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SAMURAIとは「宮本武蔵」のことだった [映画・文学・音楽]

 手に湿疹ができ(ストレスが溜まっているんです(^^;)、病院で塗り薬をもらってきた(正確には処方箋を出してもらって薬局でもらう)。朝起きたときと晩の風呂上がりに塗るということなんだが、べたべたするのは何とかならんかと訊いたら、女医先生曰く「100円ショップで売っているような薄い手袋をしてください」。さっそく買って来たのだが、手袋をしているとノートパソコンのパッドをいくらタッチしてもポインターが動かないことを発見。どうやら人の皮膚でないと感応しないんだと変なところで感心したのだが、不便、不便。[バッド(下向き矢印)]

 はいっ!!(←ジャンポケのサイトウかっ(^^;)、本日は例によって「忘備録」。
 以前書いた雑文に多少加筆してのアップです。今回もブログ管理者の「忘備録」ということで、読者の方々には何一つ得るところはありませんので、スルーお願いします

 アメリカの映画サイトに「SAMURAI」という映画があがっていた。まあ「侍」といえば日本の時代劇だろうと想像はできるが、そんな映画があったのかもしれないが、見た記憶はない。何なんだろうと見てみたら、稲垣浩が監督し、三船敏郎が主演した「宮本武蔵」(3部作の第1作)だった。海外では侍=「宮本武蔵」ということなんだろうか。
 先日、アメリカの動画サイトをぼんやりと見ていたら「THE SAMURI」とタイトルのついた動画があった。ただ、アイコンからモノクロのようなので古い珍品の「宮本武蔵」かもしれないと見てみたら、なんと大瀬康一主演のテレビドラマ「隠密剣士」だった(^^;)。何にでもSAMURIとつければいいってもんじゃないんだぞ、ドアホ!
 まだ学生だった半世紀も昔に「日本剣客伝」というテレビドラマがあったが、その第1話が宮本武蔵だった。塚原卜伝、千葉周作、小野次郎右衛門、上泉伊勢守、柳生十兵衛、堀部安兵衛、針谷夕雲、高柳又四郎、沖田総司といったそうそうたる剣客たちの中で最初に選ばれたのは、最も知名度が高いと考えられたからだろう。東映チャンバラ映画の常連だった私はもちろん宮本武蔵は知っていたが、高柳又四郎は名前を知っていただけ、針谷夕雲に至っては名前すら知らなかった。
 白土三平「忍者武芸帖」の愛読者だった私としては、針金モトイ針谷なんていう聞いたこともない奴を入れるのなら、抜刀術の祖とも言える林崎甚介を入れてくれればいいのにと思ったものだ(「忍者武芸帖」の受け売り(^^;)。ま、高柳は「音無しの剣」、針谷は「無住心剣」の開祖ということをこのドラマで知ったのは収穫だったが、だから何だ、と言われると答えようがない(^^;。針谷はドラマとしてもいま一つ話に起伏がなく、ちょっと退屈だった。さらに、柳生新陰流も本当に十兵衛でいいのかという疑問も残らないではない。
 この「日本剣客伝」は好評だったのか、後に「新・日本剣客伝」という続編も放送されたが後藤又兵衛、中村半次郎、伊藤一刀斎、平手造酒と一刀斎以外は剣客というイメージに乏しく、確かこの4人だけで終了したと思う。後藤は「豪傑」、中村は「人斬り」のイメージが強く、平手は座頭市に斬られる程度の侍だ(「座頭市」の受け売り(^^;)。要するに、4人の中で剣客と言えるのは伊藤一刀斎(一刀流の開祖で小野次郎右衛門の師匠)くらいのもので、これでは視聴率もとれなかっただろうと想像する。

 毎度のことながら大幅に話がズレてしまった。話を宮本武蔵に戻す。
 いずれにしても、侍=「宮本武蔵」というイメージは海外でも日本でも突出したものがあるのだと思う。二刀流というのも最近の言葉で言えば「バエル」。実際の宮本武蔵がどうだったかというようなことは、ここではどうでもいい。吉川英治の小説で形成され、ラジオ、テレビ、映画で描かれた剣聖=宮本武蔵というイメージこそ重要なのだ。そして、剣の道を極めようとする「求道者」武蔵のイメージが日本人の美意識と見事に合致するのである。ということで、そのイメージとしての宮本武蔵に関するどうでもいい話を、だらだらとしてみることにする。読んでみたところで、単なる老人の戯言のようなものなので、暇のある人だけ読んでくださいと、再度断っておく。

 まずは大昔の話。
 といっても宮本武蔵の生きた時代ほど古い話ではない。たかだか半世紀ほど前、つまり私がまだ若かったころの話である(えっと驚く人がいるかもしれないが、何を隠そう、私にも、若いころはあったのだ(^^;)。
 講談社から「吉川英治全集」が出ていた(第1回配本は確か「鳴門秘帖」だったと思う?)。国民作家と言われる吉川英治だが、私はそれまでただの1作も読んだことがなかった。家に父の買った「新・平家物語」があったのだが、長過ぎて読む気がしなかった。それでも気にはなるので、本屋で手に取ってみたたのが「宮本武蔵」である。
 もちろん、宮本武蔵のことはテレビや映画で知っていた。人をバカにしてはいけない。(といっても、巌流島で佐々木小次郎と闘って勝ったという知識くらいしかなかったのだが(^^;)。それでも、後で書く稲垣浩監督、三船武蔵の3部作もテレビで見ていたし、何より島田省吾・武蔵、辰巳龍太郎・小次郎の新国劇を名古屋御園座で見ているのは大きなプラスポイントだ。
 巌流島への行き帰りはロープで引っ張られた船が花道をガラガラと進んで行くという豪華版だった。闘いに勝ち、花道を戻っていく島田省吾・武蔵にあちこちから声がかかったのを今でも覚えている。その新国劇自体が今ではなくなってしまったが、この舞台を見た人ももうそれほどいないと思う。何を言いたいのかというと、自慢である。まあ、そんなわけで、剣豪・宮本武蔵を描いた吉川英治の原作はどんなものなのだろうと素朴に思ったわけだ。

 全3巻のまず第1巻を買った(600何十円だったか高くはなかった)。まあ、全3巻の3巻目から買う人間もいないと思うが、とりあえず家に帰ってきて読み始めた。ところが、これが全然おもしろくないのだ。剣豪小説だと勝手に決めつけて買い求めた私が悪いわけだが、なんともスピード感がなく、ゆったりしている。とても、手に汗握るチャンパラ小説ではなかった。残念(柴田錬三郎「眠狂四郎無頼控え」のラストの疾風怒濤の剣さばきと比べれば一目瞭然である)。
 というわけで、この第1巻はあっという間に古本屋行きとなってしまったわけだが(第1巻だけという中途半端なものは引きとってくれない可能性があるので他の本と一緒に売った。まとめていくらという値段が出るので、この第1巻がいくらだったのかは永久にわからない)。
 ついでに書いておくと、それから10年も後、会社での知り合いに親がエレック・レコードの社長をしていた奴がいて、「おもしろいレコードがある」と言われて見せられたのが「宮本武蔵」。徳川夢声が吉川英治の「宮本武蔵」を朗読したという伝説のラジオ番組(だったと思う)をそのままレコード化したもので、何十枚あったのか数えなかったが大きな箱に入っており、とても1人では運べないようなシロモノだった。せっかく来たのだからと1枚目を聞かせてもらったのだが、「・・・それを聞いた竹蔵は、・・・」てな調子でラジオの朗読音声をそのままレコードにしただけのシロモノで、そこには何の工夫もない。すぐに眠くなった。当人には言わなかったが、こういうものを作っていたんじゃあ潰れるわなあ、と思ったものだ。「タダであげるから」と言われたが、「置き場所がない」と丁寧にお断りした。

 では、何度も映画化、ドラマ化されている「宮本武蔵」はおもしろいかというと、これがまた微妙なのである。武蔵の映画は、戦前の片岡千恵蔵や1970年代に入っての高橋英樹など、テレビドラマでは丹波哲郎以下、三國連太郎、滝田栄、役所広司、上川隆也など吐いて捨てるほどある。あ、木村拓哉がやった全然、武蔵に見えない宮本武蔵もあったゾ。そんな中で、東宝版3部作と東映版5部作が代表だと思うので、以下この2つのシリーズについて、だらだらとその感想を書くことにする。どちらも観たのは半世紀以上も前のことなので記憶違い、勘違いがあっても責任はとらない(きっぱり)。
武蔵.jpg
 まずは、東宝版。
 稲垣浩監督の「宮本武蔵」(1954)「続宮本武蔵 一乗寺の決斗」(1955)「宮本武蔵 巌流島の決斗」(1956)の3部作。1954年から年1作ずつ作られた。昔々の大昔、NHKだったかのテレビ放送で見たのだが、当時家にあるのは当然のように白黒テレビだったので大人になってから見たとき、カラーなのにびっくり。キャスティングを見ると、
宮本武蔵:三船敏郎
佐々木小次郎:鶴田浩二(第2作から登場)
沢庵:尾上九朗右衛門
本位田又八:三國連太郎
お通:八千草薫
お甲:水戸光子
朱実:岡田茉莉子
吉岡清十郎:平田昭彦
吉岡傳七郎:藤木悠
宍戸梅軒:東野英治郎
 当時の東宝時代劇の2枚看板だった三船と鶴田を出しているのだから、相当力がはいっているのがわかる(この2人は同じ稲垣浩監督の「柳生武芸帳」や岡本喜八監督の「独立愚連隊」「暗黒街の弾痕」などでも顔を合わせている)。では、おもしろいのかというと、・・・ううむ、微妙だ。三船の台詞が聞き取りにくいのは黒澤映画以来の伝統で仕方ないにせよ、超絶にかわいいから少しは許すとしても、八千草薫のあの立て板にセメダインの棒読みは何だ。朱実役の岡田茉莉子のほうがよほどうまいぞ(歳をとって八千草がきれいなおばあさんになり、岡田が化け物になってしまったのは、また別の話)。八千草薫は亡くなるまでヘタクソだったが、もうここまでくると「ヤチグサカオル」として成立してしまっているので、文句は言わない。八千草薫は死ぬまで八千草薫だったのだ。
 佐々木小次郎の鶴田浩二と吉岡清十郎の平田昭彦はピッタリのはまり役。鶴田はちょっと歳なのが残念だが、なで肩の天才美青年でかついかにも強そうなのがいい。しゃべり方も天才にありがちな「上から」の感じがよく出ている。平田は東宝特撮映画の常連(なにしろ初代ゴジラを骨にしてしまったオキシジェンデストロイヤーの発明者であり、ミステリアン研究の第一人者)で私のご贔屓なのだが、ちょっとインテリ的な感じがよくイメージにマッチしていた。確か当人も東大法学部卒の超インテリだったはず。
 第1作はアカデミー外国語映画賞を受賞しているが、だからといって名作というほどのものでもない。退屈はしないが、まあ、全体としては可もなく不可もない映画と言っておこう。はっきり言って、退屈なのは第2作目だ。
 東宝マークのとともに始まる團伊玖磨の音楽は青年武蔵をイメージさせるワクワクする感じでとてもいい。東映版も伊福部昭(「ゴジラ」の作曲家)でがんばってはいるのだが、重厚を意識しすぎたのかどうも好きになれない。音楽は東宝版に軍配だな。
↓東宝版タイトル

↓東映版タイトル

 続いて、東映版。
 内田吐夢監督の「宮本武蔵」(1961)「宮本武蔵 般若坂の決斗」(1962)「宮本武蔵 二刀流開眼」(1963)「宮本武蔵 一乗寺の決斗」(1966)「宮本武蔵 巌流島の決斗」(1967)の5部作。これも1961年から年1作ずつ作られた。こちらは、名古屋東映、SK東映という封切館で全5作とも見た。こちらの出演者は、
宮本武蔵:中村錦之助(断固、萬屋錦之助ではない!)
佐々木小次郎:高倉健(確か第3作から登場)
沢庵:三國連太郎
本位田又八:木村功
お通:入江若葉
お甲:木暮実千代
朱美:丘さとみ
吉岡清十郎:江原真二郎
吉岡伝七郎:平幹二朗
 さすが東映映画というか、看板スター中村錦之助を筆頭に御大・片岡千恵蔵なども出ているのでこちらも力が入っている。で、どちらの出来がいいのかという話になるわけだが、この2つのシリーズを両方見た人に感想を訊くとまず80%がこの東映版のほうがおもしろいと言う(尊敬する故・双葉十三郎さんもそうだ)。私も、微差だが、まあ異論はない。中村錦之助がアイドルから俳優になった転機の映画である。では双手を挙げて東映のシリーズは傑作かというと、それがそうでもない。
 まず、お通を演じた入江若葉の小学校の学芸会以下の下手さ。東宝の八千草薫も下手では人後に落ちないが、入江若葉はそんなもの問題にしないほど突き抜けた下手さなのである。いくら大女優・入江たか子の娘とはいえ、金をとって見せるものではない。無料で見られる小学校の学芸会だってもう少しマシだと思う。マジ開いた口が外れてしまう。それくらい下手なのだ。世界演技下手リンピックなんてものがあったら、金メダル間違いない。どえりゃあ下手、ドベタ、超絶下手と断言できる。
 それと、小次郎の高倉健。東宝の鶴田浩二が適役だっただけに、その下手さが際立ってしまう。そもそも私のイメージでは小次郎は女性の着物が似合うようなスラッとした美男子で、動きも踊りを踊るような美しさがなくてはダメなのだ(実物は大男だったという説もある。あくまでイメージ)。その点、健さんは武骨だし、力強さはあっても動きが重い。朴訥で、華麗さがないのだ。健さんが女着物着て踊る姿を想像できる人がいるだろうか。絶対に想像できないとは言わないが、それはもう完全に喜劇だ。私は、健さんフアンでオールナイト上映にも何度も足を運んだくちだが(昭和残侠伝」の池部良と殴り込みに行くシーンなど感涙ものだ)、このときの小次郎役は間違いなく健さんの黒歴史だと思う。
 あと、悲しいほどの巌流島のショボさ。
 第1作以外退屈だった東宝作品でもさすがにこの最後の決闘だけは打ち寄せる波が朝日に輝く美しさといい素晴らしい出来映えを見せているのに、東映作品では波もほとんどなく、ただ鈍重に見える健さんがあっという間に死んで終りという呆気なさ。キネ旬だったと思うが、予算の関係で琵琶湖だったかで撮ったとかいう記事を読んだ記憶がある。そりゃあ打ち寄せる波もショボイわなぁ。最終話なんだからいいかげんな映画でもそれなりに客は来るはずだという計算なんだろうか。観客をバカにしているとしか思えない。いや、完全にバカにしている。予算云々はそっちの都合だろう、こっちは金払って見に来てるんだぞ。最終話まで作ったんだから、なんて言い訳にもならんだろうが。5本も作ったそのクライマックスがこんなんでいいと思っているのかっ。波が打ち寄せてこそ、巌流島だろうが。責任者、出て来ーいっ!
※巌流島の比較。東宝版はふつうに波があるが、琵琶湖で撮った東映版にはほとんど波がない。また、カメラアングルを下げると向こう岸が見えてしまうためかやや俯瞰の構図に終始している。
↓東宝版
東宝.jpg
↓東映版
東映.jpg
 落ち着いて、落ち着いて(^^;。
 別に評論でも何でもないので、だらだらと思いつくまま書いている。繰り返しになるが、東宝作品では1番出来のいいのは第1作、最低は第2作。東映作品では最高が第4作で、最低は今書いた通り最終の第5作。それまでの貯金があるので全体としては東映作品のほうが若干出来はいいと思うのだが、だからといって傑作シリーズと言い切れないのはこの最後の決闘シーンにひどく落胆したからである。
 モンテーニュも「エセー」で人の死に際の大切さを説いているが、途中がよくても、最後の最後で大コケしたんじゃあ、身も蓋もない。くどいようだが、第5作は、巌流島の決闘という誰もが知っているクライマックスがないままシリーズを打ち切ってしまったのでは非難囂々なので、仕方なく最終話を作ってみましたという感じなのだ。これではスタッフ、キャスト、そして何よりも観客が浮かばれない。
 ほとんどの人が亡くなっており、半世紀以上も前の映画なので、今となっては不可能な話なのだが、両方のいいほうをとって作られていたらなあという思いは今でもないわけではない。以後、「宮本武蔵」は多くの役者が演じているが、どれももう1つピンとこない。正直、新しいものが作られるたびに、時代劇特有のあの「空気」とでもいうものがだんだん希薄になってくるなあというのが、率直な印象である。それと、やはりビデオはダメだね。輪郭がくっきりし過ぎていて、フィルムのときのようなひとつ違う世界を見ているという「時代」の感じがどうしても出ない。

 ところで、武蔵といえば小次郎だが、「佐々木小次郎」(1967年東宝)という映画を名古屋の名宝劇場で見たことがある。三船3部作の稲垣浩監督なので、「あの話」を小次郎の視点で作ったらどんな作品になるんだろうと思って見に行ったわけである。小次郎は尾上菊之助(七代目尾上菊五郎)。緋牡丹博徒の藤純子(富司純子)と結婚した人で、子どもは寺島しのぶと五代目尾上菊之助。七代目は今は確か人間国宝になっているはず。菊之助の小次郎は歌舞伎俳優だけにヅラがよく似合い颯爽としていて悪くはないのだが(無論、高倉健の小次郎より断然いい)何と言うか天才的剣士という感じがあまりしないのが残念。はっきり言って強そうな感じがしないのだ。途中で登場し最後に戦うことになる宮本武蔵(仲代達矢)の荒々しいイメージのほうが(結末はわかっているとはいえ)断然強そうに見える。
 それにしても、平日の昼間とはいえ、広い名宝劇場はがら空き。どこでもお好きな所にお座りになってご覧下さいませ、という状況で、閑古鳥すら(鳴くどころか)いないという悲惨なものだった。映画の出来自体もイマイチだったが、やはり主人公が負けるとわかっている話は受けないんだろうなぁ。今ではこの映画を話題にする人もいないし、今までこの映画を見たという人に会ったこともない。それなりに金をかけた映画だと思うので、この映画で最も大きな傷を負ったのは、佐々木小次郎ではなく東宝だったのだろう(^^;。
 以上、「宮本武蔵」雑談でした。(^^)/
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