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初めての海外旅行 [欧羅巴語学漫遊記 MZ]

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 MZさんから、初めて海外旅行をしたときの思い出話が届きました。写真がないので「迷走」のほうにアップしようかとも思ったのですが、とくにカテゴリーを作っていないので、せっかくカテゴリーを作ったこちらにアップすることにしました。いきなり「スロバキア語の勉強」を始めるなんて、何事にも前向きなMZさんの面目躍如たるものがありますねえ。ちょっと載せると問題になるのかな、と思える記述が1か所あったので削除させてもらったことをお断りしておきます。あ、それから文章からはもう1つはっきりしないのですが、ポルノビデオは見たのでしょうか、見なかったのでしょうか? 気になりますなあ。
(写真が全くないのも寂しいので1枚適当に貼付けておきました。本文とは全く関係ありません。)
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 私が生まれて初めて海外旅行をしたのは、1998年の長野パラリンピックの年でした。
 そのころ、私は知的障害者のNGO組織でパソコンリーダーをしておりました。そのNGOはスポーツを通じて知的障害者の自立を手助けする組織で、外国の知的障害者施設との交流もありました。事務所のスタッフは私以外は英語が苦手で、外国語の電話がかかってくると、全部私に回すので、しかたなく、へたくそな英語で対応していました。
 その前の年の夏に、スロバキアの障害者水泳選手が日本にやってくることになりました。英語が話せるスタッフが同行してくるので、会話には支障がないのですが、私は障害者の子供たちと会話がしたくて、2か月前から、にわかに、スロバキア語の勉強を毎日しました。おかげで、子供たちともとても楽しい交流をすることができました。
 長野パラリンピックには、NGO組織からもクロスカントリーの選手が選ばれて、出場しました。以前の水泳大会に参加した水泳コーチのマーチンが前の年に2カ月日本に来て組織の水泳コーチとしてはたらき、その友人のクロスカントリーコーチのトーマスが長野大会の冬にやはりコーチとして2カ月日本に滞在しました。
 そして、1998年の5月に、私はチェコとスロバキアとウィーンに10日ほど初めての外国旅行をすることになりました。チェコ語とスロバキア語は良く似た言語なので、何とかなるというつもりで、チェコの大学の教授の紹介で、大学の宿舎に4日間滞在しました。大学の教授もその奥さんも英語が話せます。大学の宿舎はツインベッドとシャワーという質素な部屋でした。朝は、教授が買ってくれたパンとティーバッグだけという食事です。昼と夜は自分でレストランかどこかですませました。スロバキア語でも注文したり、道を聞いたりするのは充分通じました。
 短い滞在で気が付いたのは、チェコ人とスロバキア人とはあまり仲が良くないのかな?ということです。つい最近までソ連によって無理やりくっつけられて、社会主義の統制を受けていたので、その影響かもしれません。1998年はチェコもスロバキアもビザが必要でした。私の古いパスポートには立派なチェコのビザと、粗末なスロバキアのビザがあります。
 チェコの若い女性は透き通るような美人が多いです。昼食の時間がなかったのか、OLが歩きながらバゲットのサンドイッチを食べながら街を闊歩しているのも、とても、かっこいいな、と思いました。
 のちにスペインなどに旅行するようになって、気がついたのは、チェコ人はとてもシャイと言うか冷たいというか、ラテン系とはぜんぜん違います。こちらから話しかけない限り、向こうから声がかかる事はまずありません。プラハは落ち着いた街で、音楽の都といわれるだけに、演奏会の入場料がとても安いのです。オーケストラで2000円くらい、オペラでも3200円くらいで楽しめました滞在中毎晩演奏会に行きました。チャーチコンサートも素敵でした。街のたたずまいも古くてしっとりと落ち着いていて、いかにも北欧と言う印象でした。路地を歩いている時に突然「社長、社長」と声をかけられて振り向くと、闇の両替屋でした。全然言葉が通じない振りをしました。やはり、観光地だなと思いました。
 スロバキアのブラティスラバは小さな落ち着いた街です。泊まったホテルが一流だったので、遊びに来たマーチンが驚いていました。着いた晩はマーチンが都合が悪かったらしく、長野パラリンピックの時に知り合ったスタッフが街を案内してくれました。彼はとても親切で自宅にまでお茶に招待してくれました。夕食の時おごるから食べてくれ、と言っても、遠慮してワインしか飲みませんでした。
 翌日、マーチンが彼の車で街を案内してくれました。ほんとに小さな町で、2時間もあれば、全部を回る事が出来ます。途中、Uターン禁止を犯して、切符を切られたのはご愛嬌でした。
 街の傍をドナウ河が流れていて、ブタペストからウィーンまで船で行くことが出来るのですが、マーチンが船会社に電話して、ブラティスラバで一人拾ってくれないかと、交渉してくれましたが、一人では無理だと、断られました。したがって、ウィーンにはバスで行くことになりました。30分ほどで国境の警備場で、私と数名の外国人だけのパスポートを事務所まで持って行かれました。スロバキア人は見せるだけでOKでした。いまは、EU圏内なので、この国境もフリーパスなのでしょう。
 ウィーンでもシェーンブルーン宮殿コンサートとかウィンナーワルツの夕べとかコンサート中心でした。観光バスの料金が日本語ツアーがバカ高くて、外国語ツアーは安いという事をこの旅行で知りました。のちに、マドリッドの日本の旅行会社で何故こんなに格差があるのか聞いたところ、日本語が出来るガイドの問題かと思ったら、高くても日本人旅行者が集まるから、とのことでした。外国人はそんな高いツアーにははじめから集まらないそうです。以来私は日本語ガイドは敬遠しています。
 美術館で有名なザッハートルテを食べましたが、とても甘いのには驚きました。喫茶店のウィンナーコーヒーも結構高いもので、物価が高いなあと思いました。地下鉄の終点から汽車に乗り換えてドナウ河ほとりを散歩しようとしましたが、乗った列車が急行で次の駅で降りて、引き返そうと思いましたが、帰りの列車もまた、急行で、結局始発駅まで戻ってしまいました。途中料金を精算するときに、車掌の「アイン ウント ヒュンフチッヒ(51)」がどうしても判らなくて、手帳に書いてもらってやっとわかる始末でした。パンと飲み物を買って、始発駅から歩いてドナウ河畔に行きました。ホテルを出る時にフロントで「ポルノビデオをご覧になっていますね!!」と、大声で呼びかけられたのには参りました。
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★「現在迷走中」に「WHO死ね!『サウンド・オブ・ミュージック』」アップしました。喫煙シーンがあるのでWHOのアホどもの勧告によれば、ファミリー映画として定評のあるこの映画も「成人向け」映画の指定となり、未成年は見られなくなってしまうのでしょう。全く、世にアホ・バカの種はつきませんなあ。
http://www.life-clip.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=142908
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