SSブログ

ミラノへ留学(遊学?) [欧羅巴語学漫遊記 MZ]

 MZさん、今回はミラノへの留学です。  しかしですな、投稿記事を読んでみると何というか本当に「留学」なのか、「遊び」なのか、だんだんとわからなくなってきました。まあ本人が留学と言うんですから留学なんでしょう? 遊学? それとも単なる「遊」? 管理人はとりあえず行ったことのない外国の風景でも楽しむことにします。
………………………………………………………………………………………………………………………………
 2012年はイタリアのミラノに4週間、留学しました。
 やはり、ヨーロッパ選手権のある時ですが、かねてより、本場のパスタとピザを食べたいと思っていたのも動機の一つです。
 モスクワ経由の飛行機で、かなり夜遅くに到着しました。モスクワという街は空から初めて見ましたが、高い建物がない街という印象でした。乗り換えの時、聞いていたほどロシア人の空港従業員は冷たい感じでもなく、まずまずでしたが、ユーロが使えないので、水一つ買えませんでした。ミラノに40年以上住んでいる友人夫妻が夜の空港まで迎えに来てくれたのには大変助かりました。彼らと一緒でないと、夜にホームステイ先を探すのに、苦労したと思います。ステイ先は精神科のお医者さんの共同住宅の6階でした。キッチンの隣の一人部屋で、シャワーとトイレが部屋に付いています。
 お医者さんは、見かけは怖い感じでしたが、最初の日の朝、学校までの行き方を、雨が降っているのに傘もささずに、地下鉄の駅まで連れて行ってくれて、切符の買い方まで教えてくれました。
 学校の初級クラスは6人くらいで、料理人の修業に来ている若い日本人の男性が1人いました。他のクラスにも合計5人くらい日本人がいました。イタリア語の先生は、イタリア人らしく、大きな声の元気のいい若い女性でした。
 学校の近くに、小さなバルがあって、昼食はもっぱらそこで食べました。若いあんちゃんが親切で、毎日、いろんなパスタをすすめてくれるのですが、最後まで、ピンとくるものに出くわしませんでした。私の味付けの仕方が拙かったのかも知れません。
 ミラノ観光は例の観光バスで一回りして、気に入ったところは、後から地下鉄で行ってみることにしました。ミラノを見渡せる高い塔があるという観光バスの案内で、後日出かけてみると、門が閉まっていて、入れません。近くにいた工事人らしきおじさんが、「エレベータの修理中で何日か先でないと、開かないよ」と教えてくれました。観光バスではそんな情報は全くなかったので、回ってきた観光バスの案内嬢をつかまえて、「そういう情報は流すべきじゃないか!」と抗議しましたが、暖簾に腕押しで、「わたしのせいじゃないよ」と言う感じですましていました。
 ミラノは小さい街なので、観光場所を歩き回るには便利です。有名なミラノ座でオペラなど見たかったのですが、6月と言う時期は、バカンス中で、音楽会などは一切ありません。有名なレオナルドダビンチの「最後の晩餐」は保存の為に一日の観光客を制限しているので、切符を予約しなければならず、見るのはあきらめました。同じ教会でたくさんの立派な宗教絵画をタダで見る方がよっぽど素敵でした。
 フットボールはお医者さんが近くのスポーツバルを教えてくれたので、もっぱら、そこで、テレビ観戦しました。ポーランドとウクライナの共催なので、だいたい、夜8時頃のキックオフでした。例によって、スッコダランチャ(オレンジジュース)ばかり飲んでいたので、店のあんちゃんに「スッコダランチャ」と名前をつけられました。イタリアが勝った時など、店中大騒ぎでした。イタリアは決勝でドイツに負けるまで、勝ち続けました。
 イタリア代表に、有名な、破天荒な選手がいるのですが、彼がミラノで、1か月に9回も駐車違反で罰金を払わされた、という話をお医者さんがしてくれました。夕食は彼と2人だけでする(奥さんはなぜか、支度をするだけ)のですが、おおむね、イタリア語で話をしました。ときどき「わかったか?」と確かめるので、曖昧に返事をすると、「いや、おまえは理解していない」と、今度は英語で同じ話をしてきました。
 私は留学先で歩きやすいテニスシューズを買います。ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)の裏で停まっていたパトカーのお巡りさんに聞いたら、すぐそばの靴屋さんを教えてくれました。グラッチエ!中国製のアディダスを買いました。
 週末にミラノ在住のご夫婦がミラノの北、モンテローザのふもとにある別荘に招待してくれました。その山小屋で奥さんが作ってくれたパスタがミラノ中で一番おいしかった。それを告げると、「日本人に合うように作るからでしょう」と言っていました。
 その別荘の村は冬はスキー場になるところで、ゴンドラで上がって、少し歩くと、なんとマッターホルン(ドイツ読み)が見えました。普段、めったに見られないという事でした。リヨンの丘の上の教会からアルプス最高峰、モンブラン(フランス読み)が見えると言う話でしたが、滞在中一度も見えなかった。リヨンの帰りに飛行機から雪をかぶったアルプスが見えたが、どれがモンブランかわかりませんでした。
 ミラノのご夫妻のご自宅にも別の週末、お邪魔しました。そこから、路面電車で帰りましたが、途中の乗り換えのフェルマータ(停留所)の名前を忘れ、運転手にレプブリカ(ステイ先の近く)にはどうやって行くのかと聞いていると、同乗の老婦人が「私が教えてあげる」と親切に乗り換えの電車を教えてくれました。切符売り場が日曜日で閉まっていたので、レプブリカで降りる時にユーロ硬貨を出して払おうとすると、駄目らしく、そうこうするうちに、「まったく、観光客はこまるな!」と言って、タダにしてくれました。
 ヨーロッパの夏は陽射しが強いので、サングラスを持っていますが、ねじが緩んで、レンズが外れてしまい、ドゥオーモ近くのキオスクのおじさんに聞いて、メガネ屋に行きました。しばらく待たされたが、修理代を聞くと、「いらない」。そういえば、老眼鏡なので授業の時、白版とテキストを交互に見るのが不便なので、メガネにつけるひもを買いに行った時もそのメガネ屋さんは代金をとりませんでした。
 ナポリ風のピザを食べさせる店を学校の近くで教えられ、学校の帰りに地下鉄の一駅を歩いて食べに行きました。これは、ほんとうにうまかった。しかし、量が多いので、ピザの縁側を残していると、おやじさんが怪訝な顔で聞いてくるので、「おいしいんだけど、私には量が多すぎる」と言い訳しました。5日間も毎昼食に食べていたら、さすがに飽きてしまいました。
1ミラノの中心、ドゥオーモ
1ミラノの中心、ドゥオーモ.jpg
2その傍の ガレリア
2その傍の ガレリア.jpg
3ミラノ鉄道駅 ここから、マルペンサ空港へのリムジンバスが発着する
3ミラノ鉄道駅 ここから、マルペンサ空港へのリムジンバスが発着する.jpg
4はるか向こうにマッターホルン
4はるか向こうにマッターホルン.jpg
5モンテローザの山々
5モンテローザの山々.jpg
6ゴンドラからのアンターニョ村
6ゴンドラからのアンターニョ村.jpg
7ミラノ一高い塔からのミラノの街
7ミラノ一高い塔からのミラノの街.jpg
………………………………………………………………………………………………………………………………
★「現在迷走中」に「老人ターミネーター?『サボタージュ』」アップしました。ヒッチコックのイギリス時代の映画かと思ったら、シュワちゃんのアクション映画でした。それにしても、ターミネーターも歳をとりましたなあ。
http://www.life-clip.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=107994

★毎日新聞のこんな記事
http://mainichi.jp/sunday/articles/20160102/org/00m/010/007000d
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。