしては「原子怪獣現わる」「水爆と深海の怪物」「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」「地球へ2千万マイル」など初期のものと「SF巨大生物の島」「H・G・ウェルズのSF月世界探検」などがある。
 もともとが「キングコング」を見て特撮の世界に入った人だけに「恐竜グアンジ」「恐竜100万年」などの恐竜もの、「シンバッド七回目の航海」に始まる「黄金の航海」「虎の目大冒険」と続くシンドバッド3部作、代表作といわれる「アルゴ探検隊の大冒険」や「タイタンの戦い」の神話ものなども私としては愛着のある映画だが、SFかと言われると疑問がある。
 そんなハリーハウゼン特撮作品で「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」(原題Earth vs. the Flying Saucers)は「宇宙戦争」の二番煎じのような作品だが、これはまちがいなくSF。円盤が少し揺らいでズドーンと墜落するシーンなどにハリーハウゼンらしさが出ていなくはない。「SF巨大生物の島」(原題Mysterious Island)はジュール・ヴェルヌ原作の映画化。巨大ハチに巣に塗り籠められるシーンなど迫力満点なのだがいかんせんサイ・エンドフィールド監督の演出が凡庸なので退屈する。それでもパット・ブーン主演の「地底探検」よりは数段マシか。「H・G・ウェルズのSF月世界探検」(原題First Men In the Moon)は、人類初の月面着陸に成功した隊員たちは、そこに英国国旗と、1899年と記された書きものを発見するという出だしはなかなかおもしろい。そこから過去の話になるのだが、月面地下の都市の造型はおおーっと思わせるものがあった。

 以下、思いつくままに・・・

 「地球が静止する日」(原題The Day the Earth Stood Still)は、「ウエストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」のロバート・ワイズ監督作品。やって来た宇宙人は地球の争いを止めようとする平和の使者というところが米ソの冷戦時代を思い出させる。ワイズはけっこうSFが好きだったとみえて後年「アンドロメダ」や「スタートレック」なども監督しているが、うまくいったとは思えない。もっとも、「地球が静止する日」はキアヌ・リーブス主演でリメイクされたものも凡作だったので、話自体がつまらないのかもしれない。
 SFというよりもホラーの色彩が強い「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(原題Invasion of the Body Snatchers)は、クリント・イーストウット主演の「ダーティ・ハリー」で男を上げたドン・シーゲル監督の作品。なかなかよくできた侵略物SFの佳作である。ラストもうまい(原作はジャック・フィニイで記念すべきハヤカワSFシリーズの第一弾「盗まれた街」。フィリップ・カウフマンのリメイク版は駄作。カウフマンの映画は「ライト・スタッフ」が例外的におもしろかっただけであとはゴミ)。
 ハワード・ホークス制作、クリスチャン・ナイビイ監督の「遊星からの物体X」(原題The Thing from Another World)。原作は「アナログ」誌の名編集長だったジョン・キャンベルの「影が行くThe Thing」で、侵略物SFの古典。まあ特撮などチャチなものだが、それなりの緊張感はあった。これも30年ほど後の1982年にジョン・カーペンター監督によりリメイクされたのだが邦題は「遊星よりの物体X」。「から」と「より」の区別をつけたつもりなのだろうが、私はいつもどっちがどっちだったのか迷ってしまう。こちらの原題は「John Carpenter's The Thing」となっているが、おいおいわざわざと「ジョン・カーペンターの」とつけるほどの大監督かよ。ったく、カーペンターの映画は「ニューヨーク1997」などすべて駄作と考えてよい)。また、カウフマンとカーペンターのリメイク駄作は、どちらも終わったと見せかけて実は……、という最近流行のラストに作り替えているのだが、結末が見えてしまっている。芸がないなあ。

 「縮みゆく人間」(原題Shrinking Man)は、リチャード・マシスンのワンアイデア原作の映画化。際物かと思ったら、どんどん縮んでいく主人公が、それでも生きていこうと決意する意外や真面目な作り。ただ、話が一直線でふくらみがないので、退屈。
 「金星ロケット発進す」(原題Astronauci)は、オーモン劇場で見たのだが、ポーランドとドイツ(東ドイツ)の合作映画。ソ連のロケットで金星にいくともやもやが出てきてというこれまた退屈映画。日本の谷洋子さんがそこそこの役で出ていた。
 「渚にて」(原題On the Beach)は、ひところ何作か作られた第三次世界大戦物。スタンリー・クレイマー監督、グレゴリー・ペック主演の映画だが、2時間を超える長尺ではさすがに退屈だし、放射能被害に対する認識にも疑問が残る(「インディー・ジョーンズ」で核爆発近くにいたのに冷蔵庫に入って助かるなど、アメリカ人の核認識はどうも理解できない)。
 第三次世界大戦物というか核の恐怖を描いた映画として「未知への飛行」(原題Fail Safe)もあげておこう。キューブリックの「博士の異常な愛情」(原題Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)とかぶる映画だが、傑作「十二人の怒れる男」のシドニー・ルメット監督だけに緊張感のある映画だった。私は河出ペーパーバックスで原作を読んでいたが、この結末には疑問がないわけではない。
 思い出したが、ヴェルヌ原作の「海底二万哩」(原題20000 Leagues Under the Sea)というディズニー映画もあった。リチャード・フライシャー監督で主演はカーク・ダグラス。おなじみ?ノーチラス号が登場し、ノーチラスといえばノモ船長はジェームズ・メイソン。巨大イカ(今にして思えば巨大ダイオウイカ)との闘いなど当時はおもしろく思ったが、演出は単調でやや退屈する。ディズニー物でもう一つ、「うっかり博士の大発明 フラバァ」(原題The Absent-Minded Professor)は、例によってオーモン劇場で見たが超弾力性物質を発明しその靴でやるバスケットはけっこう笑えた。なんだかT型フォードが空を飛ぶようなシーンもあったような気がするが、よく覚えていない。

 このほか「大アマゾンの半魚人」「恐怖のワニ男」「ハエ男の恐怖」「マックイーンの絶対の危機」、東宝の「美女と液体人間」「電送人間」「ガス人間第一号」、タイトルに期待して見にいっては落胆していた大蔵映画配給の「原子怪獣と裸女」「吸血原子蜘蛛」などにもふれるつもりだったが、「半魚人」以外はあまり覚えていないし、調べるのもめんどくさくいので、このあたりで一旦中止。東宝の「変身人間シリーズ」3部作についてはビデオも持っている(^^;ので近々書くつもりだが、その他は、機会があれば・・・、あるのかな?
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