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原一男監督のドキュメンタリー?映画について [映画・文学・音楽]

 本日は、「老人力」拡大対策のための「忘備録」につき、お忙しい読者の皆様(いるのか?(^^;)には、スルーをお願いします。
 限られた人生の貴重な時間を無駄に費やしてしまったがやと、お怒りになられても当方は責任を負いかねます。[たらーっ(汗)]

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 「ゆきゆきて神軍」は、映画館ではなくレンタルビデオでタイトルに引かれて何となく借りてきて、何となく見始めた。が、すぐのめり込むようにして見た。いやあ、ぶったまげましたねえ。まさしく、こんなのあり、という映画で、しかも、それだけでは終わっていない映画だった。はっきり言って、凄い!まさか未見の人はいないと思うが、そんな人がいたとしたら、一見の価値有りとだけ言っておく。

 まず映画の主人公だが奥崎は、昭和天皇の責任を追及するとしてパチンコ玉を撃ったむさいおっさんである。巻頭、天皇の政治責任を追及する看板で埋められた彼の車の異様さに、まず度胆を抜かれる。右翼の街宣車ではたまに見かけることはあるが、それでもここまで凄いものは見たことがない。「田中角栄を殺す」という看板もかかげられている。戦争当時の関係者の家に乗り込み、話をする。相手はちょっと迷惑そうだが、わざわざ会いに来てくれた相手である。普通の客のようにもてなす。奥崎、最初は穏やかに話しているのだが、相手が自分の責任を回避しようとした途端に立ち上がり、殴りかかる。凄い。その暴行を止めることもなく、カメラが回っているのは、もっと凄い。近年話題になった「カメラを止めるな」なんて甘っちょろい映画なんぞは、足元にも及ばない。結婚式の披露宴で奥崎がいきなり「新郎は刑務所に云々」と言い出し、それを周りが神妙に聞いているのに至っては、開いた口がさらに開いてしまい顎が外れてしまうほどの凄さである。

 形式は、確かにドキュメンタリーである。が、果たして素直にドキュメンタリーとして認めてしまっていいのか。私は、原一男の長編映画は2本しか見ていないが、いつもそんな気がして仕方がないのである。その手法は、原の師匠の今村昌平とも明らかに異なる。今村は、日本の土着的なもの、原風景とでも言うべきものに拘りをみせるが、それはあくまで監督・今村昌平のイメージの中での土着的なもの、原風景であり、彼はそれをスクリーンの上に現実化しようと悪戦苦闘しているように見える。それに対し、原一男のカメラは対象の前でただ謙虚に回っている(ように見える)。
 しかし、本当にそうなのだろうか。
 演出はないのだろうか。いや、演出はあるはずだ。師匠の今村にも「人間蒸発」という一見ドキュメンタリー風に思わせておいて、最後に演出でしたー、本物のドキュメンタリーがそんなにうまくまとまった形になるわけないでしょうと、わさわざネタバレしている映画があるのだ。これはまあ、昨今のやらせが臭うテレビのドキュメンタリー番組をすでに何十年も前に皮肉った映画ととれないこともない。
 それに反し、原の手法は淡々とカメラを回しているだけのように見えるが、しかし、たとえ原が奥崎にあれこれ指示出しをしていなかったとしても、カメラが回っていることを意識した奥崎が、殴りかかるという行為をするかもしれないという計算が絶対になかったと言いきれるのか。奥崎が自己顕示欲の強い、目立ちたがり屋の性格であることを考えると、少なくとも何割かの期待はあったのではないかと思う。また、カメラは淡々と回したかもしれないが、編集の段階で奥崎の普通の行動はカットされ、映画の上ではちょうどいいタイミングで殴りかかるという編集がされているのかもしない。

 しかし、演出があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。
 普通の生活をおくっているように見える奥崎の行動が突如として狂気の色を帯び、戦争の亡霊を蘇らせることこそ重要なのだ。平凡な生活を送っている人間から見ればそんな奥山の言動は異常そのもののように見える。ただ、その異常さの中に一片の真実が含まれているのが、この映画の凄いところだ。だからこそ、過去を忘れ、あるいは忘れようとしている人間は、奥崎に殴られることにより、嫌でも過去と再び向かい合わなければならない。
 埴谷雄高は、かつて「戦争の最大の犠牲者は戦争で死んだ者たちだ」そして「死者は何も語らない」と、書いた。だから戦争は繰り返されるのだが、死者の声を聞けば彼らはこう言っている「ぐれーつ」とも。この映画の奥崎は、まさしく戦争で死んだ者たちの代弁者として幽霊のように、意識的、無意識的を問わず過去を忘れて生きている者たちの前に立ちふさがるのだ。ただし、「ぐれーつ」と言う代わりに殴りかかることによって。
 この映画の凄いところは、そうした奥崎の行動を肯定も否定もしないところだ。その結果、奥崎に殴られる老人も奥崎も等しく戦争の犠牲者であり、違いは忘れようとするのか、言語と行動で忘れまいとするのか、ということだけだと観客にもわかるのである。戦争反対などとは一言も言っていないが、これは紛れもなく反戦映画であり、人間が置かれた状況で何を考え行動するのかを考えさせる映画である。多くの人にとっては戦争は終わっている、あるいは終わっていると思いたいのだが、奥崎にとって戦争は終わっていない。それを考えさせる意味でも「ゆきゆきて神軍」は、紛れも無い傑作だった。

 私の見たもう1本の原一男の映画は「全身小説家」
 作家・井上光晴を追ったドキュメンタリーで、井上の死で終わる。癌と宣告された井上は、カメラの前で淡々と日常生活を送っている、そして彼の日常生活とは、とりもなおさず小説を書くということなのだが、奥崎の時と同じようにそれは本当の日常なのか、それともカメラを意識した上での日常なのかよくわからない部分がある。そんな日常の裏に、どれほどの病気でどんな大変な手術をしているのか知らしめるためなのだろうが、カメラは手術の様子も克明にとらえる。人間の体からはこんなにもたくさんの血が出るものなのか、と血を見るのが嫌いな私としては思わず目をそらせたくなる場面の連続である。
 いったい井上は、なぜ手術の様子まで撮影を許可したのだろう。不許可にして小人物と思われるのが嫌だったのだろうか。そうでは、あるまい。写されたものは、確かにドキュメントであるが、しかし、それは現実そのものではない。ドキュメンタリータッチのフィクションとでも呼ぶべきものなのである。日常も、日常そのものではなく、あくまでカメラを前にしての演技された日常と解釈すべてものであろう。それは、彼が、この映画で「自分」というものを主人公にした小説を書こうとしたためではないかと思う。

 確実に迫り来る死を見据えて、机に向かうのも、おそらく映画の上で小説を書こうとした決意の表れである、とでも解釈しなければ、この映画の日常性が理解できない。彼が話す自分の生い立ちが、あちこちでフィクションだとわかるのも、自分自身を小説にして演じてしまう、という部分を抜きにしては理解できない。その上での「全身小説家」のタイトルなのである。紙に向かって書くのか、カメラに向かって演技をするのかの違いこそあれ、井上光晴は、全身で「井上光晴」という小説を書いたのである。
 いや、もっと正確に言おう。小説家=井上光晴を起用して、原一男がそういう映画を作ったのである。容赦無くそんなところまで写してしまうのか、と思わせるのもまた演出である。ゴダールの映画のいくつかが、映画の約束事いいかげんにやめましょう、とでもいいたげにドキュメンタリータッチを感じさせるが、原の映画は、それをさらに徹底させたものと言えるかもしれない。しかも、これはほとんど奇跡と言ってもいいが、独り善がりではなく、1本の映画として十分に普遍性と娯楽性をも併せ持っている。
 二度にわたる大手術を受けた井上光晴は、「おやすみ」という象徴的な一言を残して部屋へ消えて行く。直後、観客は彼の死を知らされる。そして、葬儀のシーンに続くラスト。彼のかつての仕事場へ続く階段をカメラが上がっていく。すると、そこに、机に向かい原稿用紙に何かを書いている井上光晴がいる。「全身小説家」というタイトルにふさわしい、見事な締めくくりではないか。
 その結果、この映画を見終わった者は、否応なく自分の限り有る生と向かい合わなければならない。黒澤の「生きる」が演出の極致でそれを問いかけているのだとすれば、「全身小説家」は、演出を感じさせない生の肌触りで同じことを問いかけているのである。「神軍」には及ばないにしても、この映画もまた傑作である。

 監督の名前を見ないと、今見た映画が誰の演出によるものなのかわからない作品が多い昨今、原一男の存在は貴重である。彼の映画を見てしまうと、世評の高いマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」や「華氏911」「シッコ」なんぞ(それなりのレベルにある映画であることは認めるものの)「屁」のようなものである。被写体への迫り方が違うのだ。
 ついでに書いておくと、後にTVで原一男が浦山桐郎の生涯を描いたドキュメンタリー(「映画監督・浦山桐郎の肖像」)を見た。これもなかなかのものであった。故人のドギュメンタリーというと、生前のインタビューなど挟みたくなるものだが、そんなものは一切使わず、家族や兄弟、師匠の今村昌平、俳優ら関係者の証言だけで一人の映画監督の生涯を描き、浦山桐郎という人間像を浮き彫りにする手法は見事と言うしかない。
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JUNKO

まさかいないの一人です。必見といわれてみないわけにはいきませんね。
by JUNKO (2020-12-22 11:58) 

アニマルボイス

ええっ、見ていない。
いかんですなぁ。
メモに書きましたが、ホントぶっ飛びました。マイケル・ムーアの映画などこれにくらべたらまだまだ甘いです。
by アニマルボイス (2020-12-22 16:42) 

KS

私もまさかいないの一人です。観たいものですね。
by KS (2020-12-22 19:44) 

アニマルボイス

私の感想は、書いた通りですがKSさんは生理的に受け付けないかも。
by アニマルボイス (2020-12-22 20:14) 

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