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睡眠薬代わり「長編小説」の前説(^^; [日記・雑感]

>NS様
 世の中には本当に暇な人がいるんですねえ。読んでみたいので送ってもらえないかというコメントが来てしまいした[がく~(落胆した顔)](コメントは承認制なので私が承認しない限り表示されません。読んだ後、削除しました)。まあ、送るのは別に問題はないのですが、素人の書いた「睡眠薬」のような退屈なものなんですが、どうしてもということならメールアドレスをコメントで知らせてください。アドレス確認後、メールはそのまま削除し、「睡眠薬」は、メールへの添付ファイルとして送ります。[たらーっ(汗)]
→NS様はじめ3名様に圧縮pdf.ファイル添付で送りました。どうぞ「睡眠薬」としてお使いください。(^^;

 GW進行中。
 といっても、コロナ様と無策の安倍様のおかげでどこかに出かけるという感じでもありません。せいぜい近くの公園まで散歩するくらいで終わってしまうのか。あ、公園も子どもが走り回っているのであまり行かないほうがいいのかも・・・。[バッド(下向き矢印)]
※本日のブログは100%自分宛の忘備録ですので、スルーしてください。m(__)m

ワスレナグサ.jpg
 高校時代に友人たちと同人誌ゴッコを始め、以来、大学、社会人と金がなくて暇なとき(意外に多い)には、遊びとして下手な小説など書いて時間を潰していたことは、以前にも書いた。この遊び、ともかく金がかからないというのが最大のメリットだ。
 コロナ騒ぎでパソコンに残されているデータや資料などを整理していたら、そんな昔の「長編」がいくつか見つかった。今、読んでみると、いやはや呆れ返るほど下手ですなぁ(^^;。
 学生時代に書き始めた「午後」という作品を含め、私が趣味として書いた長編小説は計7篇もある。よくもこんなに書いたものだと、我ながら感心する。よほど金がなかったのか、暇人だったのだろう。
 とはいえ、出来はともかくとして私にとっては貴重なものなので、作品本体は万一の場合も考えて複数のHDDにデータが残してあるのだが、以前、別のブログにアップした時の「前書き」はさすがに複数保存はされていない。しかし、私にとってはこれも貴重なものなので、HDDクラッシュ時の保険のためにこのブログにも「忘備録」としてアップしておくことにした。手直しはてしいないので、以下に書かれている拙文の「8年前」などの時制はアップしたときのもので、今(2020年)からするといずれも30〜20年ほど前のものであることを書き添えておく。
 いずれにしても、アホ小説を書いたりするのは、格安の暇潰しだと断言できる。ただ、どんなに下手な小説でもエッセーでも、何もないところに何かを書こうとすると、それなりの集中力とエネルギーがいる。そして、今の歳になると長編どころか短編小説を書くエネルギーすらない。[バッド(下向き矢印)]。仕方がないので、何作か暇潰しに読んでようかな。つまらなくても、それはそれで睡眠薬の代わりになるはずだ。(^^;

『フロム・ダークネス 復讐する死体』
 8年ほど前、会社を辞め、少ないとはいえ退職金ももらったので、すぐに生活に困るというわけでもない。いい仕事でもあったら紹介してくれよと何人かの知り合いに声をかけてはいたものの、当たり前のことながら「いい仕事」がそんなにすんなりと見つかるものではない。まあそのうち何か見つかるだろうと失業保険でのんびりと生活していた、今から考えると天国のようだった時期に暇つぶしに書いた作品である。
 とくにホラー小説を書いてやろうという意識はなく、原因はわからないが、あるときふっとラストの病室でのシーンを思いつき、これってけっこうビジュアル的に怖いかも、と遡って設定を考えたものだ。全体の設定ができると久しぶりに書いてみるかという気になり、一か月ほどで一気に書き上げた。書きながらある程度のつじつま合わせは考えたものの、あまり細部にこだわっていると素人故400枚(程度と計算していた)の長編は絶対にフィニッシュできない。とりあえず完成させることを目標にどんどん書いていったものなので細部で矛盾する部分もあると思うが(いや、間違いなくあるはずだ(^^;)、金をとっているわけでもないので、責任をとるつもりは全くない(きっぱり)。
 「リング」にしろ「デスノート」にしろ、あるいはスティーブン・キングの諸作にしろ、そもそもホラー小説はある部分に矛盾した設定を受け入れて始めて成立するものなので、そういった矛盾の指摘についても、受け付けない。
 長編を書くのは久しぶりだったので書きやすくするため主人公はとこかくカッコイイ奴というのを心がけた。カッコよくて、めちゃくちゃ強く、頭がよく、元エリートなのに腰が低く、思いやりがあって優しいという、まあそんな男は絶対にいないので、これが最も大きな矛盾であり絵空事と言えるかもしれない。で、そういった主人公を取り巻くのは特殊能力のある美人の妹と美人女優、中年の渋さを発揮する捜査一課長等々。醜男、ブスは一人も出てこない。いやあ、ベタですなぁ。
 こんな面々の周囲で四肢や臓器を盗られる殺人事件が連続するというという、今から考えると「おいおい」と言いたくなるような安易な作品なのだが、書いているときはむろんそんなことはわからない。素人が暇つぶしに書いたものなのだから、「おもしろくないぞ」「時間の無駄だったじゃないか」といったクレームについても受け付けるつもりはない。
 個人的には、この兄妹のキャラクターにはかなり愛着があり、三作ほどのシリーズにしたかったのだが、いい敵役を思いつかないうちにいくつか仕事が入るようになり、その忙しさもあって結局この一作だけで終わってしまった。今となっては、ちょっと残念な気もしている。
それほど長くもないし、とりあえずこれでも読んでみようかな。ただ、書いた当時は自分なりにおもしろいと思ったのだが、間違いなく独りよがりの自己満足だろう。20年も前のおぼろげな記憶しかないので今読めばスタンダール「恋愛論」のザルツブルクの小枝でもないが、退屈で眠くなる可能性大。しかし、それならそれで睡眠薬効果が期待できるかも(^^;)

『元城竜之進異聞帳 風魔異形伝』
 「復讐する死体」の次のアップを何にするのか迷ったが、少数とはいえ読んでくれている人もいるようなので、ネットでしちめんどくさい小説でもないだろうと思い(そういうものもいずれここに保管する予定なので、賢明な読者はそのときは読まないように)、これにした。他人にはどうでもいいような駄作でも作者にはそれなりに愛着があるもので、保管の順番は自信作からというものでもない。一回二万字までという制限があるため、分割アップするための準備ができたものからということになる。で、その準備の順番はというとそのときの気分ということになる。ただし、できるだけカテゴリ登録の順番にアップしていこうと思ってはいる。
 タイトルから連想できるように、チャンバラ小説である。一般的な「時代小説」という名称を使わないのは、チャンバラ小説であるとともに伝奇小説であり、ある意味SFでもあるという時代設定などめちゃくちゃというか、そんなものはなから考えていない小説だからである。
 そもそもシバレンこと柴田錬三郎と司馬遼太郎の時代小説をいくつかと白土三平の忍者劇画程度しか読んでいない人間に「時代小説」など書けるはずはないし、また書く気もない。不勉強者の居直りのように聞こえるかもしれないが、その通りである。私が書いた「時代小説」らしきものといえば唯一、「TOSHI」という新撰組の土方歳三の半生を描いた小説があるが(いずれアップ予定)、その時も「事実と違う」と何人かに言われた。「事実」とは何かなんて野暮なことは言わない。事実も何も、歴史書ではなく小説なんだから何でもありだろう。フィクションである小説で歴史の受験勉強をしようなどという者はいないはずである。いるとしたら悪いのは、作者ではなく、その受験生だ。と思うのだがなかなか納得してもらえない。そんなことを言い出したら東西の歴史書の古典中の古典、司馬遷の「史記」にも、ヘロドトスの「歴史」にも、おいおい本当かいなと思える記述が山とあるのだが……。
 書いたのは、もう十数年も前。だいたい小説などというものは書いているときは凡作・駄作のたぐいでもそれなりに苦しいものなのだが、購入したワープロ(という文明の利器がかつてあった)で書くのがおもしろくて、この作品に限っては思いつくままにすらすらと楽しく書けた記憶がある(そのことと作品自体がおもしろいかどうかは全く別物である)。ともかく痛快な小説を書こうと思って書き始め、その目論見はある程度成功したと思うのだがどうだろう、という自己満足作品だ。
 主人公が颯爽としていて強いのは当たり前で、この手の小説は敵が強ければ強いほど戦いが白熱しておもしろいのだが、その強さの秘密にちょっとした工夫がある(自画自賛(^^;;)。
 主人公の元城竜之進は読めばわかるように中里介山「大菩薩峠」の机竜之介、柴田錬三郎の眠狂四郎の流れをくむ人物であり、一言で言ってパクリなのだが、そもそも机竜之介あっての眠狂四郎なのだから、眠狂四郎あっての元城竜之進でいいのではないかと勝手に思っている。眠狂四郎にならって下手な濡れ場サービスなどもしてみた(^^;;。当初の予定ではこの元城竜之進を主人公にこの事件の前と後で計三作くらい書くつもりでいたのだが、強い敵というのをなかなか思いつかないので、これまた一作のみで終了。読まされる方にとっては幸いというべきかもしれない。

『彼らのための三章』
 人は、生涯に一つは「傑作」を書くことができる。それは、自分の話である。
 よく耳にする言葉である。自分のことは自分が一番よく知っているのだから、自分のことを書けばそれなりの作品ができる。なんとなく、そんな気がしてしまうが、こういうのを「大嘘」と言う。だいたい、岡目八目という言葉があるくらいで(どういう意味かわからない人は自分で調べてほしい)、自分のことを本当に自分がわかってるのかどうか、はなはだ怪しいと私は思っている。
 百歩譲って、もしそうだとしても「書く」という行為が介在する以上、果して「傑作」が書けるのかどうか、これまた疑問である。「書く」という行為には技術的な側面があり、その訓練なしに本当に他人に伝えられるようなものが書けるのかどうか。こう書くとすぐに、他人に伝えるために書くのではない、自分の半生を見直すために書くのだ、という反論が予想される。そういう向きには、作品とか小説などということは考えずに、毎日日記を書きそれを読み返した方がよほど実用的だと言っておこう。
 大統領になった、ノーベル賞をもらった、何人もの有名人のマネージャーをやった、ブラックジャックのような天才外科医である、何人もの人を殺した(^^;;、など普通とはよほど違った人生を送ってきた人でなくては、だらだら書かれた半生記など読む気がしないのが普通である。
 だから上の例のどれにも当てはまらない私は、最初から自伝など書くつもりはない。他人が読んでも多少はおもしろいものにしようと多少の努力はしてみたのだが、結果は明白。傑作とはほど遠いものになってしまった。この作品に登場する「彼ら」以外、読んでもたいしておもしろいものではないと思う。では、なぜそんなものを「保管」するのか?
 当然の疑問である。答えは、去年患った大病のせいである。幸い退院できたが、場合によってはもうこの世にいないということだって十分に想定できる病気だった。自分に明日はあるのだろうか? と考え出すと妙なことに過去の出来事があれこれ思い出される。そんなとき、すぐに思い起こされたのが、この作品だ。もう15年以上昔のワープロ時代の作品だが、そんな意味も含めて、やはり他とは少し違った愛着のある作品である。
 自伝風の体裁はとっているものの、少し読んでもらえれば関係者にはすぐにわかるのだが、これはせいぜい私の「一割」自伝である。なぜ「一割」なのかというと、そのまま書いてもおもしろい話にはならないのがわかっているからである。
 その内訳は、全く事実と違う話が約三割、事実なのだがかなりオーバーに脚色してあったり出来事のかなりの部分をカットしたりしているところが約四割、事実なのだが実はもっと後だったり先だったりそれがあった時期を入れ替えたり発言者が違ってているのが約二割、そしてほぼ事実通りなのが一割といった具合である。つまり、そのままの事実はたったの一割。甘く見積もってもせいぜい三割である。
 「彼ら」とは私を含めた友人たちのこと、三章は「邂逅の章」「混沌の章」「再開の章」の三章に分かれる。例によって字数制限のため各章は三分割してアップする。
 いつからなのか、おいおいと言いたくなるような荒唐無稽のテレビドラマの最後に「この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません」というテロップが出るようになった。以下にアップする小説についても同じことを書いておく。「この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません」

『TOSHI』
 これは土方歳三の物語である。世の中に土方歳三の出てくる小説は、それこそ万とあるし、彼を主人公にした司馬遼太郎の「燃えよ剣」は未だに売れ続けている。そこにあえてへたな小説を付け加える意味があるのだろうかと考えると、ない(きっぱり)。ただ、自分なりの土方に対する思い入れがある以上、私の自己満足のためにこの小説は存在価値をもつ、はずである(^^*。
 昔々のその昔、まだ白黒テレビを見ていたころ、「俺は用心棒」という時代劇をテレビでやっていた。どうせ黒澤「用心棒」のバクリだろうと思って見たら、まあそういった部分がないではないが、これが意外とおもしろい。用心棒が栗塚旭、相棒というか柔術(確か天地静大流とかいった気がするが自信はない。料理も達人だったので、もしかすると料理の流派名だったのかもしれない)の達人が左右田一平(ナレーションも)、そして時々顔を見せる新撰組の沖田総司が島田順司といった配役がなかなか決まっていた。島田順司といえば若い人には藤田まことの「はぐれ刑事」シリーズの眼鏡の貧相くさい課長のイメージしかないだろうが、なかなかどうして若いころは沖田総司ぴったりのはまり役だった。
 新撰組がけっこう重要な役割をしているなあと思っていたら、その次のドラマがそのものの「新撰組血風録」。沖田総司の島田順司とへんなおっさんの左右田一平はそのままに栗塚旭が副長の土方歳三役でこれがまたぴったり(近藤勇は舟橋元でこれも悪くない)。ただ、これはあとになってわかったことだが、司馬遼太郎の原作が時代順を無視した短編集だったこともあり、流れがつかみづらいことと、エピソードを水増ししたためもう一つおもしろいものではなかった。
 このトリオは次の「燃えよ剣」でも全く同じ役柄を演じたが、私は見なかった。「また新撰組か……」という気がしたからである(先年の三谷「新撰組」で土方歳三のおじさん役を栗塚旭が演じたのは、もちろん三谷の栗塚へのオマージュなのだが、果して何人の人がそのことに気がついただろう)。
 ところがである、学生になって友達と北海道に遊びに行ったら、なんと函館に「土方歳三・最後の地」というのがあるではないか。土方は近藤とともに千葉の流山で捕まり、打ち首にされたとばかり思っていた私は仰天した。
 いったい土方歳三って何者だったんだ?
 と書いてきて、ずいぶん昔の記憶なのでちょっと気になったので調べてみると、制作年度は「新撰組血風録」1965年→「俺は用心棒」1967年→「燃えよ剣」1970年になっている。私の記憶とは「新撰組血風録」と「俺は用心棒」の放送順序が逆。大昔のことなので記憶が混乱しているのか、名古屋では放送の順番が逆だったのか(当時、名古屋にはテレ朝、当時のNET系列つまり今の「メ〜テレ」がなく、系列局のあったTBS、フジの番組以外ではときどきあることだった)、それとも歳からくる単なるボケなのか?(^^*
 話を学生時代に戻す。
 北海道から名古屋に帰ると、そういう小説があることはもちろん知っていたので、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んでみた。おもしろい! めちゃくちゃおもしろいではないか(私は未だにこの「燃えよ剣」が司馬遼太郎の最高傑作だと信じて疑わない。このことは「彼らのための三章」にも書いた)。タイミングよくその少し後にドラマの「燃えよ剣」の再放送があり、今度は欠かさず見た。途中、ちょっとだれかかったが、鳥羽伏見の戦い以降はぐんぐんおもしろくなり、宮古湾海戦などもう少し予算があればなあと思わせる部分もなくはなかったが、全体としては期待を裏切らなかった(ただし、同じ栗塚旭が土方歳三を演じた映画の「燃えよ剣」は土方の新撰組以前を描いたもので、つまらなかった。やっば「新撰組の土方歳三」でなくっちゃネ)。
 子母澤寛の新撰組三部作や永倉新八の「新選組顛末記」(新撰組隊員その人の書いた本があると知ってすぐに買った(^^;;)など、いろいろな新撰組関係の本を読んでいくうちにフィクションとしての土方歳三のイメージは私の中でどんどんふくらんでいった。そして、ついにこんなものを書いてしまったのだ。
 この小説を読んで「史実と違う」と言った人がいるが、歴史を書いたのではなく、私のイメージとしての歳三を書いたのである。このほうが話がおもしろいぞとわざと嘘を書いたところも多くある(坂本龍馬と会ったり、宮古湾海戦のくだりなど)。だから「史実と違う」というとんちんかんな意見が出るだろうことは想定の範囲内だ。そういうことを言う人は司馬遷の「史記」や、陳寿の「三国志」、ヘロドトスやツキジデスの「歴史」、タキトゥスの「年代記」などについても、やはり「事実と違う」と言って読むのを拒否するんだろうなあ、「かわいそうに」と思うばかりである。ましてや、この「TOSHI」は小説である。フィクションである。事実と違ってどこが悪い、と居直ることにしよう。
 さて、時代はぐんと下りこの21世紀になり我が家のcatvの「時代劇チャンネル」で「燃えよ剣」が放送された。何十年ぶりかのことで楽しみに見た。が、最も驚いたのはこの作品がカラーだったことだ。当時の我が家のテレビは白黒だったため、当然白黒だっ思っていたのである。そういえば同じ栗塚の「俺は用心棒」シリーズも白黒なのだが、1本だけカラーで放送されたものがあって驚いた(第19話「眞葛ヶ原にて待つ」)。この勘違いは最近スティーブ・マックィーンの「拳銃無宿」でも体験した。多分、私が白黒だと思っていて実はカラーの作品はまだまだたくさんあるのだろうと思う(^^;;)。……と、またまた脱線しそうなので、どうでもいいような前説はこれで終わることにする。

『陽炎(かげろう)TAKE2』
 「かげろうテイクツー」と読みます。東MAXとは全く関係ありません。私が書いた唯一の長編恋愛小説です(下にも書いたようになにぶんにも古い作品なのでちょっとだけ手直ししたということもありますが、なぜ「TAKE2」なのかは最後まで読んでいただければわかるはずです。←ネット人口3000万として1000万人に1人、まあ3人は読んでくれるだろうと楽観的予想)。
 「彼らのための三章」にも書いたのですが、「午後」という800枚近い長編を書いたのはもう30年以上も前のこと。その後しばらくは何も書きませんでした。なんとなく「創作」という遊びに疲れたのか飽きたのか、あるいは次に書きたいテーマが見つからなかったのか、今となってはわかりません。いや、見つからなかったというより自分の中に見つけようとしなかったというのが正確なところでしょうか。
 当時の友人たちとの交流は今も続いていますが、遊びとはいえ高校時代からやってきた同人雑誌が終了し、書き続けてきた長編もとりあえず脱稿し、一区切りついたなあと思ったことは確かです。気がつけばもう「創作遊び」にうつつを抜かしている歳でもない。にもかかわらず自分と向き合って何かを書き続けていくのはちょっとシンドイなあ……ということで書かなかったし、書けなかったし、書く気もなかったのだろうと思います。
 別にへたな小説など書かなくても生活に困ることはあまりせんので、そのままだらだらと何年も過ぎてしまったわけです。それが復活したのは、ひとえにワープロのおかげ。初めはとても手の出る値段ではなかったのですが、ある日、金融ディスカウントショップでシャープ・ワープロ書院(WD-A330)が99800円で売られているのを見て、ちょっとおもしろそうだからとつい買ってしまいました。10万円近い買い物をして使わないのでは家人の反応が怖い。とりあえず生まれて初めてのキーボードになれるためいろいろいじってはみたのですがどうにもおもしろくない。そのとき「これで小説を書くといいのではないのか」という考えがひらめいたのです。
 で、試しに「五年間の怒り」という400字詰め原稿用紙に換算して50〜60枚くらいの短編を書いてみました。10年以上ぶりだったこともあり、自分でも驚くほど出来の悪い小説でしたがワープロを使うと書き直しが自由自在というのがとても気に入りました。というのも、素人の悲しさ私の場合一度できちんと書けないため、せっかく書いても推敲するとぐじゃぐじゃになってしまうのです。仕方なく原稿用紙を切り貼りしたり、最初から書き直したりすることがけっこう心理的に負担だったのですが、話ワープロだとそれが簡単にできる。このことがかなり大きいかったと思います。
 ちなみに私は当時から今に至るも「日本語入力」なのですが、これはたとえば「私」と打つとき「わたし」ではなく「WATASI」と頭の中で変換しているとその間にせっかくのイメージが消えてしまうためでです。そして、どんなにへたな小説でも、私は、イメージなくしては書くことはできません。なお、WD-A330は20000字までしか内部記憶ができず、2000字を越えると一度フロッピーディスクに移して内部を空にしなければならないというシロモノだったので、長編の場合、「区切り」が大変でした。
 どうでもいいような話が長くなりました。
 ともかくそんなわけで20000字の範囲内でいくつか思いつくままに短編や雑文を書いたのですが、そうそうアイデアが出るわけでもなし、体質が多分長編に向いているのでしょう、なんとなく物足りなさを感じるようになったわけです。そこで、「よーし」と2000字になるたびにFDに保存しながら最初に書いた長編がこの「陽炎(かげろう)TAKE2」です。なんと、なんと、恋愛小説です(^^;。久しぶりの長編ということもあり、書くこと自体がたのしく、あまりしっかりした構成も考えず思いつくままにどんどん書いていき、書き終えて「あれれー、これはもしかしたら恋愛小説ではないか」と驚いた記憶があります。なぜこういうものを書いたのか、もう20年も前のことなので全く覚えていません(ちなみに、私が書いた恋愛小説は、この長編のほかには短編が二つほどあるだけです)。
 その後、パソコンに移行するにあたって各種ワープロの文書を読み込める機能があるFUJITU-OASYSを持っている友人宅に行き、テキスト変換してもらいました。ところが、どういうわけかある部分が突然文字化けしていたりということもあり、気がついたところは適当に直しておいたのですが思い出せない部分は残念ながらカットしてしまいました。今回の分載にあたりざっと見直してみたが見落としがあるかもしれません。読んでみようという奇特な人は万一文字化けを見つけたら怒ることなく想像力を働かせて読み進めていってください。
 ところで、読んでいただければわかるように、恋愛小説とはいっても、まあ普通の恋愛小説はかなり違っているのも事実である。ミステリとして読んでいただいても、ファンタジーとして読んでいただいてもOK。読む人の自由でです。
 くどいようですが、久しぶりに書いた長編小説ということもありちょっと堅いし、展開はぎこちなく、古くさい部分も多くあります。今回のアップにあたってざっと読み直してみたら、ここはもう少し違う書き方があっただろうとか、説明不足でわかりにくいとか、ここの展開は無理があって下手だなあと思ったりしたところがずいぶんありました。それでも、これはやはり私にとって思い出の作品であり、バックアップしておく価値は十分にあると思っています。
 時代は移り、昨今、こうした形式の恋愛小説あるいは映画がそれなりに話題になったりしています。そして、(読んではいないがそうした作品は、ずっとうまく書かれているのだろうと思うのですが)下手は下手なりに、20年近くも前にこういうものを書いていたということは、私の密かな自慢でもあるわけです。(^o^)

『幻影の過去』
 今回かなりの長期に渡ってアップしていく作品はこのブログの当初からの方針通り「保管」目的のものである。単なる下書きであり、しかも長いものなので、読まないほうがいいことをまずお断りしておきたい。
 20年も前に書いた、それも草稿(下書き)などというものは、第三者にとってまず何の価値もないと断言していい。書いた本人の私が言うのだからこんな確かなことはない。
 では、なぜそんな価値のないものをわざわざアップするのか。
 言うまでもなく2007年末のパソコンのクラッシュである(2009年にも修理した同じパソコンがまたまたクラッシュして、ついに廃棄処分となった)。ノートパソコン本体とバックアップのハードディスクが同時にクラッシュするとは全く予想もしていなかった。確率としてはそれこそ1万分の1かそれ以下だと思う。しかし(原発でしばしば事故が起こるように)全くないということではない。それが起こったのである。幸い外付けのバックアップHDのデータは復旧できたものの、ノートパソコンのデータは復旧できず初期化(イニシャライズ)せざるを得なかった。つまり、ノートパソコンのデータはすべて永久に失われてしまったのである。
 デジタル時代の宿命とはいえ、恐ろしいことである。
 そんなとき、「助かった」と思ったのが、このブログの存在である。ブログを立ち上げるとき「HDクラッシュ時の危険分散のための雑文や小説などの置き場です」という位置づけはあったものの、それが本当に役に立つとは思っていなかっただけに実にありがたかった。と同時に思い出したのが、この「邂逅三部作」の存在である。もう20年も前にシャープのワープロ「書院」(昔、ワードプロセッサーというものがあったのです)で書いたものである。ワープロを買ったうれしさで、ラストのイメージだけはあったがとりあえず下書きのつもりで適当に書き進んでいったらとてつもなく長いものになってしまった。その長さには自分でも驚いたくらいで、400字詰め原稿用紙に換算したらおそらく1200枚はあると思う。もちろん私の書いた最長の小説である。サラリーマンをやりながら、暇を見つけてはコツコツと書いていたのだから、よほど暇もあったのだろうが、気力と体力もあったのだと思われる。なんせ、20年前ですから。
 が、完成直後に読み直してみると(ざっとですが、一度だけ読み直してみたのです)話に矛盾があったり、展開に無理があったり、登場人物の性格が不明確だったり、下書きならでは(!)の不備が気になった。「これはきちんと書き直さないといけないな」とは思ったものの、やっと完成してそこから解放されたいという気持ちが強く、すぐに取りかかる気にはなれない。それに、なんといっても1200枚もある。下書きとはいっても1年近くはかかっているのだから、少なくとも2〜3か月は期間集中して推敲することを覚悟しなければならないだろう。その覚悟がなかなか定まらないうちに1年たち2年たち……ワープロはすっかり過去の遺物となり、世はパソコンの時代に突入してしまった。
 大変なことになった。
 ワープロは(今のウインドウズとかマック、あるいはリナックスなどのような)とくに統一規格のようなものはなく各社が勝手に作ったOSで動いているので、たとえばシャープのワープロで作成したデータは、そのままではNECや富士通のワープロでは読めない。もちろん、パソコンでも読めない。もしかしてこの作品が読めなくなってしまうかもしれない。下書きとはいえ、これはある意味衝撃だった。幸い知り合いが富士通のOASISというワープロを持っていて私の「書院」より新しい機種だけあって各社のワープロデータをMS-DOS(ウインドウズの前のマイクロソフトのOS)テキストに変換できるという最小限の互換性機能をもっていることがわかった。大急ぎで彼の家に行き、テキスト変換してフロッピーディスク(というディスクが昔あったのです)に保存した。
 それから十数年(きみまろかっ!)。
 とまれ、ブログにアップされていなかったもののフロッピーディスクに保存されていたために「邂逅三部作」はパソコンクラッシュという大惨事での消失を免れた。
 とはいえ、私自身、フロッピーディスクの読み込み・書き込み不能を何度も経験している。フロッピーディスクの時代を経験した人ならフロッピーディスクというものがいかに保存に適さないものか知っているはずである(腹立ち紛れに読み込み不能になったフロッピーディスクを分解したことがあるが、あんなペナペナなものに保存するということ自体が間違っている)。そもそも、最近のパソコンにはフロッピーディスクのドライブなんぞはついておらず、ドライブがついているのは我が家に数台あるMACでも最も古いPM7500という機種だけである。しかも、そのPM7500の調子が最近悪い。時々、立ち上がらないことがあるのだ。恐ろしいことである。
 今回、バードディスクに取り込み初めの部分を少し読んでみた。上に書いたような下書きならではの欠点に加え、全体の筋道が決まっていないためどう進めていこうかというぎこちなさがまず気になった。さらにゲノムがES細胞だIPS細胞だという時代になり人型ロボットもかなり現実になりつつ今となってはとくに科学的な部分で書かれていること自体がやや、いやかなり時代遅れであることも否めない。そうした部分を手直しするのは、はっきり言って不可能である。それなら別の小説を書いたほうがはるかに簡単だし早い。が、そのエネルギーも時間も今はもうない。
 今後、何か書くことがあったとしても、おそらくこの下書きを完成させようということはないだろう。書くのなら根本のテーマをふまえて別の話を書くことになると思う。それでもこの下書きの生みの親として、消滅の危機からは守りたいとという気持ちは昨年末のクラッシュ以来強くなっている。個人の記録として自分のブログに保存するのにとやかく言われる筋合いはない。
 「邂逅」は三部に分かれ、1部「幻影の過去」、第2部「迷走の現在」、第3部「茫漠の未来」からなる。果して一人でも読む人がいるのかどうかはなはだ疑問だが、私にとっては思い出のある作品であり「保管」という本来の目的からもアップしておく。
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埼玉日々気まぐれ日記:2020年4月 [埼玉特派員より KS]

※なぜかコメントへのリプライがうまく表示されませんので、ここで。
KS様より Wildboarさんへ。感染者:知多市22人(人口43,000人:0.5人/1000人)、さいたま市129人(人口1,314,000人:0.1人/1000人)。知多市びっくりです。感染者比率はさいたま市に比べ約5倍ですねえ。どうして?
>埼玉は東京のベッドタウンとして人口が増えたのでインフラなども十分ではなく、東京以上に検査ができていないのだと思います。知多は人口も少ないのでそれなりに検査が出来ているのでは。いずれにしても、専門家委員会が、検査数を抑えているので医療崩壊が起きていない、なんてバカなことを言っている国ですから実際の感染者数は発表されている何倍もあると考えるのが合理的でしょう。「大本営発表」を真に受けちゃだめですよ。
JUNKO様より さすがに家の中ではマスクはしていませんから、出かけるときうっかり忘れて何度も戻ります。余分に携行する癖をつけないと街中では買えないので困ります。
>我が家は母子が花粉症のためマスクは常時備えてあるのですが、私はよく忘れます。家族で出かけるときは、母子のマスク姿を見て慌てて取りにというのは毎度のことです。(^^;

 昨日は、久しぶりに恵比寿の事務所に行き、書類など必要なものをいくつか持ち帰って来ました。いやあ、重かった、そして暑かった。で、気がつけばいつの間にかもう5月。今日の最高気温予想は昨日は24℃と出ていたのに今朝になったらいつの間にか26℃。おいおい、5月になった途端、夏日じゃないかヨ。[ふらふら]

 5月になりました。
 月がかわると、恒例、KSさんの「気まぐれ日記」。埼玉にもずいぶん慣れてきたようで、なにより。ただ、コロナに対する認識がちょっと甘いのは気になります。まあ、インフルのほうが怖いとコロナを楽観視するのは勝手ですが、くれぐれも感染源にならないよう注意してくださいよー。
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 新型コロナウィルスはなかなか治まりません。週に半分ほどはウォーキングというか散歩というか運動しに近場を歩いています。すれ違う人は少なくなりましたが、皆さんマスクを着けておられます。自分も最近はマスクをかけるよう心がけています。

4月1日(水)
 少し雨が降っていたがのんびりと歩いた。「白幡緑道」の桜は散り始め緑葉が目立ってきた。歩数は3720歩。

4月2日(木)
 今日はいい天気だったが風が強かった。歩いて10分くらいのところに小さな川(笹目川)が流れていて、流れに沿ってゆったりと散策した。結構手入れされており、また桜並木が有って気持ちのいい所である。桜は満開は過ぎているがきれいだった。何枚か写真を撮った。ちらほらと同じように散策されている人がいた。本日の歩数は5480歩。
 政府は布製のマスク2枚を全家庭に送ると言っていた。何世帯あるのか知らないが(5200万世帯とインターネットには載っていた)、かかる費用は50憶円とも200億円とも。2か月くらい前に菅が「マスクはたっぷり用意しているので心配ご無用」と言っていたが、全くのうそで適当に答弁していたのがよく分かる、いまだに店でマスクは売られていない。コロナ騒ぎのために職を失い、店は客が入らず、金欠の人があぶれている、その対処として現金をそういう人に援助するのが喫緊のことであるにもかかわらず、安倍政権はもたもたしている。

4月3日(金)
 今日のウォーキング歩数は3940歩。久し振りにパソコンで映画を観た。「父と息子の地下アイドル」。アイドルには全く興味を持たないが、松重豊が主人公であり最後まで観てしまった。ほのかな印象だった。めずらしいことだ。

4月4日(土)
 今日もいい天気だった。一日中競馬観戦、善戦はしたが最終的には負け。スポーツ新聞購入のためにコンビニに行ったのみで、歩数は820歩。
 コロナウィルスの感染者はどんどん増えているが、死亡者数はあまり増えていない。毎年流行っているインフルエンザ(昨年で3325人死亡)より桁違いの少なさ。日本はPCR検査を制限しているためコロナ感染者数が世界に比べ低いのは理解するが、死亡者が極端に少ないことはどういうことなんだろう。

4月5日(日)
 今日の競馬は完敗。欲張って掛け金をアップしてしまったが、こういう時はまあ負け。だが掛け金を増やすということは一種の興奮と満足感が感じられる。懐具合でそこそこ楽しめれば良い。若かりし頃は大きな成果を求めて大損していた。今は仙人みたいな心境のような気がする。今日は例外だがここずーっと少ない金額で勝ち馬投票を楽しんでいる。これが自分には正解なのだろう。今日の歩数790歩。

4月6日(月)
 歯医者で入れ歯の修理。
 今日もいい天気だ。知多の叔母さんに今月25日の祠堂施餓鬼の件電話をした。叔母さんも出てくれるとのこと。お墓の花は用意してくれる。お金を払わねばいけない。ありがたいことだ。コロナインフルエンザ緊急事態宣言が明日発令されるとニュースで言っていた。知多に行くのは25日だが行くのはやめたほうがいいのかもしれない。カミサンからやめたほうがいいと言われた。今日の歩数は3000歩。

4月7日(火)
 「白幡緑道」の桜はかなり散って緑葉が多くなってきた。ウォーキングの後にスーパーに寄ったが、トイレットペーパーとインスタントラーメンが無くなっていた。どういう民衆心理か分からないが困ったものだ。食料等十分供給されるとしきりに報道されているのに、世の中せっかちな人が多いようだ。我が家がのろいのかもしれないが。歩数5630歩。知多の祠堂施餓鬼は欠席する旨叔母さんに連絡した。

4月8日(水)
 知多市役所から固定資産税、都市計画税の請求書が届いた。土地建物の遺産相続で兄弟、従弟がそれぞれ法定相続し登記をしたのだが、4名連名の請求書が私に届いた。早速代表で支払処理をしてきた。弟、従弟には負担分を送金するよう連絡した。いつ売れるのだろう? 銀行はすいていた。その足で少しウォーキングと買い出し。今日の歩数は4460歩。

4月9日(木)
 内科検診。血圧137、78で問題なし、その他変わらず。血液採取、来月結果が出る。Ha1c値がどうでるか。
 政府が各家庭に配る布マスクは466憶円かかると報道されていた。それよりも普通のマスクを何とかしてくれ。自分は1枚しか持っていなく、内科に行く時だけマスクをして内科から出たらバッグにしまって普段はマスクをかけていない。見かける人はほとんどがマスクをかけているが、いっぱい持っているんだねえ、どうして? 今日の歩数は4840歩。

4月10日(金)
 今日は南浦和まで歩いた。片道約30分。人通りは少なかった。帰りにスーパーに寄って買い物。歩数5720歩。寒くもなく暑くもないいい天気だった。
 東京都はコロナ感染者が急増し受け入れ病院が間に合わなくあたふたしているということが報道されている。確か医療崩壊しないような対策が必要だとずいぶん前から言われていたと思うし、世界のひどい状況もかなり前から報道されていたはず。都もそうだが政府は何をしていたのか。歯医者も行かないほうがいいとカミサンが言っていた。来週予約を取ってあるがキャンセルしよう。

4月11日(土)
 講道館、剣道連盟いいかげんだなあ。どちらもくっつきあっての練習であり、コロナが感染する危険性は高く、自重していなかったそうだ。今日の競馬はそこそこ当たったが最終的にはちゃらだった。面白かった。今日の歩数780歩。

4月12日(日)
 今日も朝から競馬三昧。そこそこ頑張ったが負け。クラシック「桜花賞」は、かすった。歩数920歩。コロナのことはすっかり忘れていた。
 インフルエンザほど蔓延しないようで自分はそれほど心配はしていないが、政府も県も対応遅れで医療崩壊の確立が高いと言われている。政府は何を予測して何を対応していたのだろうか。医師会も何をやっていたのか。マスク、防護服が全く間に合っていないと大騒ぎしている。なんとかなると、のほほんとあぐらをかいていたように思える。

4月13日(月)
 朝から雨降り。スーパーに傘さしての少しの買い物。朝食に食べるウィンナが丁度切れてしまったため。今日は一日中雨降りとのこと。
 新型コロナウィルスはインフルエンザに比べて死亡者数が二桁違いで少ない。なぜにこんなに大騒ぎするのか?と、ある科学者がYouTubeで言っていた。自分は糖尿病の持病者だからコロナに感染したら致死率は相当高いのだろう。だがインフルエンザに罹ったらどうなんだ?コロナより罹る比率ははるかに高く致死率も高いインフルエンザのほうが恐ろしいと思えるが。去年まで8年間愛知県知多市で一人で生活していてインフルエンザどころか風邪に罹ったことが無かったゆえインフルエンザの恐ろしさを全然知らない。ものすごく多くの人が死んでいたとは。
 安倍政府の108兆円緊急経済対策費用。コロナ危機に対する実質真水は10.6兆円そこそこ(GDPの2%。アメリカ、西欧諸国はおおむね10%。なんと汚い血も涙もない財務省根性の日本政府。実質は2%だということを隠して20%だと言っている。)だとYouTubeに載っていた。Go Toキャンペーン、レアメタル備蓄、5G設備を促進する金融支援等々緊急対策とは関係ない費用がほとんどの108兆円。よう言うよ。どういう考え方の政府人。理解しがたい。まさに非人道的な宇宙人のような気がする。日本人じゃあないのかもしれない。
 コロナに罹らないように気を付けてはいるが、本心それほど心配はしていない。あまり深く物事を心配しない性格で、生まれながらであるゆえしょうがないが、カミサンは厳しい。安倍の阿保と言っている。徹底的に嫌っているようだ。声高々に当方に言い寄ってくる。
 ティバーでテレビドラマ「ワカコ酒5」を観た。このドラマは酒飲みの女性が色々と飲み食べ歩く番組で、シリーズ1から見ている。今回はシリーズの5だが、ちょっと大げさな描写が気になった。接近大写し描写。自然体が基本のドラマにしてもらいたい。

4月14日(火) 
 日課のウォーキングは1時間15分、歩数で6200歩。「白幡緑道」の桜は散って緑葉が茂っていた。池の前には老人がいつものようにたむろしていた。接近して語り合っているがコロナ怖くないのだろうか。

4月15日(水)
 日課のウォーキング、約1時間で歩数5490歩。暑いくらいだった。笹目川の桜はほとんど散っていた。
 新型コロナウィルスは人から物へ、物から人へと感染するのだそうだ。人から人へも感染するが、一番多いのは物からだそうだ。ウィルスは物の上で何日(5日ほど)も生きている。郵便物、宅急便も、スーパーの食品の包装紙にも付着していると考えるべし。ウィルスに感染している人がつかんだパンの袋が戻されているかもしれない、それを次の人がつかめばもろにその人の手にうつる。買ってきた食パンを袋を破って食べると、袋を破る段階でウィルスが手につき、その手からパンにウィルスがうつり、パンを持って食べる、パンにも手にもウィルスがついていて、ウィルスが口の中に入る。防御するのは並大抵のことではない。単に人と人の接触を失くせばいいという次元ではない。ということを或る科学者が言っていた。8割人と人の接触を減らせばウィルスの感染は極端に減るなんていうことは信じられなくなる。公共トイレなど最も危険な場所だそうだ。壁にも天井にも床にも便器周りにもそこら中にウィルスがついていると考えるべきだそうだ。外ではトイレは使うものじゃあない。72歳である自分は感染したら死ぬ確率が非常に高い。外から帰ってきたときは洗剤で手をしっかり洗い、また食事をする前にも必ずしっかりと手を洗うことを心がけよう。

4月16日(木)
 「白幡緑道」経由のウォーキング。池辺には相変わらず年寄り連中が7,8人たむろしてだべっていた。カミサンからの指示で外出スタートからマスク着用。気温はいくらか上がっているためメガネがくもることは無かった。今日の歩数は5710歩。
医療崩壊に近く全国あたふたしているが、原因は医療用マスクとガウンが不足だとのこと。コロナで騒ぎだして2か月以上が経つが、政府も地方自治体も医学会も病院もその間何をしていたのかいなと思う。テレビで現在マスクの材料が60倍の価格にあがっていると報道されていた。

4月17日(金)
 今日のウォーキングは1時間10分、歩数6990歩。疲れた。ずーっとマスクをして歩いたが、マスクをすると疲れる気がする。
 コロナ騒ぎの緊急支援として国民一人当たり10万円支給が決まったようだが、手元に配られるのは5月中は無理なようだ。いかにも「戦争の党(公明党)」が要求して決まったように報道しているが、はるか以前に自民党の若手議員含めいろんな人が提案、要求していたことだ。世界中が緊急支援として現金支給を決め既に配られている状況なのに、安倍はやっと対応したということか。

4月18日(土)
 朝から雨降り。コンビニにスポーツ新聞を買いに行ったが、東京スポーツは無かった。東京中日スポーツを買ってきたが、競馬欄は貧弱なものだった。今日の競馬はいくらか当たったが負け。中山大障害では2番人気のシングンマイケルが最終障害で落馬してそのまま息を引き取ったそうだが、落馬した瞬間を観ていた。かわいそうに、合掌。今日の中山競馬は雨風が強くひょっとしたら以前大雪で途中開催中止になったように中止になってしまうのではなかろうかと心配したが、なんとか無事に全レース終了。
 雨はやんで夕方晴れてきた。歩数800歩。日本のコロナウィルス感染者数が1万人を超えたそうだ。だが死者数は223人。なぜ日本人の死者数は少ないのか。世界のコロナ死者数は15万4000人。

4月19日(日)
 スポーツ新聞買いがてらスーパーマーケットに買い物。東スポは無くなってしまったのか今日も売り出されていなかった。慣れない不便なスポーツ競馬新聞。皐月賞は結構いい線行くと思って買い目を多くしたが、完敗。やはり、欲を出すとダメなようだ。歩数1370歩。

4月20日(月)
 朝から雨降りでどこにも出かけなかった。

4月21日(火)
 久し振りに「花と緑の散歩道(この道は武蔵浦和駅から別所沼公園へと続く散歩道)」を散策してきた。人通りはあまり多いとは感じなかったが少なくもなかった。急ぐこともなくゆったりとした気分で時々写真を撮りながら歩いた。家から往復約1時間20分の散策で歩数6770歩だった。3日振りの外出で少し疲れたが気分は爽快だった。
 面白い興味ある意見が気になった。あくまで一参考意見として聞いたが、面白い。
 今回の新型コロナウィルスは中国の武漢細菌研究所から誤って実験動物を介して漏れたものである。中国共産党はアメリカとロシアの核戦力に対して対抗できる武器の一つとして細菌戦略を研究しており、その過程での一失敗であると。アメリカは日本に対して核爆弾を2発も投下して一般人民を大量殺害したが、それは戦争を早期に終わらせるためだったと言っている。全てアメリカだけの利益のために過ぎないが。過去アメリカは世界を色々な残虐な戦略で人を殺し自国の利益の為に各国を牛耳ってきた。中国共産党はアメリカに巻き返すべく軍備を増強し、かつ経済戦略でアフリカを配下に置きイタリアを始めヨーロッパをまで配下に置くべき戦略を展開中である。その中での一戦略が細菌武器。その一環の中の一ハプニングが今回の新型コロナウィルスだと。ヨーロッパの国々も、アメリカもロシアも、大国と言われていた時代は自国のためにやりたい放題のことを弱者に対して行ってきた歴史。中国共産党がやりたい放題にしたいと思い色々と知恵を絞り画策してくることは十分あり得るし、現実展開中だと思う。金の亡者の日本企業は中国共産党にいいようにされてしまう気がする。経済界、政界上層部のかなりの人間はすでに中国共産党に買収され、さからえない状況になっているという意見を聞く。大学の教授連中にも小中学校高校の先生、文科省教科書検定委員にまで共産主義思想が浸透していると言っている人の意見を聞く。今はやりのテレワークのZoomは中国共産党に情報が筒抜けであり既にアメリカもドイツも使用禁止にしていると聞く。
 この記述は少ない情報からのあさはかなネトウヨなのかもしれないが、単なるうわさであることを願いたい。よう、わからない、これから日本はどうなっていくのだろうか。

4月22日(水)
 今日はいつもの「白幡緑道」経由の散策。約1時間で歩数は5510歩。明日はどこを歩こうか。最近は土日以外はウォーキングというか散歩を約1時間行っている。コロナが治まればスポーツジムに行ってプールのウォーキングをするのだが、ここ随分とご無沙汰。散歩をしながらコンデジで写真を撮っているが今日は撮らなかった。
 土日以外はウォーキング、インターネット(YouTube、Yahooの主にニュースと麻雀番組)、たまに映画を観ることで1日が暮れる。テレビもほとんどがニュースで、あちゃらけ番組は全く興味がなく観ない。
 「アニマルボイス」「Wildboar」「Junko」さんの3つのブログは毎日見ている。ほんのたまに投稿する。夜はおおよそ10時半に就寝、朝は5時頃に起床。朝飯は自分で作って食べるが、昼はほとんどカミサンが作ってくれる、晩飯は毎日カミサンだより。ありがたいことだ。知多の時は朝昼晩全て自分でいい加減な食事生活だった。
 同人誌「山波」の越智大二さん「迷走老人の戯れ言」読む。色々な人との付き合い、色々な人がいる。それにしてもこんな医者がいるんだと書かれていたが、あきれた。また、家のバリアフリー工事で、こんな業者がいるんだということが書かれていたが、世の中こういう業者も生きていけるんだ、ということが書かれていた。腹の中煮えくり返りながらも冷静に描写されていた。越智さん観察眼鋭いなあ。面白かった。

4月23日(木)
 朝のウォーキングは約1時間。帰りにスーパーに寄って買い物。少し買い物客で混んでいた。歩数5550歩。昼は稲荷ずしと巻きずしの簡単なもの。カミサンから言われていた浴室の壁掃除。あまり汚れていなかった。
 「山波」に花田吾一さんが投稿されていた。2点も。1点はサロベツどたばた取材キャンプ。取材状況が丁寧に書かれていて興味深く読んだ。原野での観察は大変だなあ。知らないことばかりで面白かった。もう1点は花田さん本人のガン闘病記。話は以前によく聞いていたが、こうやって文字で記述されると、より詳細に当時のことが理解できた。息子さんのことも記載されていたが、ほぼ同時期だったんだ。
 自分も以前は小説を書いていたが、今は全く書く意欲が無い、というより下手であることを知ったために書く気がしない。せいぜいこの気まぐれ日記をつけるくらいがやっとということかな。楽しんで書いているこの日記いつまで続けられることやら。

4月24日(金)
 今日は一日中家の中。外には集合郵便受けへの毎朝の新聞取り込みのみ(朝刊だけ頼んでいる)。外出は控えた。

4月25日(土)
 今日買ったスポーツ新聞は「日刊スポーツ」。どうも「東京スポーツ」は無くなったようだ(東京中日スポーツは有るが競馬ページの表示が全然違って不親切でややこしい)。「日刊スポーツ」は見やすかった。本日の成績は少しのプラスだった。残念だったのは福島1レースで3番の馬が勝ったのだが、購入していた馬券は複勝のみ。単勝は万馬券110.1倍だった。複勝は17.1倍。今日の競馬開催は東京、福島、京都の3場だったが、単勝万馬券が5レースも出た。新記録だそうだ。その内の1レースの単勝が買えなかったのは本当に残念。中央競馬女性騎手の藤田菜七子氏(22歳)が中央競馬100勝を達成した。テレビでスタートから観ていた。ゴールは楽勝で思わず拍手していた。
 今日の歩数は940歩。明日もウォーキングしない予定。カミサンからあまり出歩かないようにと言われている。今日からゴールデンウィークだが毎日が日曜日の自分、ピンとこない。子供のいる家庭は大変だなあ。ステイホームウィークだそうだ。本当に効果あるのかいな?

4月26日(日)
 「東スポ」有った。ここ2週間ほど見えなかったがなぜなのか。やはりスポーツ新聞の競馬欄は「東スポ」が一番見やすく丁寧で親切だ。今日の競馬は善戦した。少しの勝ちだったが、相変わらずWin5は当たらない。Win5はもうそろそろやめたほうがいいのかもしれない。毎週日曜日にWin5が有り、それに500円を投入しているが、当たる気はまるでしない。朝9時から夕方まで一日中テレビ独占で競馬三昧。カミサンは容認してくれている。ありがたいことだ。
 YouTube情報でいろんなことが報道されている。今見ていたのは親中派議員が何を工作して日本を貶めようとしているか・・・。あらゆることに中国は日本に着々と侵入してきており、政府も大学も操られているそうだ。国会議員などほとんどの人間が中国様様の状態だと、二階、菅、公明党(創価学会)。信じたくないが。中国人は自分で発明・発見が不得手でほとんど他人、他国の技術を盗んで発展してきた、と言っていた。過去イギリスを始めヨーロッパ各国が世界を侵略し、次はアメリカ、ソ連、そして今度は中国。人間は独占欲のかたまりだなと思える世界史の繰り返し、弱肉強食の世界、永久に変わらないのかもしれない。

4月27日(月)
 預金通帳の出入金の記載を確認しようと思って駅近くのATMに行ったのだが、利用者が多く並んでいたため後日にすることにした。ゴールデンウィークなので混んでいたのか。駅近くをぐるっと回って帰ってきた。1時間ちょいのウォーキングで歩数は5670歩。ここしばらくは外に出ないほうが良いとカミサンから言われた。家の中で少し運動することを考えなければ。
 知多に住んでいたころは色々と競馬のデータ、家計簿等をExcelで記録、分析等を行っていたが、PCの不具合でExcelが使えなくなり、データが全て消えてしまった。以来Excelは使わなくなった。新規購入したPCでExcelは使っていない。データを取ることへの興味が全く無くなってしまった。競馬のWin5を購入しているのはExcelを使っていたころのデータに基づいて購入している。データはWin5が始まってからの全てのデータだったのだが、残念ながら突然消えてしまった。

4月28日(火)
 集合郵便受けに朝刊を取りに行っただけの外出で、一日中家の中にいた。午後にカミサンから言われてベランダの水洗いをしたが、途中から腰が痛くなってき、ほぼギブアップ。それを見越したのかカミサンが引継ぎ完了した。2歳年下のカミサンには負ける。
 ティバーで「わかこ酒5」4話を観た。うまそうに酒を飲み料理を食べており、うらやましいかぎり。更に「仁—完結編」1も載っていたため観た。随分前に知多生活をしていた頃に観た記憶が有る。感動した。涙が止まらなかった。ところどころ記憶に有ったがほとんどは覚えていなく新鮮だった。続き(10話まで)を忘れないように観たい。

4月29日(火)
 今日は祭日「みどりの日」昔の天皇誕生日。競馬の天皇賞が開催されていた。毎日が日曜日の自分には普段の日と変わらない。
 朝ドラ「エール」は漫画だが面白くなってきた。ちょっと冗談多すぎやしないかとも思うが。
 ウォーキングがてらスーパーに買い物、歩数5750歩。ここずーっと行きかう人は少ないがほとんどの人がマスクをしている。マスクが店頭から消えて久しいが、どうして皆さんマスクを持っているのか。我が家はほぼ切れそうで、カミサンも出かけるときはマスクをかけるが3〜4日毎くらいに変えていると言っている。自分もそれに倣っている。アベノマスクはまだ来ていないが、どうしてオープンな行政が出来ないのだろうか。マスク発注したのは4社だと言いそのうち3社しか公表せず、突っ込まれて答えたのは実は5社だったとか。本当に透明性のない行政だ。国会でアベノマスクの質問を野党国会議員がし、総理大臣が答えている、全く時間の浪費である。

4月30日(木)
 4月も今日でお終い。月日が経つのは早いものだ。今日も一日中家の中。いくつかPCでビデオを観た。岡林信康の日比谷音楽会は楽しかった。「山谷ブルース」「流れ者」は知っていたが「チューリップのアップリケ」は良かった。
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