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記憶に残った「日本春歌考」 [映画・文学・音楽]

 朝から雨でけっこう寒いです。
 ただ、今日は時間ができたので、これから整骨院に行ってこようかと思っています。wildさんに言われている「週2回」を実現するのはなかなか大変です。(^^;

「日本春歌考」☆☆☆

 今は亡き大島渚監督の1967年作品。
 主演は歌手として当時そこそこ売れていた荒木一郎(浪人生にしてはかなり老けている)、ヒロインに田島和子(これもセイラー服というにはちょっと老けている)。そのほかに伊丹一三(あっさり死んでしまう(^^;)、宮本信子、吉田日出子、そして大島のカミサンの小山明子といったところ。音楽は毎度おなじみ林光で、シナリオにはこれも常連の佐々木守が参加している。

 公開当時は18才未満お断り、つまり成人映画で、まだ18才になっていない私は年齢をちょろまかして映画を見に行ったわけだ。3人で行ったのだが、1人バカがいて学生服を着てきたため切符が買えないという「事件」があった(こんな話ばっかりだなあ(^^;)。ところが映画は、なんというかゴタールばりというか即興を繋いでいったような展開で、話は飛ぶ、曲がる、捻れる、折れる。何がなんだかわからないうちに映画は終わってしまった。ラス前に待ち望んでいた(^^;田島和子のヌードシーンがようやっとという感じで出てくるのだが、彼女の顔とオッパイが一画面に表示されることはなく、どう考えてもこれは「吹き替え」だろう。
 おおい、ちゃんと写せよと思っていると突然の「完」(;_;)。

 最近でこそ「自粛」されてしまっているが、これならひと頃のテレビの2時間ドラマのほうがよほど裸があふれていた。その程度のものを成人映画指定にする映倫も問題だが、年齢を誤摩化すという「危険」を犯し、金まで使って見に行ったこちらがバカのようなものである。いや、「のようなもの」ではなく、正真正銘本物のバカだ。わかったのは、ヌードの不完全燃焼と、かなり建国記念日(ま、要するに紀元節ネ)に反対する政治的メッセージが込められている映画だったということくらいだ。
 それでもこの映画、青春の鬱屈した焦燥感と時代閉塞のやり場のない怒りなど、見ている者に「そうだよなぁ」と思わせる不思議な力があって忘れられない。突然、小山明子が「朝鮮」云々(「でんでん」ではない(^^;)かんぬんと演説を始め、これはいったい何なんだここまで延々としゃべらせる必要があるのかと思っても、なぜか記憶に残るのは大島マジックとでもいうべきものなのだろうか?

 森田公一とトップギャランの「青春時代」に「青春時代のまん中は道にまよっているばかり」「胸にとげさすことばかり」(作詞・阿久悠)というフレーズがあるが、本当にそうだと思う。映画には受験がからんでくるが、やり場のないイライラ、苦しみ、悲しみといったものが、まさに青春というものなのだろう。その映画の登場人物たちと同じ世代にこの映画を見たからこそ記憶に残っているのかもしれない。「青春残酷物語」「日本の夜と霧」「忍者武芸帳」「絞死刑」「新宿泥棒日記」「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」など大島渚の映画はけっこう見ているが、記憶に残るという意味ではやはり本作が一番だ。

↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=FJKIk7bs6bk
日本春歌考.jpg
☆★は、尊敬する映画評論家・双葉十三郎さんの採点方法のパクリで、☆=20点、★=5点(☆☆☆が60点で「可」。合格というか、まあ許せるラインということです)
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