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フランス・リヨンへの留学 [欧羅巴語学漫遊記 MZ]

 MZさんからの「欧羅巴語学漫遊記」。先日の「スペイン・マラガへの留学」
http://animalvoice.blog.so-net.ne.jp/2015-12-09-1
 に続く語学漫遊記第2弾です。  今回はフランス・リヨンへの留学。リヨンへ行ったときはもう70歳を越えているはずで、その行動力には本当に感心します。しかしですよ、行きの飛行機の中で早くもリヨン娘2人をナンバ。前回のCAもそうでしたが、今回の写真7に一緒に写っているドイツ娘もなかなかの美人で、「これじゃあ語学漫遊記というよりてナンパ漫遊記じゃないか」と怒り[ちっ(怒った顔)]にワナワナとうち震える管理人でありました[あせあせ(飛び散る汗)]
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 2006、2008年は経済的事情により留学はあきらめ、2010年南アフリカワールドカップの時、フランスのリヨンに4週間留学しました。
 リヨンを選んだのは、単に南アフリカから子午線を北に向かうとフランスではリヨンにぶつかっただけのことで、ここなら、時差なくフットボールが観戦できると思いました。リヨンはパリの南西、TGVで2時間のフランス第二の都会です。産業の絹織物の関係で日本とは古くから交流があったそうです。むかし、リヨンのカイコが疫病で全滅した時、リヨンからはるばる、長野県までカイコを仕入れに来た歴史があるそうです。
 成田を出発するとき、アイスランドの火山の爆発の関係で、離陸が2時間も遅れ、ローマの空港に着いた時はリヨンへの乗り換えの時間が10分しか残っていませんでした。飛行機の扉が開くや否や機内で知り合ったリヨン娘2人ともども、乗り換え客と一緒に走りだしました。というのは、乗り継ぎ便を逃すと、翌日まで便がありません。ところが、ローマの空港は広い上に、乗り換えに空港内のモノレールに乗らねばなりません。息せき切って階段を降りたところで、若いCAが「リヨーネ!リヨーネ!(イタリア語でリヨンのこと)」と叫んでいるのを聞いた時は全員ほっとしました。乗り継ぎ便はまだ準備中で、誰も搭乗していませんでした。
 リヨンではサラリーマンと学校の先生夫妻の共同住宅にホームステイしました。子供は4人で、長男は結婚して独立、長女はパリで看護師として働いていました。彼女は私の滞在中に一度帰ってきたことがありました。お母さん似の美人でしたが、難をいえば、看護師のくせにお母さん同様、たばこを吸っていました(管理人・MZさんには喫煙に対する大きな誤解・偏見があるようですがここには書きません)。大学生と中学生の息子は同居で、男性は私を含め、全員たばこを吸いません。
 私の部屋は10畳くらいの、つくえ、椅子、ベッド、ソファーがおいてある、三男坊の隣の部屋でした。トイレとシャワー室は男の子2人と私の共用。共同住宅といっても、2階フロアを全部使っており、部屋は8つもありました。もうひとり、否、1匹小さい猫が同居していました。
 語学学校はそこから歩いて30分ほどですが、ご主人がレンタル自転車の年間パスを貸してくれましたので、1日目以外は自転車で通学しました。リヨンは一部を除いて平坦な街なので、町中にレンタル自転車の駐輪機があります。そして、30分以内なら使用料はタダです。30分経ったら近くの駐輪機にもどして、また、同じ自転車を駐輪機から引っ張り出せば、どこまでも、タダで行けるわけです。しかも、自転車専用道路がたくさんあって、とても安全です。この自転車のおかげで、リヨン中動き回る事ができました。
 リヨンにはローヌ河とソーヌ河の2つの河が街中を流れていますが、私の通学路はローヌ河沿いの専用道路でとても快適な通学でした。でも、レンタル車はこぐのが重いので、通勤者の快適自転車はもちろん、きれいなおねえさんのジョギングにも追い抜かれるありさまでした。
 語学学校に入る前にレベルを決めるペーパーテストがあるのですが、調子に乗って解答したために、午後からの中級クラスに入れられてしまいました。授業は私には少し難しいし、どだい、午後からは私は眠くて、集中できないのです。前の夜に、どうやって午前中の初級クラスに入れてもらおうかと、フランス語で考えて、事務局に交渉しましたが、「初級はもう、いっぱいで、貴方のフランス語は初級クラスではない」と、断られました。3日間、毎晩、作戦を考えて、交渉を続けるうちに週末になってしまいました。金曜日の朝、やっと、「今の初級が1ランクアップする来週から午前授業に入っていいよ」と許可されました。
 学校からも、午後、観光に連れて行ってくれますが、週末は観光バスでリヨン見物をしました。バスの中に8つほど国旗が着いたイヤホーンのジャックの穴があって、日本語のところに差し込むと日本語のガイドが流れます。気に入ったところで降りて、また、次のバスに乗り換えるのも自由です。あるとき、夕方の最終バスが時刻表には書いてあるのに、勝手に無くなると言う事がありました。日本では考えられないことなので、あきれましたが、その時一緒だったマラガのスペイン語の先生は「これがヨーロッパです」と笑ってました。
 ステイ先のご主人も週末に自転車や車でマルシェ(露天商)やいろんなところに案内してくれました。「なぜ、奥さんを連れてこないの?」と聞かれて、「幸か不幸か、カミサンは飛行機が嫌いなんだ」と答えました。事実、そうなのです。
 朝食は自分1人で(猫は起きて来ますが)パンとコーヒーと果物ですませて、誰も起きてこない8時半に学校に出かけます。夕食は5人で食べることが多かった。私に話しかける時はゆっくり言ってくれますが、お互い同士で話している内容は早過ぎてさっぱりわかりません。
 下着はシャワーの時自分で洗って、部屋に吊るして乾かしますが、ポロシャツは途中からマダムが洗濯機で洗ってきれいにたたんでおいてくれました。朝早くに目が覚めて困る事がありましたが、コンピュータの置いてある部屋に勝手に入って使っていいよと、言われましたので、助かりました。その時間に日本にメールするとすぐに返事をもらえます。
 そうこうするうちに、ワールドカップが始まりました。応接間に大型テレビがあって、自由に見て構わないと言われていたので、私ひとり、否、猫と2人?で見ることが多かったような気がします。家族の人はフランスが試合するときは友人と一緒にほかで見るようでした。私も後半は学校の仲間とスポーツバルで見ることが多くなりました。日本は結構活躍して決勝トーナメントに進出しましたが、フランスは予選敗退で盛り上がらないことおびただしいWCでした。
 2週目の木曜日にマラガのスペイン語の先生ヴィフレド(W)がリヨンにやって来ました。ステイ先に聞いてみると、Wも安く泊めてあげるということで、私が空港からのバスの乗り場で出迎えました。この、週末の話は、また、次回にーーー。
1 ローヌ河
1 ローヌ河.jpg
2 リヨン全景
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3 丘の上にある教会 全景はここからの眺め
3 丘の上にある教会 全景はここからの眺め.jpg
4 ソーヌ河
4 ソーヌ河.jpg
5 リヨン名物 だまし絵の窓 全て絵画の窓です
5 リヨン名物 だまし絵の窓 全て絵画の窓です.jpg
6 ローヌ河沿いの自転車道路の上 リヨンの子供たちと
6 ローヌ河沿いの自転車道路の上 リヨンの子供たちと.jpg
7 メイン広場のテント張りのバル 同じ学校のドイツ娘と
(管理人・おおっ、またまた美人と。MZさんの顔にはぼかしをかけていますが、オリジナルでの顔は、はっきりニヤついています。許せませんですなあ[むかっ(怒り)]
7 マイン広場のテント張りのバル 同じ学校のドイツ娘と.jpg
8 語学学校の同じクラスの生徒
8 語学学校の同じクラスの生徒.jpg
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