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リヨンへ留学、その2 [欧羅巴語学漫遊記 MZ]

 MZさんのリヨン留学篇の後篇。今回はパリに遊びに行った話が中心ですが、MZさんは片言でも何でも平気で話しかけたりする人ですから、こういう旅行自体が語学の勉強になるんでしょうね。今回、ちょっと残念だったのは「つまづき」の原因になった「美人のマダム」の写真がなかったこと。まあいくら美人とはいえ、赤の他人ですから勝手に撮影するわけにもいかないでしょうし、仕方ないですかね。それにしてもこの「漫遊記」もだんだん調子が出てきたような気がします。次回にも期待しましょう。
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 W(管理人・前回最後に紹介されたマラガのスペイン語の先生ヴィフレド)がスペインのマラガからリヨンにやってきました。彼はフランス語が上手なので、夕食の時など、みんなとわいわい話していましたし、私には普段あまり話しかけない中学生まで安心してしゃべりまくっていました。
 週末の金曜日に、かねて打ち合わせていた通り、TGVでパリに向かいました。切符はあらかじめ、ステイ先のご主人が60歳以上の割引やフランス人割引を駆使して、ネットで2人分、私のカードで買ってくれました。
 TGVははっきり言って、日本の新幹線のほうがすばらしいです。座席は方向転換出来ませんし、4人席も向かい合わせの固定です。4人席に他人が1人入ったらどうするのかしら、それとも、あらかじめ4人席の料金が決まっているのかしら、と、余計なことを考えてしまいました。車内販売の弁当を買いました。Wは日本風の、私はイタリアン。パリまでの2時間中座席で携帯電話でしゃべっているマダムがうるさかった。
 パリに着いた夕方はセーヌ川沿いに歩いて、ノートルダム寺院近くへ夕食に出かけました。帰りも同じ道でしたが、さっきは居なかった学生らしきグループがセーヌ川岸のあちこちで、自分らで持ち寄って酒盛りをしていました。金曜の夜はいつもこういう風景らしく、ほほえましく眺めました。感心したのは、翌朝ゴミがまったく散らかっていないことでした。リヨンのローヌ川岸でも同じ光景を見ましたが、翌朝ゴミが散らかっていました。観光地パリの学生は心得ているようでした。
 パリは5回来ているから、まかせてくれというWのことばを信用したのがいけなかったようです。ステンドグラスがすばらしい、何とかいう教会に行くことになりました。地下鉄を降りて歩きはじめましたが、15分歩いても目的の教会が見当たりません。そのうち、あるはずのないパリ北駅に来てしまいました。どうやら、地下鉄の駅から反対方向に歩いたようでした。Wが実は方向音痴だったのです。仕方なく、タクシーで教会に向かいました。
 パリの地下鉄の中で大音響で「ベッサメムーチョ」をスペイン語で歌っているマダムがいました。私もカラオケが好きなので、一緒になって座席で歌っていましたが、Wはムッとした表情でした。前の座席のマドモアゼルはイヤホーンで別の曲を聴いているようでした。後で回ってくるマダムに、お金は出しませんでした。
 パリの街歩きはもっぱら、例のガイド放送付きの観光バスを利用しました。2階の屋根のない席に座りましたが、そのせいか、パリは風が強い街だなと思いました。2日目には目が赤くなってしまいました。レストランで食べた肉はかたくて、魚にすればよかった。だいたい、大都会はあまり好きではない私はそれやこれやで、パリが好きになれませんでした。地下鉄の中でWとパリの悪口を言う時は日本語で話しました。はやく、リヨンに帰りたいと思いました。
 リヨンに帰った途端に、目の赤いのは治りました。月曜の朝、Wはスペインへ、私は学校へ自転車で向かいました。リヨンの街は犬のフンがたくさんあると聞いていましたが、それほどでもありませんでした。道の反対側にいる美人のマダムに見とれて歩いていると、道路の縁石にいやというほど靴のつま先をぶつけて、イタイこと痛いこと。それを、道のこちら側のマダムに見られていたらしく、ふき出していました。
 滞在中にリヨンの労働者のデモを一度見ました。警察官が出張ってくるのは、日本と同じですが、大型トラックの荷台を舞台にして、ロック音楽を演奏し、子供たちがその前で踊っている様子は楽しく感じました。
 ワールドカップの後半は親しくなった学校の友人とスポーツバルでテレビ観戦することが多くなりました。私はビールが飲めないので、例によってジュドランジュ(オレンジジュース)。ブラジルーオランダ戦は沢山のブラジル人と一緒でした。「どちらを応援する?」とブラジル人に聞かれたので、「じゃあ、私はオランダを応援しよう」と言ったら、本当にブラジルが負けてしまいました。
 イタリアのパルマから来ている青年と特に親しくなりました。イタリアがスロバキアに負けてしまい、彼はがっくりしていました。2年後はミラノに行く予定だから、パルマから遊びに来てよと、別れましたが、それは、実現しませんでした。
 学校や観光の帰りにステイ先の近くのお菓子屋さんで店先のグラース(アイスクリーム)を1ユーロで買って、舐めながら帰るのが日課でした。最後の日に「今日でリヨンともお別れだ」と言ったら、タダにしてくれました。
1 セーヌ川
1 セーヌ川.jpg
2 教会のステンドグラス
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3 シャンゼリゼー
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4 エッフェル塔の下
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5 陸軍博物館(パリ)
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6 サンサクレクール寺院(パリ)
6 サンサクレクール寺院(パリ).jpg
7 よく昼食を買いに行ったマルシェ(市場 リヨン)
7 よく昼食を買いに行ったマルシェ(市場 リヨン).jpg
8 この橋を通って通学したローヌ川(リヨン)
8 この橋を通って通学したローヌ川(リヨン).jpg
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