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小説・十八史略 陳舜臣 [映画・文学・音楽]

 久しぶりに、今読んでいる小説の話。

 「十八史略」といえば南宋の曾先之がまとめた書物。司馬遷の「史記」に始まり「漢書」、「後漢書」、陳寿「三国志」(「演義」ではない)、「晋書」、「宋書」、「南斉書」「梁書」、「陳書」「魏書」、「北斉書」、「後周書」、「隋書」、「南史」、「北史」、「新唐書」、「新五代史」、「宋鑑」(「続宋編年資治通鑑」+「続宋中興編年資治通鑑」)の十八史書をまとめたものだ。学者やよほどのマニアでない限りこれをすべて読んだという人はそれほどいないと思う。
 この中で私がすべて読んだのは「史記」のみ(といっても「表と「書」はながめただけ)。その他の篇もただ読んだだけで、同じ人物が「本紀」「世家」「列伝」でてきたとしてその異同を検証したというわけでもない。それでも「秦始皇本紀」「項羽本紀」「高祖本紀」「呂太后本紀」「孔子世家」「留侯世家」「管晏列伝」「老子韓非列伝」「孫子呉起列伝」「伍子胥列伝」「孟子荀卿列伝」「楽毅列伝」「屈原賈生列伝」「衛将軍驃騎列伝」など複数回よんだ。伍子胥や屈原の伝記など読んでいて鬼気迫るものがある。とくに最後の「太史公自序」は古今唯一無二ともいえる熱く崇高な志が感じられて、何度も繰り返し読んだ。ただ、歴史書としてよりも文学書として読んだと言える(もちろん歴史書としての価値を否定するものではないし、そんなことではとても「読んだ」とは言えないと言われても別に反論はしない)。
 部分的にでも読んだのは陳寿の「三国志」。「三国志演義」はほとんど蜀を中心とした講談だが、本書は「魏書」「呉書」「蜀書」の3つに分かれており、「魏書」のみ「本紀」と「列伝」という構成で、他は「列伝」のみ。要するに陳寿は魏のみを正統な国家と認めているわけだ。柴田錬三郎の「柴錬三国志」(「三国志演義」を柴錬風に小説化したもの)は読んでいたので、興味ある人物伝をいくつか拾い読みしてみた。真っ先に読んだのは「魏志倭人伝」として知られる「魏志」の「倭人」の部分。次が孔明の「諸葛亮伝」。諸葛亮孔明の何一つ私的に使ったものはないという姿は清々しく、孔明は希代の軍略家のようにいわれているが、むしろ政治家としてすばらしい人物であったと、「三国志」で知った。私は筑摩書房の「世界古典文学全集」で読んだのだが、宋の時代の裴松之の「注」はエピソード満載で歴史的事実はともかく読み物としておもしろいものだった。陳寿の「三国志」は、「史記」のような熱く崇高な志はないが、それでも読む者を魅きつける魅力がある。
(「春秋左氏伝」は拾い読みしたことがあるのだが、「史記」の前の本で残念ながら十八史に入っていない。)
 他は全く読んでいない。
 自慢ではないが、一字一句読んでいない。
 もうろん全部読もうという気も時間もないので、こういう「まとめ本」はありがたい。
 本屋で講談社学術文庫だったかの「十八史略」を見つけ、項羽、劉邦、張良ら漢の成立に関する部分を拾い読みしてみたが、わかりやすいもののともかく「コク」というものがない。となれば、それをもっとおもしろくドラマチックにした「小説」で十分だろうと手にしたのが陳舜臣の「小説・十八史略」。
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 知識や教養をつけたいわけでもないので、これで十分。現在、全6巻のうちの第2巻を読んでいるところで、いよいよ張良(張子房、留侯)が劉邦と出会うところまできた。「小説」というだけあってすらすらと読める。この時代を扱ったものとしては司馬遼太郎の「項羽と劉邦」も読んでいるので話の筋道はわかっているのだが、それでもおもしろい。この後の流れとして当然「鴻門之会」「四面楚歌」と続き、項羽の「・・・虞や虞や 汝を奈何せん」という垓下の歌が出てくるわけで、結末がわかっていてもわくわくする。
 秦始皇帝暗殺未遂で殺された荊軻(けいか)など「史記」では、相棒選びを間違えたというところに力点が置かれ、当人は肝の座ったなかなかの人物であるという評価がされている(ように読める)。しかし、本書では事の顛末を記した後で、「歴史の歯車が大きくうごくときに、それをテロでおしとどめようなど、錯誤もはなはだしい」と一刀両断している。もちろん、これは陳舜臣の評価で、元の「十八史略」には書かれていないと思うのだが、こういう著者の評価が所々に顔を出すとより楽しくなる。
 細かいことは言わず、娯楽大作「中国歴史物語」として仕事の行き帰りの電車の中などで読んでいきたい。
 「呉越同舟」「奇貨居くべし」「曲学阿世」「春秋に富む」「日暮れて道遠し」「三顧の礼」「破竹の勢い」など、普段口にしているような故事成語が、ああこの場面でのことだったのかとわかる「おまけ」つきなのでお得感満載。実態はどうあれ、時間を浪費しているという罪悪感がないのもよい。大長編なので、あと2〜3か月は楽しめるはずである。よしよし。[るんるん]

★「迷走ダイアリ」に「『エル・シド』再び」アップしました。どうも積極的に見たい映画がありません。歳をとって感性が鈍くなったのか、映画というもの自体が変わってしまったのか。先日、時間ができたとき久々に「ベン・ハー」を見たらおもしろかったので、今度は同じチャールトン・ヘストンが主演した「エル・シド」を見てみました。西洋チャンバラ、ただおもしろいだけでなく格調もあって、いいですねえ。(^^)/
http://meisoud.blog.so-net.ne.jp/2019-09-03
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wildboar

最近の私は現実的なものばかり読んでいます。
2025年問題を控えて、「認知症」対応関連です。有吉佐和子の「恍惚の人」に40年前に衝撃を受けました。いよいよ認知症が急進化してきたので、今は20年ほど前の著書中心ですが、そろそろ、現在版に行こうかなと。個別対応においては大きく変わらないと思いますが、社会的対応の変化を確認したい。

KSさんの日記、「老爺柿」に実が付いた。と、立派です。あれは「知多の輝」という登録名ですから、最後までお母さんに寄り添った輝くKSさんみたいです。
by wildboar (2019-09-04 09:05) 

アニマルボイス

亡くなった私の母親は85歳過ぎから兆候が見え始め、90前からかなりひどくなりました。これを1人で抱え込むと本当に大変です。介護ヘルパーの制度はあっても、同居人がいると、同居人が面倒見るのが原則でしょ、なんてことになり、本当に老人、その家族には冷たい社会になっています。
by アニマルボイス (2019-09-04 09:47) 

wildboar

小林完吾さんですら、まずは家族(結局はお嫁さんということになってしまう)が「べき」と、提唱しています。否定はしませんが、もう何年も前から行政が、地域包括支援システムを唱えているわけで、言ったからには着実に実行すべきと思うのですが、形式だけという感じがしています。
団塊の世代があふれるんだから。
by wildboar (2019-09-04 10:49) 

アニマルボイス

もちろん家族も出来る範囲での介護はしようと思うわけです。しかし、働いていたらお昼はどうするのか。同居人がいると介護認定がなかなかおりないのですが、その場合、自費でということになってしまいいます。介護は家族でという原則はわからないわけではないのですが、現実問題として難しいことが山積みです。家族でやれと突き放すのは、金があるか実体験がない人ではないかと思っています。
by アニマルボイス (2019-09-04 11:35) 

wildboar

そのとおりだと思います。
by wildboar (2019-09-04 20:12) 

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