SSブログ

一発屋ジョン・ミリアス奇跡の1本\(^_^)/ [映画・文学・音楽]

 8月も終わりにさしかかったのだが、なんとなく体がだるく『山波』の原稿を書く気もしないので、季節に合った「ビッグ・ウエンズデー」をまたまた見てしまった。
 ジョン・ミリアスといえば、「デリンジャー」「風とライオン」「コナン・ザ・グレート」など駄作を連発したアメリカの監督。最近というか21世紀になってから全く消息をきかないのでついに監督失格の烙印を押されたのか、はたまた亡くなったのか? そんな才能のない監督がただ1作「ビッグ・ウェンズデー」のような奇跡の傑作を作ったのだ。「ビッグ・ウェンズデー」については、以前こんな雑文を書いている。
「桑田啓佑が『稲村ジェーン』などという駄作を作ったが、あれはこの映画のパクリである。監督のジョン・ミリアスは『コナン』にしろ『レッド・ドーン』にしろ何を撮ってもヘタだが、自分の半生とオーバーラップさせて作ったこの映画だけは奇跡的な名作となった。といっても、どういう映画なんだ、ときかれると答えるのが難しい。サーフィンが縦糸になっていることは事実なのだが、だからといってサーフィン映画と言ってしまうとちょっと違うような気がする。オールディーズの曲がかかるが、ルーカスの『アメリカン・グラフティー』のような映画とも違う。途中ベトナム戦争の問題が出てくるが、一時流行った反戦映画でもない。そもそも反共のミリアスがベトナム戦争反対なんていう映画を撮るはずがないのである(にもかかわらず戦死した友だちの墓地を訪れるシーンはとてもいい。こういうところが映画のおもしろいところだ)。
 要するにサーフィンを縦糸にした青春と友情の物語なのだが、こんな説明ではどういう映画なのかさっはりわからないと思う。三流の監督なので、構成も随分破綻している。それでも、この映画には熱い心が感じられるのが、すばらしい。何かに立ち向かっていく熱い心情がこの映画のすべてと言ってもいい。今では破産して浮浪者になっている元サーファーショップの親父と主演のジャン・マイケル・ビンセントとの夜の暗いシーンから一転、時を超えての仲間との再会、ショップの親父が作ってくれたサーフボードを使っての大波への挑戦と続くラスト20分は、つい目頭が熱くなるほどの素晴らしい出来である。今でこそ、『あの映画はよかった』と言う評論家もいるが、公開当時はほとんど話題にもならず、私が見た映画の中では閑散としていた『ブレードランナー』以上に映画館はがらがらだった。」
 機会があったので、『山波』199号にもこんなことを書いている。
「マット、ジャック、リロイの3人のサーフィンを通じての友情物語。なんて書くと、全然観る気になれない。そのせいもあったのか、閑古鳥すらいないほど劇場はがらがらだった。しかし、これは凡作専門監督ジョン・ミリアス奇跡の一本だった。若いころいっしょにバカをやって、だんだん大人になって別れて、大波が来たとき浜へ行くと再び再会してという、再会シーンには思わず胸が熱くなる。仲間たちとのたまり場だったサーフボード店をやっていて今は浮浪者のベアーがかつて大波用に作ったサーフボードを使ってのマットのサーフィンシーンの実写は迫力満点。波乗りが終わった後、マット(ジャン・マイケル・ヴィンセント)がサーフボードを拾い持って来た若者に「やるよ。今度大波が来たとき、これで乗れ」と渡すシーン、いいねえ。座布団一枚。」
 うまい映画ではない。いや、むしろ下手な素人映画と言ってもいい。脚本は大きくよれているし、きちんと描かれているのは数人に過ぎない。サーフィンのアドバイスを受けたと思われるロペスの使い方にしても、何で出て来るのといった感じで、ロペスとビンセント以下の3人との対比もほとんど意味がない。それでもラストには思わず感動してしまうのである。
 いい脚本からいい映画が生まれることはあるが、悪い脚本からいい映画は絶対に生まれない。とは、黒澤明監督の名言だが、ほとんど唯一の例外のようにこの傑作が作られたのだ。紛れもなく奇跡の傑作といっていい。監督の才能が全くない駄作連発のミリアスにどうしてこんな傑作が撮れてしまったのだろう?
BW.jpg
nice!(6)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 6

コメント 2

wildboar

やっぱり小説は無理です。
今回はパスして次回以降に。
by wildboar (2022-08-24 13:02) 

アニマルボイス

想定内です。(^-^)
by アニマルボイス (2022-08-24 15:50) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。