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暮れには「第九」 [映画・文学・音楽]

 どうして年の瀬にベートーヴェンの「第九」が・・・とも思うのだが、なんとなく来年こそはいい年でありますように、という祈りのようなものが込められているのかもしれない。まあ、そういうことはある意味どうでもいいことで、ベートーヴェンの「第九」は本当に人類の宝だなぁと思う。
 いろいろなマエストロがいろいろな楽団で指揮をしているが、代表的なものだけでもウィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・トスカニーニ、セルジュ・チェリビダッケ、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン、アンドレ・クリュイタンス、ゲオルク・ショルティ、レナード・バーンスタイン、リッカルド・ムーティ、ダニエル・バレンボイム、クラウディオ・アバド、小澤征爾、岩城宏之・・・と、切りがない。
 レコードやCDを買ったわけではなく、テレビ(NHKやWOWOWなど)やFMで聞いたものがほとんどなのだが、まだ何人か忘れているかもしれない。と書いているそばからアルトゥール・ローター(というような名前だったと思う)を忘れていた。今にして思うとさほどの名演でもなく音もよくなかったが、当時、「第九」はLP2枚組が定番だったのだが、ともかく「第九」のレコードが欲しい私は中古で1枚でという安さに釣られて買ってしまったのだ。
 学生時代、大学のオーケストラ、合唱団が指揮とソリストにプロを招き、講堂で公演したことがある。まあ素人の集まりなので名演とはいかないものの、やはり生の演奏は楽器の音が立っており、レコード(当時はまだCDなんてものはなかった)にはない迫力、臨場感があった。「第九」に関する私の唯一のコンサート体験である。
 で、いろいろ聞いてきた中で最も私に合うのは今のところレナード・バーンスタイン指揮+ウィーンPh盤ということになる。バーンスタインはミュージカル「ウエストサイド物語」の作曲者として有名だが、彼が指揮した「第九」はともかく歌っているのだ。ソリストや合唱団だけでない、オーケストラも歌っていて、歓喜の歌が聞こえてくる。ニューヨーク・フィルを指揮していたころはちょっと乱暴な感じがあってイマイチという気もしたのだが(ストラビンスキー「春の祭典」やショスタコーヴィチ「第五」などは若さが弾けていて私は好きだが)、歳をとり、またウィーン・フィルという当代一流のオーケストラと組んだことにより、すばらしい「第九」ができあがったことを喜びたい。
https://www.youtube.com/watch?v=R_gOeQg0Ofg
 LIVEなので弱音がうまく拾えていなかったり(第四楽章の有名なトライアングルの音もよく聞こえない)、あれっ?外した?というところがないわけではないが、感動的な仕上がりになっているのは、やはり「生」ならではの迫力というものだろう。バーンスタインには、ベルリンの壁崩壊記念?の「第九」もあり、寄せ集めのオーケストラ、合唱団ですがこれも感動的な演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=IInG5nY_wrU
(まあ、バーンスタインならマーラーだろうと言う人もいるだろうが、そして私も異論はないが、今回はマーラーについては省略m(__)m)
 フルトヴェングラー盤は歴史的名演(とくに第四楽章。こんなに速くかつ熱狂的に演奏される第四楽章は他に聞いたことがない)、カラヤン盤は「第九」の定番・教科書として素晴らしいものだ。が、極論すれば、「第九」は人類の宝であり、そのバーンスタイン盤はまさしく私にとっての宝である。
↓カラヤン指揮+ベルリンPh盤(左)とバーンスタイン指揮+ウィーンPh盤
カラヤン・レニー.jpg
↓フルトヴェングラー指揮、バイロイト祝祭管弦楽団
(コンデジ写真では黒く写ってしまっていてわからないが、昔のエンジェルレーベルのレコードは、帯電防止に効果があるとかで透明の赤いレコードでした。もちろんモノラルで音もよくありませんが、第四楽章は独特の迫力があります)
P1090939.jpg
P1090942.jpg
※ところで、これは前にも書いたと思うのだが「第九」のフィナーレはベートーヴェンの他の交響曲とはちょっと違っている。たとえば「第五」のフィナーレはダン・ダン・ダダダダダンと繰り返してきっちりと終わっている。これが、まあ古典派交響曲では普通だ。ブラームスの「第一」などこれで終りかと思っているところにだめ押しの終りがやってくるほどだ。ところが「第九」はタララララララランという感じで、オケが盛り上がっていく中で、スッと終わるのだ。ダダダダダンはない。私のような凡人は、最初聞いたとき「あれっ?」と思ったものだ。
 このフィナーレは、チャップリンの「モダンタイムス」で「何もいいことがない、死んでしまいたい」というヒロインにチャップリンが「笑って」と言い、あの「スマイル」の名曲とともに明日の希望に向かって歩いて行く、歩き続けていくラストに似たものを感じさせる。「第九」のフィナーレ、も歓喜の中、神の大きな愛に向かっていくイメージで、この歓喜よ永遠にというメッセージが込められているのだろうか?
 ついでに、もう1つ。私が、ベートーヴェンは本当にすごいなぁと思うのは、もちろんこれだけの交響曲をほとんど耳が聞こえなくなっている状態で書いたということもそうなのだが、合唱のメロディーの簡単さ・親しみやすさだ。最近は「一万人の第九」など恒例になっているが、歌詞、メロディーの簡単さ・親しみやがあって初めて可能になること。200年も前に、ベートーヴェンは自分の書いた交響曲に誰でもが歌え、参加できることを考えていたのだろうか?
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wildboar

どえりゃあ詳しいネェ!(^^)!
by wildboar (2018-12-22 16:22) 

アニマルボイス

やっぱ「第九」はエネルギーをもらえるからねえ。(^^)/
by アニマルボイス (2018-12-22 19:22) 

リス太郎

私「第九って英語でなんてんだっけ?」妻「カーペンター」
by リス太郎 (2018-12-22 19:23) 

よしころん

10年以上前の話になりますが、年末になると主人と色々なところで開催される「第九」を鑑賞に行っていたことがあります。
学生から有名楽団まで、お値段も色々♪
そうなんです。毎回パワーをもらって帰ってきました♪
ベートーベン万歳\(^o^)/
by よしころん (2018-12-22 19:30) 

アニマルボイス

>リス太郎様
おーっと、久々のクリーンヒットだ!

>よしころん様
おお、山だけでなく音楽も・・・、さすがですねえ。
今はなきエレックレコードのミキサーと話したことがありますが、(アナログの時代でしたが)音符1つでも入れ換えられると言っていました。そうしてきっちり整えられたスタジオ録音盤も悪くはないのですが。第九はやはりLIVE(録音)ですねー。

by アニマルボイス (2018-12-22 20:46) 

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