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サラマンカヘ留学 [欧羅巴語学漫遊記 MZ]

 久しぶりの投稿原稿です。
 MZさんの語学留学記。原稿は1月にもらっていたのですが、私事のため掲載が遅くなりました。書かれているように2014年のWカップはブラジルだったので、てっきりブラジルに行ったのかと思っていたらスペインでした。個人的には写真の6、7に出てくる「アビラの城壁」が映画「エル・シド」連想させていい感じです。あ、そういえば「エル・シド」はスペインの話でしたね。
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 2014年、ブラジルワールドカップはスペインのサラマンカヘ行きました。前回のミラノからの帰りの飛行機で、眠れないで大変でしたので、今回から初めてビジネスクラスにしました。成田のVIPルームに入るのも初めてで、調子に乗って色々食べたので、それよりはるかに美味しそうだった機内食を満腹で食べられなかったのは大失敗でした。トルコ航空のCAが心配して体の調子でも悪いのか聞いてきました。
 乗り継ぎのイスタンブールの空港はどんなところだろうと期待しましたが、係員は不親切で、ユーロとドルの両表示がありましたが、あまりいい印象はありません。
 マドリッド空港からサラマンカまで2時間ほどのバスに乗る予定でしたが、チェコからの男性とイタリアからの女性と3人で、時間まで待っていましたが、運転手がやっと来て、聞くと、予約で満員で乗れない、と冷たい返事。傍で、車で出迎えに来ていたマドリッドの人が、3人でタクシーを相乗りして、マドリッドのバスセンターへ行くと、サラマンカ行のバスがある事を教えてくれました。
 サラマンカはポルトガルに近い田舎町で小さな、とてもきれいな街でした。タクシーの運転手が親切で、ステイ先の集合住宅のドアフォンまで押してくれました。6階の部屋で、未亡人のセニョーラが経営して、多い時は4人の若いアメリカ娘と一緒でした。団体でいろんな家に分宿しているらしく、語学学校は別でした。隣の娘アナはウルグアイ出身だとセニョーラが言っていたので、ウルグアイはスペイン語なのにどうしてだろう?と思って聞いてみると、両親がアメリカへ移住してから生まれたとのことで、ネイティヴアメリカンでした。当然ながら、英語もスペイン語もすばらしく上手でした。
 ステイ先から50メートル隣のスポーツバルでフットボールはTV観戦しました。24時間経営のバルで、交代で4人くらいの中年男性が詰めていました。もちろん、全員が私にとってはスペイン語の先生です。ブラジルとの時差の関係で夜中の1時頃まで観戦することもありましたが、近いので苦になりません。
 学校はマジョール広場の傍で、ステイ先から歩いて15分くらい、受付のマダムがとても感じのよい人で、昼食の店とかいろいろ、教えてもらいました。最後に来る時に、持ってきた小さいオカキの包みを一つ上げたことがありますが、後日、休み時間に、教室までマダムが走ってきて「ムイリコ!(とてもおいしい)」と叫んでいました。気に入ってくれてよかった。
 例によって、W(管理人・以前MZさんがスペインのマラガに「留学」したときのスペイン語の先生です)がマラガから汽車でサラマンカにやってきました。別のホテルに3泊して一緒に観光したり、フットボールを見たりしました。彼はあらかじめ、ガイドブックで研究していて、私が知らない観光場所を案内してくれました。日本人向けの案内所で日本食の店を教えてもらい、Wと一緒に行きました。天ぷら定食は美味しかったのですが、お米があまりうまくなかったので、日本人の主人にこっそり聞いてみると、日本からコメを取り寄せるととても高いものになる、とのことでした。外米だったのです。
 セニョーラの友人の娘がバカンスでマラガにワーキングホリデーに行きたいということで、仕事先をWに紹介してもらえないかと相談してきたので、Wを紹介しました。バルに来て3人で話し合っていましたが、その後のことは、セニョーラからは聞いていません。
 バルには午後になると近所のおじさんたちが集まって、トランプに似た絵札を使って飲み物を賭けたゲームを夢中でやってました。このゲームは、学校の教室でも、先生が持ってきて、教材として一度やりました。私は、ウインブルドンが始まると、バルの主人に頼んで、そちらの中継をみていました。私しか見ていなかったので、おじさん達が見たい番組があるのでは?と聞くと、「カードに夢中だから構わない」と主人は言ってました。
ステイ先は昼食がないので、お昼は学校のマダムから聞いた比較的安いレストランか、このバルのタパスかピンチョを食べました。早く言えばおつまみみたいなものです。飲み物はミネラル水かオレンジジュース、マラガで飲んだ本物のオレンジを絞ったスーモデナランハはサラマンカにはレストランしかありませんでした。
 Wとバルの主人たちは仲好くなって、Wがマラガに帰ってからも私の携帯経由でメールのやり取りをしていました。たとえば、わたしがレッチェカリエンテ(あったかいミルク)を注文するときに「ムーチョカリエンテ」と発音すると、主人が「ムイカリエンテ(うんと熱いの)」と私の間違いスペイン語を直してくれました。
 サラマンカは電気代が安くないらしく、レストランのトイレで用をたしている時、突然電気が切れて真っ暗になる事がよくありました。節電スイッチになっているようでした。衣類の洗濯はセニョーラが週に一回やってくれますが、見ていると、洗濯機ではなく手で洗ってました。わたしも協力して、なるべく節電に努めました。
 学校の同級生はしょっちゅう入れ替わりますが、4週間、最後まで一緒だったのは中国からの若い女性でした。彼女は帰国後大学院に入るらしく、1年間の留学予定でした。一度レストランでご馳走したりして、よく話しました。お互いに単語が判らなくなると、共通の漢字で筆談しました。私も中国語を勉強していますが、スペイン語を使っている時に中国語モードに切り替えるのは容易ではありません。
 ドイツからの好青年ともよく話しました。彼の友人たち大勢とバルでドイツの応援をしたこともあります。この年、ドイツは見事にワールドカップ4度目の優勝を果たしました。
 学校の週末遠足はポルトガルに行きました。バスで2時間ほどでポルトガルです。偶然マドリッドからサラマンカまで来る時に一緒だったチェコのおじさんと同じバスになりました。学校は違いましたが、語学学校共通のバス旅行なので、こういうこともあるのです。やはり、違う学校のマダム達と昼食はポルトガル名物のバカラオを食べました。ひどく骨っぽい魚料理で余り好きにはなれそうもありません。マダム達は上手に食べていました。カナダのケベックからの旅行者で普段はフランス語だそうです。
 ポルトガルの街で5%くらいしか判らないガイドの説明を聞くともなしに座っていると、おばあさんが「どこから来たの?」と話しかけて来ました。ポルトガル語とスペイン語で結構、会話できました。
 別の週末に、近くで観光する場所をセニョーラに聞くと、アビラを薦めてくれました。電車で1時間ほどのところにある城壁にかこまれたきれいな町でした。肉料理が名物ですが、私の歯には合わないので、スモークサーモンを食べようとレストランのボーイさんに聞くと、判らないらしく、やおら、スマートフォンを取り出して、スペルを書け、と言います。便利なものだ、と思いました。学校でもスマホで単語を検索している生徒をよく見ます。次回は2016年フランス、Toulouseの予定ですが、どうなりますか。
1サラマンカの町はずれ
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2同級生 左からアメリカ、中国、先生、ドイツ
2同級生 左からアメリカ、中国、先生、ドイツ.jpg
3サモーラの街
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4サモーラを観光中
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5サモーラを流れる川
6サモーラを流れる川.jpg
6アビラの城壁
7アビラの城壁.jpg
7アビラの城壁
8アビラの城壁.jpg
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★安倍ヒットラーも自分のしていることが「憲法違反」だという自覚はあったんですねー。日本語が理解できない人だと思っていたので、びっくりです。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016020301001288.html

安倍ヒットラーの御都合主義改憲論に対する中日新聞の社説はしごくまっとうなものです。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016020402000120.html

★上の記事で出てくる稲田朋美といウルトラう右翼おばさんは、大江健三郎「沖縄ノート」を名誉毀損で訴え、尊属殺人規定の復活(刑法では尊属殺のみが死刑または無期懲役とされていて憲法違反とされた)、核武装の検討を要請している人物です。
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