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「ゴジラ-1.0」の出来は? [映画・文学・音楽]

 昨日は、晴れていたかと思うと、いきなりザッと雨が降ってきたり、変な天気でした。「出かける」実行のため午前に家を出たのですが、夕方からは本降りになるという予想もあるようなので、早めに帰宅しました。雨に濡れてまた風邪をひいたりしたら大変ですからね。

 昨日のブログでの予告通り本日は「ゴジラ-1.0」の感想。
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 「ゴジラ-1.0」の評判がいい。アカデミー視覚効果賞を受賞し、ほとんど権威はないとはいえ日本アカデミー賞では作品賞、脚本賞、撮影賞、照明賞、録音賞、美術商、編集賞、助演女優賞(安藤サクラ)と、なんと8部門で受賞。興行収入も4月時点で70億突破らしいので最終的には80億円超えになる予想。海外でもヒットしているようなのでトータルでは200億円か。世界を席巻しているジャパニーズ・アニメを除けば、ここ数年で最大の話題作と言っていい。関係者や世間の評判もいいようである。
 という前知識の下、ネット配信された本作を見てみた(劇場の大スクリーンで見たときと家庭のテレビでは印象が違うことは理解している。あくまでテレビで見たときの感想である)。
 第1作の「ゴジラ」(1954)は戦後すぐが舞台となっていた。本作は戦争末期から戦後が舞台なので第1作の前ということなのだろう「-1.0(マイナス・ワン)」となっている。
 特攻隊員なのにヘタレで機械の故障と偽って帰還、ゴジラ出現も機関銃を撃てず仲間を死なせてしまった主役のダメ青年を神木隆之介。見た目からもこのての役はかつては吉岡くん(本作にも「学者」と呼ばれ作戦計画をたてる役ででている)、今なら神木くんでぴったりなのだが、このてのヘタレが最後は・・・という筋書きは手垢のついた展開で、今までも何度も見てきたので結末が読めてしまう。
 予告編では重要なヒロインに見えた浜辺美波さんは、ゴジラによる爆風?に飛ばされて途中から出番なし。死体が映らないので、どうせと思っていたら、やっぱり。要するに、いてもいなくてもいいような役だったわけだ。その意味では、さらにいなくても全く問題がないのが近所のおばさんを演じた安藤サクラさん。これで助演女優賞がもらえてしまうのだから、当人も気恥ずかしかったのではないだろうか。前々から言われていることだが、日本アカデミー賞の意味のなさ権威のなさを証明しているような受賞だ。そのほかにも、「えっ?」という展開は多いのだが長くなるのでこれ以上は書かない。
 という本筋の適当さに比べて、ゴジラを含めて特撮は思っていた以上にリアリティがあって楽しめた。本場アカデミー賞で視覚効果賞を受賞したが、総花的な日本アカデミー賞と違って視覚効果賞限定というところに説得力がある。放射能熱線を吐き出す前に背びれがパパパッと青白色に光るというのも初代からのお決まりとはいえなかなかに迫力があり、建物の破壊や海中からの出現シーンなどにもリアリティが感じられた。
 時代的にはこの映画の後が初代ゴジラの登場となるわけで、ラストはまあこういうことにするしかなかったんだろうなあ、とは思うものの、「またこのパターンか」という感じは否めない。あれだけ破壊された東京が初代ゴジラ登場のときには普通に戻っているなんてことはあり得ないわけで、第1作との間に時系列としての整合性はない。ま、そんなところを問題視するような映画ではないので(その最たるものが第1作と第2作で、第1作ではオキシジンデストロイヤにより海底で骨だけになったゴジラは間違いなく死んでいるはずなのだが、そんなこと知らんもんねーという感じで第2作「ゴジラの逆襲」に登場して来る)、これ以上は書かない。
 ところで、ラスト前の浜辺さんの病室での神木くんとの再会シーン、浜辺さんの右首筋に黒い痣のようなものがあり思わせぶりにアップになるのだが、これが意味不明。「ゴジラ細胞」ではないかという意見もあるようだが、なぜ?としか言いようがない。そういえば、前作「シン・ゴジラ」もラストで凍り付いたゴジラの尾の先にカメラが寄って行くと、ゴジラ化した人間らしきもののミイラ(人間なのだが背びれがある)が何体もあって、「何だ?」と思ったものだが、若い人たちには何のメーッセージなのかわかるのだろうか?
 結果として、ゴジラの破壊シーンを「楽しむ」つもりなら大いに満足のいく映画だろう。逆に、ゴジラという破壊王を前にしての人間模様を見るつもりなら、家で寝ていたほうがマシだ。
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