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憲法記念日でーす(^^)/ [映画・文学・音楽]

 いろいろ書きたいこともあって、忘れていました。
 「JIN-仁-」の再放送、いよいよ今日が最終日ですねえ。途中、ちょっとだれるところもありましたが、ラストの締めくくりは本当にうまかった。もう一度、見てみます。
→ただ今、見終わりました。改めて見たわけですが、ラストは本当にうまく締めくくられていました。座布団10枚[わーい(嬉しい顔)]
↓関西地方は遅れて始まったようなので、まだ完結していないかな? 東海地方はどうなんだろう? 少し前の私の感想下の方にいってしまったので、もう一度貼付けておきます。最後の「完」の文字がなんとも清々しい。(^^)/
https://animalvoice.blog.ss-blog.jp/2020-04-23

 今日5/3は憲法記念日
 しかし、世の中、コロナ騒ぎのせいもあり、あまり話題にのぼっていません。ただし、このどさくさに憲法を改悪しようなんて言い出している自民党議員もいるようで、そのほうがよほど怖いかも。既成の法律で運用できないのか、なぜ憲法に明記する必要があるのか、そのあたりの説明もなしに可否を問うアンケートとるのは含むところでもあるんでしょうか。そういえば、先日の安倍の、朝日もマスクを売っている発言(実際には故郷創世で滋賀の企業が作っているマスクをメーカー希望価格通り売る窓口というだけで、税金を使ってほとんど効果のないマスクを2枚配るというカビノマスクことアベノマスクとはなんら関係がない)を垂れ流したことといい、最近の毎日新聞かなり頭がおかしくなっているのかもしれません。
https://mainichi.jp/articles/20200502/k00/00m/010/188000c
 ところで、憲法記念日ということもあり、こういうアンケートに答える人の何%くらいが日本国憲法を読んでいるんだろうと思ったりもします。改悪に賛成にしろ反対にしろ読んでもいないのに(とりあえず理解云々は求めていない)賛成・反対を叫ぶのはどう考えてもおかしいでしょう。ものの1時間もあれば全文が読めるはず。こういう日だからこそ、一度、憲法条文を読んでみたら、と言っておきましょう。
↓東京新聞の社説
https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2020050302000090.html
↓朝日新聞の社説
https://www.asahi.com/articles/DA3S14464589.html?iref=comtop_shasetsu_01

 自粛自警団、自粛警察なんてのがあちこちの店舗に貼り紙したりしているなんてニュースも流れています。が、自粛はあくまで自粛、個々人の判断でやればいいことで、何ら非難されることでもない。しかし、店舗を非難する貼り紙行為は明らかに犯罪。警察はこういう犯罪行為こそきっちり取り締まる必要があるのですが、なぜか動きが鈍いですなあ。

 なんとなくお上に逆らう輩は非国民的な雰囲気が蔓延してきているような気がします。私としては、コロナよりそっちのほうが何倍も怖い。無能無策後手後手のデンデン安倍ちゃんのおかげで?暇が有り余るほどできたので、久しぶりに「西部戦線異常なし」を見てみました。こういう歴史的な名作は安倍ちゃん夫妻や麻生くん、小池口だけおばさんらにこそ見てもらいたいのですが、まあ120%見ないだろうなあ。
 以下は、もう6年も前にこのブログに再録したもの。元は「現在迷走中」という今はなくなってしまった(プロバイダの)ブログに書いたものに若干加筆したものである。

西部戦線.jpg
映画史に残る名作「西部戦線異常なし」
 原作はレマルク。
 私は高校時代にこのルポルタージュ日記風の小説を読んだがあまり感心しなかった。が、映画はその一万倍もおもしろい傑作だった。見たのは名古屋の名宝会館内のスカラ座。あまりのすばらしさに映画が終わってもすぐには立ちたくない心境だった。この映画については、以前こんなことを書いている。

「(戦争映画があまり好きではない)私が唯一名作と認める戦争映画の例外中の例外がある。ルイス・マイルストン監督の『西部戦線異常なし』だ。アカデミー賞をとったのは当然で、これは、戦争映画という枠組みを超えた「映画」として掛け値なしの映画史に残る名作である。未見の人は、レンタルビデオでもいいから、ぜひ見て欲しい。教師が演説している教室の場面をずっと引いていくと外では出征兵士を送り出すパレードが行われているとか、靴の主が銃弾に倒れて次々と変わっていくカットつなぎ、ラスト、蝶を採ろうとした主人公が銃弾に倒れ十字架が並ぶ画面にオーバーラップしながら不安そうな何かに怯えたような表情をしながら振り向きながら去って行くシーンなどは、おそらく映画史に残る名シーンだと思う。

 そのほかにも、印象に残るシーンはいくつもある。たとえば反射的に刺し殺してしまったフランス兵のポケットから穏やかな顔をして家族で写っている写真が出てくるシーンも、戦う相手も決して鬼畜などではなく自分と同じ人間なのだとわからせて見事。どこかの首相のように「ああいう人は」と、敵・身方と分断する狂気の思想はない。主人公が一時的に故郷に帰ってくると、学校では昔の教師があいかわらず生徒に銃をとれ!と演説しているシーンがある。この教師も怖いが、その言葉を信じて、銃をとらない奴は非国民だと断ずる生徒もまた怖い。戦前の(あえて「今の」とは言わない)日本のように、国全体がおかしくなっているのだ。戦場から戻ると兵士の数は半分になっており、有り余った食事で久しぶりに満腹になるというシーンも皮肉が効いている。等々、書き出したら切りがない。

 が、私が『西部戦線異常なし』は名作だ、と言うのはそういう(所謂反戦的)場面があるからというだけではない。実は、これほど迫力のある戦争シーンを他の映画で見たことがないのである。初めて見たのは名古屋のスカラ座という映画館でのリバイバル上映だったが、塹壕で待機していていよいよ敵が攻めてくる場面の迫力たるや思わず体に震えが来たほどである。それほど迫力があり、それほど(第一次世界大戦の映画なのに)現実感があるということなのだろう。二回にわたって行われる戦争シーンを見るだけでも映画の力というものを感じさせる、文句無しの名画である。逆に、生々しい戦争というものを映画が扱う場合、この『西部戦線異常なし』くらいの名作の域に達していないと現実の重みに負けて、映画が自立出来ないのだろうと思う。」

 そして、見終わった後には深い感動と言い知れぬ戦争に対する憎悪が残る。言うまでもなく戦争の最大の犠牲者は戦死者である。ラスト近くで戦友も死に、主人公も死んで映画は終わる。1人の人間にとって、死はすべてを失うことだ。しかし、ささしたる戦闘もなかったこの日の前線から本部への連絡は、「西部戦線異常なし」だった。累々たる十字架にオーバーラップして去って行く者たちは、何かを訴えたいように見える。しかし、死んだ者は何も語らない。だから生き残った為政者たちは過去に眼をつぶって、再び威勢のいいことを声高に叫ぶ。この映画の冒頭、ドイツは今や危機的状況にある若者は今こそ銃をとれ、と叫ぶ教師のように。教室内は熱狂の嵐となり、ここで立ち上がらない者は臆病者、祖国に対する裏切り者だといった雰囲気の中、主人公も軍隊に志願するのだが・・・。

 久しぶりに見て、今という時代がまさに同じ閉塞状況の時代であることに気づかされる。
 威勢のいいことを叫べばそれがストレス解消になるわけだ。「集団的自衛権」「原発」「秘密保護法」威勢のいい叫び声ばかりが聞こえてくる。「集団的自衛権」にしても、国を守るのは当たり前だろう、という一言で終り。そこではなぜ今まで法制局は「集団的自衛権」は憲法に抵触するとしてきたのか、なぜこの時期に抵触しないと方向転換したのか、新たな法律を制定しないと国を守れないような状況にあるのか、などといった議論の深まりはほとんどなく、短絡的に、国を守るのは当たり前なのだからそれに反対する者は非国民と言われかねない状況だ。

 しかし、国を守るということは、政府を守ることではなく国民を、国民の生活を守ることだ。
 今回のコロナ対策で無能無策後手後手のあげく出された政策がマスク2枚のデンデン(云々)おっさん。10万円配布が決まったら「欲しい人は手をあげろ」と欲しい人=卑しい人と言わんばかりのセゴ(背後)おっさん。学校休校で遠隔授業をなんて言われているが担当大臣はUSBメモリも知らない。都民ファーストと言いながら自分ファーストでオリンピック延期決定までは責任逃れの雲隠れ、延期が決まったとたん出てきてロックダウンなんて言い出す口だけおばさん。
 こんなのばっかりで本当に国民、都民は守れるのか。本当にこのまま推移していっていいのか。今この時期にこそこの映画を見て考えてほしい。この映画をみたら誰もが嫌でも現在の日本の状況を考えざるを得ないと思う。本当に、このままで大丈夫なのか?

↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=0jN5i2fwv-M
↓全編
http://retrofilms.in/index.php?productID=241
↓淀川長治さんはこんなことを言っています。
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo0028.html

 もう1本今だから見てもらいたい映画ということになれば、「ローマの休日」「スパルタカス」の脚本家ダルトン・トランボが唯一監督した渾身の映画「ジョニーは戦場へ行った」だろう。これも劇場で見たが出てきて周りの景色に色があることにとても感動した記憶がある。この映画についても、かつてこんなことを書いている。

『ジョニーは戦場へ行った』は1939年にトランボ自身が書いた小説。その後、第2次世界大戦や朝鮮戦争が起こるたびに発禁処分になった。まあこういう話を知るとアメリカも決して民主主義のモデル国で言論の自由が保障されているなんてことは幻想であることがわかるのだが、その自身の原作を1971年ベトナム戦争の最中に自身が監督(最初にして最後の監督)して映画化してしまったところに、『生きる』ということの意味を問い続けたトランボの気骨というか執念を感じざるを得ない。実際、私はこの映画を映画館で見たのだが、呆然としたまま見終わってすぐに席を立つ気になれなかった。映画館を出ると平日の昼間で、頭上には青空が広がり、すべてのものに色があるのがとても素晴らしいことのように感じられたものである(映画を見た人だけにわかるように書いている)。生きていることを実感させる、そして生きていることの意味を否応無しに問いかけてくる、とてもいい映画だ。『映画の力』とは、こういうものなのだろう」

↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=K7AFmXc0wK0
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